『大本神諭』 大正元年旧10月5日

○大正元年旧10月5日(火の巻)

 おほくにとこたちのみことへんぜうなん御魂みたまぐちあらはれて、世界のしゅごういたすぞよ。もとこっぽんいきがみであるから、このいきがみあっおもてあらはれると、なにわかりてるから、つらしゅごうじんるなれど、このほうおもてになりてるのではないぞよ。「ういふことをよく知りてる、おほもとせんであるから」とまをして、覇張りたのではなかりたぞよ。れんとの先祖のつくかためたであるから、先祖のもとかみではないと、世界中の事がわかりはせんぞよ。がいこくかみでは、もとあることわからんから、まことせんたくはできんから、なんべんでもあともどりて、こういふこんなんな世がまゐりてきたのじやぞよ。
 今度の二度目の世の大立替は、末代に一度ほか無い、大望な世の立替であるぞよ。立替立別なら、何うなりと致して、無茶で致せば出来るなれど、後の修理個成(つくねなほし)の大事望(たいもう)が、中々骨の折れる事であるぞよ。一ト色(ひといろ)や、二タ色や、三色や、五色や、十色でないぞよ。何につけても大望ばかりであるぞよ。世の立替は何時でも始めるなれど、後の立直しの御用致す適材(だうぐ)が揃はんと、立替した丈なら埒は良いなれど、立直しの御用致す守護神も、使はれて居る肉体も、水晶の心に磨けんと、神の御用の間に合はんから、斯ンなに六ヶ敷(むつかし)う申すのであるぞよ。神の世一代の中には、末流(えだ)の神に何(ど)ンな世をもたして見てあるが、神が見て居れば、皆自我本位(われよし)の世の持方ばかりでありたぞよ。天と地の先祖の神の心は、今に些ツとも息(やす)むといふ事は無いぞよ。「この世が出来てくるから、変性男子の御魂と変性女子の御魂が産霊(こしらへ)てありた」といふ事が、毎度筆先に書かしてあらうがナ。この世がきた折りには、世界中の困難となりて、何方(どちら)の国にも、金銭の入用(いる)のは程知れず、金融(きん)はだんだん逼迫(ひっぱく)になるし、どう為様(しよう)も無きやうに、一旦世界中は火の消えたやうに成るから、斯うなりた折には、元の其儘のまことの神が現はれて、二度目の世の立替を致さねばならんから、此方が世に落とされたのも、御都合のことであるぞよ。
 世に落とされた御魂と共々に、苦労艱難、口惜き事を致し、耐忍(こばり)つめてきた身魂でないことには、今度の御用は出来致さぬのであるぞよ。大本へ入りてきて、難有(ありがた)いばかりでは、今度の御用致すのは、神の因縁性来のわかる身魂でないと、只難有いばかりでは、結構な御用はできぬぞよ。善い守護神もあれば、悪るい守護神もあるから其事がわからんと、悪るき守護神が出てくるから、よく見わけぬと、表面(うわつら)善く見せて、悪神が出て来るから、審神者(さには)が余程骨が折れるぞよ。われの心が曇りて居ると、曇りて居る霊魂がわからんぞよ。余程見わけんと、善い方へは挙げられんぞよ。わかりて来る程、「われも私も」と申して出て来るぞよ。「暑さ凌いで秋吹く風を待てど、一旦世界は寂しくなるぞよ」といふことが、筆先で知らしてあるぞよ。余り富貴(よかり)た仕放題に致して来た御魂の肉体は、心が何となう寂しうなるから、斯うなりた折りに、これ迄の心を持ちかへて居らんと、難渋なことが世界からでてくるぞよ。斯うなりて来るまでに、身魂に今迄の心を持ちかへて居るやうに、続いて日々知らしてありたが、善いことも悪るきことも、一度に出て来るといふことが、毎度変性男子の御魂の出口直の手で、今に知らしてあるのに、誤解(とりちがひ)を致したり、何もわからずに、良いことばかりに眼を附けて居ると、大間違ができるから、間違の無いやうに、綾部の大本は世界の元となる尊い所であるから、初発には皆に行(ぎょう)がさしてあるなれど、真正(まこと)の行(ぎょう)をさしたら皆逃げて去ぬから、たらして茲までは来たなれど、綾部の大本は世界の元となるのであるから、何事も大難事(たいまう)であるぞよ。「大望、大望」と申すのを、取違をして居る人がまだ多数あるぞよ。
 出口直に口で言はした事も、手で書かした事も、毛筋も違ひの無いことであるぞよ。些ツとも違ひられん事であるから、余り早うは言はれん事であるぞよ。早う申すと、神界の都合で些ツと延びる事があると、「筆先が嘘でありた」と申して、御蔭を墜す者が出来るし、真正の事は濫(みだ)りに人には言はぬし、言はんでお蔭を墜すし、出口を雁尻巻(がんじりまき)に致して置いて、門(かど)へも出さずに、茲まで漸う漸う出来(しゅったい)をさしたぞよ。中々辛い取次であるぞよ。「綾部の大本は、遠国から開けて来るぞよ」と申してあらうがナ。何も違はん。「遠国から早く解る人が出て来るから、近傍の人が恥ずかしき事が出来る」と申して、筆先に書いて知らしてあらうがナ。この綾部の郡長、警察、役場が、「世界へ恥かしき事が出来る」と申して知らしてあるぞよ。余り判らんと恥かしくなりて、逃げて去なならん様になりて来るぞよ。

 何彼の時節が遅くなりて居るから、立替と、先きの立直しの御用が同時(いっしょ)になりて、良き事と悪るき事とが今に出て来るぞよ。遠国から出て来る鼻高者に、割りとは早く改心が出来て、立直しの御用が予想(おもわく)とは早くなりて、「外国の方が、改心が早うならうも知れぬ」といふことも知らしてあるぞよ。立替が大層延びて居るから、「初めから物事は迅い」といふ事も知らしてあるぞよ。近傍程(ちかくほど)天理(もの)が判りて居らぬぞよ。遠国の人が一度参りて来ても、良いお蔭を取りて去る人が、向後(このさき)は段々出来るぞよ。「燈台下は真ツ暗がりであるが、神は困るのでない。其人が可哀相なから」と申して、耳にタコの出来る程知らしてあるぞよ。斯教(このみち)は人を引ツ張りに行く道で無いなれど、余り今の人民が判らんので、神が見て居れんから、取次をこしらへて引ツ張りに遣りたなれど、余り出口を世に落としてありて、見当の取れん御用がさしてあるから、疑ふのは尤(もっと)もであるぞよ。今度の御用は、人民が何程寄りて来たとても、因縁のある身魂でないと、大本の神秘(せうまつ)の御用は出来んぞよ。人民力でも、智慧でも、学でも出来ん大望な事があるのじやぞよ。又人民で出来ん御用は、太初(もと)の荒神が実行(せうまつ)を致すから、この世の鼻高が往生致して、「この世にはえらい神がある」といふ事を悟るぞよ。又 真正(まこと)の鼻高が一度にわかりてきて、えらい御手伝をなさるぞよ。

 この世が来るから、変性男子と変性女子との身魂が造へて有りての今度の二度目の立替であるから、男子は、筆先で世界の根本の事から、万古末代残る世の政策(もちかた)を書かしてあるなり。女子は世に出て居れる方の事を「この世はこういふ事に成りて居る」といふ事がさしてありて、初発はまるで敵のやうでありたなれど、嫌な事は皆 縁類(ひっぽう)にさして見せてあるぞよ。変性男子の規則破りの懲罰(とがしめ)を、天から御赦しを戴きた御蔭で、二ツに分かれて居りた霊魂が一ツになりて、天晴れと表に現れて、三千世界の守護に懸ると、世界は大分騒がしうなるなれど、速く立替を致さんと、向後(さき)の立直しが遅くなると、世界中が困る事が出て来ると、何も知らぬ人民が可哀相ナから、立替と立直しとが、一所になる事も、筆先に今まで何遍も知らしてあるぞよ。変性女子のつとめも変わりて、坤の金神に納まりて、皆和合が出来て結構であるぞよ。

 何も仕組通りになりて来るぞよ。悪の守護神に使はれて改心の出来ぬ肉体が、この先は可哀相なれど、茲まで知らして気がつけてあるのに、今に解らん守護神に使はれて居るやうな肉体に、言ひ聞かして居る暇がないぞよ。今度の二度目の世の立替と申すのは、さツぱり世の洗ひ替であるから、何につけても大望であるぞよ。今度の大望は、天ばかりでも出来ず、地だけでも出来ん事であるから、三体の大神が地上(した)へ降りて手伝ふてやらんと、地丈では出来んぞよ。国常立尊の仕組通りに致さねば、外の守護神が混ぜ返すと、総ての事が遅くなりて世界中が困るから、向後は神の「不可(ならん)」といふことを致したら、その場で懲戒(みせしめ)を致すぞよ。

 これからは、この中は一日増しに変わるぞよ。実地を申しても真実(まこと)には致さんから、何事も遅くなるのじやぞよ。一度できけば、物が迅うなるなれど、人民は自己が身をせめるのであるぞよ。これから未だ疑ふて、我を出して、われの思ふやうにする守護神に使はれて居る肉体でありたら、ジリジリ舞を致すぞよ、素直に致す守護神であるならば、すぐから楽に生計(くれ)るなり。「ならん」といふ事を、聴かずと致したら、苦しみが出来るぞよ。苦しみ度(た)くば、筆先を背いて、何なりと致して見よれ。心の中でじりじり舞を致すぞよ。従来(これまで)とは物事がさツぱり変るから、申すやうに致さな、その人に苦しみが出来るだけであるぞよ。

 これ迄の世は、眷族が覇張りて、大将無しの世になりて居たから、さツぱり世が上下へ顚(かへ)りて、人民の致すことが皆倒(さか)さま斗りで、神の尊慮(きかい)に協(かな)はぬ事ばかりほか、出来て居らんぞよ。是迄に世の立替はありたなれど、真正の世の立替は、一度も出来ては居らんぞよ。世を何遍立替致しても、肝腎の大立直しを致さずに立替してあるから、些ツと行きよると、又世が後へ戻りたなれど、今度の二度目の世の立替は、末代に一度ほか無い世の立替であるから、下拵へに暇が要りたのである。当座や金の立替では、早刻(すぐ)に後へ戻るぞよ。今度の立替を致したら、巌に松の世になるから、今度の事は何につけても大望であるぞよ。立替は埒能う致した所で、後の立直しが中々大望であるぞよ。立直しの守護致す守護神は、昔の元の大和魂の些ツとも混ぜりの無い御魂でないと、向後はズンダラな守護神は、一ト方(ひとかた)も使はんから、世に落ちて居りた荒神の守護神を、大望な御用に使ふぞよ。中々御苦労な御用であるから、世に落ちて居れる守護神でない事には、世に出て居れる守護神では出来ん事をして貰はな成らんから、「六ヶ敷」と申すのであるぞよ。世に出て居れる身魂は、行(ぎょう)といふ事がして無いから、真正の神の御用は出来ぬから、それで上下へ御用をかへてあるぞよ。世が悪る開けに開けて、元の先祖の大慈悲(おもひ)といふ事が、末流(えだ)の神に無いから、信実(まこと)が些ツとも無いから、世が悪るくなるばかりで、今の難渋であるぞよ。他の苦労の結果(とく)で世を持ちて見ても、心に誠の無い守護神ばかりでは、世が持てさうな事は無いぞよ。此方が世に落されて、この世に無い神に強いられて居りても、世界の根本から、この世を蔭から構ふて居りて、仕組がしてあるので、仕組通りに何彼の事が世界から出て来るばかりになりて居りても、守護神に今に判らんやうな事では、真正の神とは申さんぞよ。

 前後の事が見え透いて、暑さ寒さは構ひもいたさずに、夜分に足を伸ばして寝るといふ事も致さずに、世界を潰してはならんから、昔からまだ楽といふ事はなしに、引続いて世界の守護して居るぞよ。ズンダラな守護神は、利己主義(われよし)で、他(ひと)は何うでも自己さへ善けら善いで、糊口(くちすぎ)に致して来た守護神は、向後が大変に辛うなりて来るなり。辛かりた守護神は、神のお蔭が現はれるぞよ。これからは、天と地との先祖が何にも指図を致すから、今迄の世の持方とは、天地の変動(かはり)になるぞよ。こういふ醜しき世になりたのは、従来(これまで)の世は上ばかりで、下の無い世になりて居りた故に、下の政治が出来て居らんから、地の世界に大将が無かりたから、地の世界を働く守護神が怖いもの無しになりて、利己主義の強い者勝ちとなりて居るから、何も判らん畜生界であるぞよ。

 日本の国は、仏や学では不可(いか)ン国であるのに、仏と学で日本の国の人民の精神を、さツぱり盲者聾者(めくらつんぼ)に致して仕舞ふて、今では全然(まるきり)四足の守護となりて、「神はこの世にあるものか」と申して、「学さへありたら、この世は何ンな出世もできる」と申して、結構な日本の国を、このような醜しき国にして仕舞ふて、実地の神の眼からは、眼を開けて見られんやうになりてきたぞよ。今の日本は小さい国ではあれど、世界の結構な国であるから、外国へ与(や)ることはできん神の国であるのに、肝腎の大和魂は、外国魂になりてしまふたのが、九分あるぞよ。

 龍宮の乙姫殿の御宝は、末代世の元の本の宮へ納まる世が循(めぐ)りて来たぞよ。斯うなるについては、上(かみ)は上の行、下(しも)は下相応の行を致して、区別を立て、何かの規則を決めるぞよ。規則通りにいたさねば、向後の世は厳しくなるぞよ。これまでとは天地の違ひに変るぞよ。真正の身魂が揃ふたなれば、如何(どない)にいたしてもビクともいたさねど、神界では、直(じき)のつぎつぎ、一の番頭、二の番頭から改心させるぞよ。大本(ここ)では一の番頭、二の番頭は役員であるぞよ。何程元が艱難をいたして、天地の御先祖を世に出さうと思ふても、皆の心が揃はぬと、中々大望な御用であるから、自己が早く出世したいやうな事では、物事が成就致さんぞよ。大望であるから、誰にも解らん仕組が致してあるから、仕上らんと実地(まこと)の事が判らんぞよ。役員は従来のやうな卑劣(いやし)い心を棄ててしまふて、生新(さらつ)の心を持直して、何も神に任して居りたなれば、物事が迅くなりて、善くなるなれど、「自己の悧巧[利巧]で致さう」と思ふて致したら、初発は善いやうでも、仕組が違ふから、又物が延びるから、さうなると又「嘘である」と申して、神の名を悪うするばかりであるぞよ。心に誠のある人民でないと、今度の仕組は判らんぞよ。役員は筆先を見詰て、充分に了得(のみこみ)て居りて、何ンな事を問はれても、弁解が出来るやうになりて居らんと、善い加減なお噺を致して、人を寄したら良いのではないぞよ。行(ぎょう)に出る者は、結構ではあるが、解らん者が元の神のお話は、一と通りの行して居りては、真正の事が判らんから、誰も大本へ参りて、身魂を磨いた其上で、御用致すが結構であるぞよ。身魂に因縁ありて、何所までも誠を貫く心の固まりた、寝るのも忘れる位の熱心でないと、根本のお話は出来にくいぞよ。綾部の大本の御用するのは、初発から松の心で、迷ひ心の無い見魂でないと、何ンな事して居りてもお話さへすれば良いのではないぞよ。一と通りの改心では、天地の教は、人に説く事は六ヶ敷ぞよ。中々人は聴いて呉れんぞよ。真実(せうまつ)の神の教え致さうと思ふたら、これまでの様な事をして居りては、真正の教は出来んぞよ。「昔から無い事が出来る」と申してあらうがナ。斯ンな事が来て居りても、側に居りて能う解けんやうな役員ばかりであるから、「改心致して、身魂を磨け」と申すのであるぞよ。斯ンな結構な事をして見せても、見えも聞えもせぬ、暗がりの惨い世の中であるから、向後は神力を劇(はげ)しく現はして、改心さして見せるぞよ。

 筆先が皆実現(でてき)て、天の御三体の大神の御守護が有り出して、天地が揃ふたら、世に堕ちて居られた活神の守護となると、余り神力が高うて、今の人民に守護して居れる守護神に判らん事ばかりで、大変慮(おもひ)が違うて来て、其辺(そこら)あたりが光り渡りて、盲者が眼が開き、聾者が耳が聞へるなれど、光り渡り鳴り渡るばかりで、狼狽(うろたへ)て、「ジリジリ舞を致すぞよ」と申して、筆先で知らしてあるぞよ。世界の事を仕組むには、夜昼暑い寒いの厭のある様な身魂では、この世は、末代の世は持てんぞよ。一と通りの身魂が何程寄りてやりても、世はもてんぞよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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