『大本神諭』 明治37年旧7月5日

○明治37年旧7月5日(火の巻)

 うしとらこんじんわかみのみことへんじょうなんたまかいあらはれる時節じせつまひりたから、この世にはかはりたこと出来できるから これまでうに思うてるとりょうけんちがうから、みなそろうてかいしんいたして、たまみがひを致さんと、これまでかくあひにはかんぞよ。なにごとも変るから、めい二十五ねんからもうしてある事の時節じせつまゐりてたのであるから、世のかはじんみんさんるといふ時節が参るのであるが、人民のりた事ではないから、ふ時節が参りたら、自分われいたさうより仕様しやうは無いから、なにごとありても、神とぐち不足ふそくもうしてれなよ。身魂のいんねんしゃうらいで、どう云ふ事がこのきであるやら、に何があるれんから、知れんで無いぞよ。世界中の身魂が調査あらためてありての世のたてかへぞよ。

 してりてうれごとがあると、かみみちわからん人民は、神をわるもうすなれど、たまの因縁のわか時節じせつが、参りて来たのであるから、この世界のたまへ、世のせんたくと云ふたいもうな時節が参りて来てるのに、今の人民は何も判らんゆえに、ぐるしきこころちて、神のかいかなはんことばかりを致したり、もうしたり、その罪障めぐりを取りてるには、ほねりた事であるぞよ。人民には言うてりてもようけず、盲目めくらつんぼの世にりて居るので、あやおほもとたてかへの事が、にちにちぐちなおで知らしてりた事の実地じっちが始まるぞよ。これから改心の出来た身魂から、 ほうまわしてるぞよ。身魂みたまいたす、世界のおほもとになる大望なところであるから、……たまから良くらねば、にくたいものであるから、肉体の中におさまるしゃうねんが肝腎であるぞよ。肉体はかはるなれど、霊魂みたままつだい死には致さんから、こころなほして、神の心にかなふやうに成りたら、とくと成るぞよ。

 夫婦ふうふふものは、たまと霊魂であはして、えんが結ばして、……「この霊魂にはの霊魂をさずける」、「この霊魂の宿やどりてる肉体には、この霊魂のさす」と云ふ事は、ちてかままふ神の指図さしずで、霊魂を自由じゆういたすのが、この世の守護致すのであるぞよ。いんねんある霊魂は世にちてりたぞよ。……みな仕組であるなれど、これまでに世を持ちてれて、世をはずして、この世にたいしょうどうようの世でありたから、霊魂がぜにりてしまうてるのをたてけて、き霊魂としき霊魂とを区別くべつして、日本はすいしょうの世に致してたてなおさねば、しんこくであるとことわからんから、なにの事をへんじょうなんの手でのこしてくぞよ。
 明治二十五年にぐちに、「やまひなほしのとりつぎいから、たいもうほかたまでは出来できことである」ともうしてあるぞよ。うしとらこんじんが体内へりて、二度目の世のたてかへいたす肉体にこしらえてあるなれど、あま粗末そまつにしてあるから、人民が今にうたがうてるなれど、こんねんには実地がかけたから、このからなにもうさいでも、世界からふでさきわかりてるから、らん事を思ふて、し苦労をせんやうにしてくだされよ。このきでたてかへの中では、いずれはひとるから、今度こんど神の御役にたつたまは、いんねんあるものであるから、どんなしんぼういたさな成らんし、させもするなれど、因縁なくてはへんじょうなんひとつのたねさしぞへには成れんぞよ。「さしぞへたねつらい」ともうしても、出口のしょっぱつぎゃうの事を思ふたら、安楽らくなものであるぞよ。出口のこのの苦労は、むかしからの苦労の中では、一番に安楽らくでありたのであるぞよ。たまで苦労がさしてありたから、……これからの霊魂は、今度あらためしてあるのはおほもとひきよして、筆先の因縁のわかりたたまをよくして、御用ごように使ふから、たまりても、肉体でありても、結構けっこうであるぞよ。
さきぐちあらはれて世をえて、うしとらこんじんが世をかまう」ともうすのは、霊魂みたままつだいかまう世が参りたのであるから、肉体のあるうちに変性男子のいたふでさきをよく腹へれていたら、にても、また今度へ出して貰うても、人がたたきおとしても、落ちんたまとくくのであるから。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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