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『大本神諭』 大正4年旧6月11日(弐)

○大正4年旧6月11日(火の巻)

 大国常立尊、変性男子の身魂が世界へ天晴れ顕はれて、昔から、この世出来てから未だ無い事をして見せてやるぞよ。これまでの末法(まっぽ)の人民の心には、何程(なんぼ)結構な事を眼の前に見せてやりても、見えも聞えも致さうまいがナ。これまでの末法の人民には、こんな実地を見せたとて、お蔭もよう取らず、授(や)られも致さぬ。こういふ事に、天はなりて居るなれど、地の世界は惨いことであるが……。一時(いちど)の改心は辛いから、モう延ばす事は出来ぬから、言うてやりても真実(まこと)に致さず、お蔭の取らせやうが無いから、大出口直の筆で、大国常立尊が書いておくから、お筆先を見ておくと、その通りが天地から出て来るから、御三体の大神様のお手伝が、これだけ日々昼夜にありても、今では出口直が見る丈で、体躯(からだ)に火がついて居りても判らんアキメクラばかりて、お蔭の取らせやうが無いから、神の心を砕くのであるぞよ。

 綾部の大本は、信者を沢山寄せて歓ぶ所で無いぞよ。従来(これまで)は、旧道と新道が両種(ふたみち)こしらへてありて、何方(どちら)の道に就くといふ事を視て居れば、矢張り楽な方へつく。これでは、誠意(まこと)が無いといふ事がよく判りて居りても、さア今変へるといふ事も出来ず、一日延ばしに延して、モう一寸を前へ行く事は出来ず、直(なお)に言はしても聴く者は無し、天から御両神(おふたかた)の御手伝といふやうな、畏れ多い事が出来て居りても、「何を言ふやら」位に外(ほか)、取りはせんぞよ。何事も、言葉の代りに筆先に細かう書いて見せても、それも解らず、何彼の事が遅くなりて、世界の事が動きが取れん事になりて来て居るから、モう一度に開かな、御用する身魂が無いなれど、些ツとは有りも致すであらうから、これだけ続いて、日々に大望な事ばかりを、因縁の身魂にはさして、辛い目に逢うて居るのに、「大神業(たいまう)は何時来るか」と申して、大本へ不足を申す守護神が、何ぞ善い事が出て来るやうに思ふて、大きな取違をして居ると、却って其人に困る事が出来て来るぞよ。其んなちいさい事を念(おも)ふて居ると、大きな間違で、御用どころか、小さい肝玉では喫驚(びっくり)して飛び出して仕舞ふて、早速に大本へも来られんやうなことの無い様に、大きい肝玉に致して、腹帯を確然(しっかり)と締めて居らんと、耐れんやうな事が世界には有るぞよ。「罪穢(めぐり)の甚深(ひど)い所には、甚大(ひど)い借銭がある由つて、厳酷(ひど)い審判(こと)があるぞよ」と申して、知らしてあらうがナ。善い事にも、悪るい事にも、身魂がして居る丈のことを、世界中現はして、向後は悪るい事は出来ぬやうに、善一ツの真(まこと)の道が造りかへてあるから、造り替へてある道へ乗り替へて、日本の御用の出来る守護神は結構なり。百方(どのい)言ひきかしても、頑張りて聴かぬ身魂は、根底(そこの)国へ落してしまうから、今度は最終(とどめ)であるぞよ。早く埒をつけて、後の立直に掛らねば、永く世が逆様に覆へりて居りた故に、天の大神様を大の字逆様に致して(※1)、円(まる)に十を書いて、八分黒う致して見せてありたが、「現世(このよ)があの通りになりて居る」といふ事が、書いて見せてありても、真正(まこと)の事は人民では判るまいがナ。実地をして見せても、永永 直(なお)が申して知らしても、真実(まこと)に致す人民は未だないぞよ。これだけ実地を仕て見せてあるが、大の字を逆様に、下方(した)を向けて書かして見せば、それ丈の事により見えまいがナ。
 人民は万物の長と申して、神に亜(つ)いでの結構な霊魂を貰うて居る肉体は、神にもなれる、結構な神の容器(いれもの)になれる、神の次ぎの人民が、日本より外国の方が好くなりて、男も女も、「外国の風をする人民は、偉者[物](えらもん)じや」と申して、薩張り日本の精神が、顚倒(ひっくりかへ)りて居る故に、天の御三体の大神様を、真ツ逆様に致して永い間苦しめたが、何彼の時節が廻りて来て、真正の世になりたぞよ。日本の人民が元の大和魂に立ち返らんと、最う何時掌が反るか、天地のビツクリ箱が何時に開くか知れんが、さうなると、大神様の申しなされた事を、致さなならん守護神、人民は、沢山(たっぴつ)出来るぞよ。逆立に成りて苦しむ人民多数(たっぴつ)あるぞよ。さうなると可哀[愛]相なから、この時節がまいるから、明治25年から、「今じや、早じや」と申して急き込みたが、実地の真象(せうまつ)が出て来る時節が廻りて来たから、モう改心するのが遅れて来たぞよ。あまり登りて蒼空(そら)ばかり見て居ると、地の世界の事が些ツとも解らずに、上に眼のつく人民が多くあるから、口を緘(つま)へて下を視て居ると、今度は好い御蔭が貰へるぞよ。お蔭取るのも落すのも、心一ツの持ちやうぞ。

(※1)「大の字逆様」
「明治36年8月16日」
 是までの世は魔法の世で、悪神悪人の世でありたから、この世に良き事をして居ると思うてして居る事が、逆様斗りをして居るから、この世は真逆様に成りて居るといふ事が、大の字を逆様に書いて、何処の宮にも、路傍にも、弁天堂にも、不動の祠にも電信の柱にも、平岩にも、行先に書いて見せてあるなれど、其様な事に気の附く人民が無いぞよ。今の世界の人民には、何結構な事の実地をして見せても、解ける人民も無いぞよ。出口直は商売に行って、先々で○に十、大の字逆様の書いてあるのを見て、「之は変な事じや」と思うて立てりて、肝腎の商売を忘れて考へて居りたぞよ。皆艮の金神が、人に憑りて書して置いたのであるぞよ。

○「惟神眞道彌広大出口國直靈主之命」 (水鏡)
 惟神真道弥広大出口国直霊主之命の御神名は、開祖様だけでは無い。二代、三代と私とが一緒にこもって居るので、早く昇天したものから、第一惟神真道弥広大出口国直日主之命、第二惟神真道弥広大出口国直日主之命と呼ばるるので、第三、第四も同様である。 大出口の大の字は大きなと云ふ意味でなく、一は大地の体 すなわち国常立尊(クニトコタチノミコト)を現はし、ノは大地の霊:金闕要神(キンカツカネノカミ)を現はし、\は大地の力、神素盞嗚尊(カムスサノヲノミコト)を現はし、三神世の元となって居るのである。それに直日<現代注:天帝の分魂にして、直霊として顕現した良心神のこと>を加へ、主の神が守らるると云ふ意味である。

○「大宇宙」 玉鏡(昭8/9)
 大宇宙と云へば、世人皆大きな世界と云ふ意味に承知して居るやうであるが、さうでは無い。宇宙は大の字の形をして居るので、それで大宇宙といふのである。の字は又人間の形である。頭があり、両手両足があり、胴がある形だ。更生館は新たに生れた事を記念する為めに大の字の形に造ったのである。
 艮の金神様は、其お筆先に於て「生神である」と云ふ事を常に申されて居る。之は”宇宙そのものが生物である”と云ふ事を申されて居るので、開祖様が嘗て「一度大神様のお姿を拝みたうございます」と申上られると「其方の姿が此方の姿であるわい」と仰有った。さうして又「本当の姿は青雲笠着て耳が隠れぬわい」と仰せられた。之は人体的に顕現せらるる場合と、御本体とを区別して申されたので、御本体即ち大国常立尊としては宇宙と其拡がりを等しうせらるる訳である。実際生きて居られて、其お姿即ち大宇宙の姿も人体と同じ形である。無論人間の肉眼をもってしても、又如何なる精巧なる望遠鏡をもってしても決して見得るものではないのである。之を譬へれば、象の足にとまった蟻が決して象全体の形を見得ぬと同じ事である。たとへどんな遠方に離れて之を見ても遂に其全部の姿を見得ぬであらう。毛の中に潜り込んだ蟻などは大密林に遭遇し、行けども行けども平地に出られないといふ風にも思ふだらう。大宇宙は生きて居る、大の字即ち人の形をして生きて居る。頭もあれば、手も足もあれば、目もある。だがそれは人の想像に絶したものである。象の比喩でもって推理して考へて見たらよい。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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