『大本神諭』 明治37年旧2月11日

○明治37年旧2月11日(火の巻)

 天の規則きそく我子わがこやぶるし、まおしわけゆえに、ぶつちなされて御守護でありたぞよ。これわがやうと思うて出来できる事でないぞよ。何事も時節じせつで出来てくるのであるから、時節には神もかなはんだぞよ。つきおほかみ様のやうな、りょうけんい はなもあるもとおほかみ様が、さつとなりて、世に落ちておいでされてのかんなん御苦労、それについてはうしとらこんじんわかみことの、神世一代の苦労いたした事は、ふでにもくちにもいいつくされんぞよ。苦労しの神では、このどろうみの世界をかためるといふ事は出来んぞよ。どろは泥、みずみずまして、なにかにをそれぞれそろへて、世界にはなつけ(※1)この世話せわさすために人民のにくたいこしらへてあるのは、天地のもとの神ほねおりであるぞよ。神ばかりではこのけず、じんみんばかりではなほ行けず、ちつたれつのであるぞよ。人民の肉体と申すものは、神のいれものこしらへてあるのじゃぞよ。世界をおさめるたまいれものと、われいちにん守護しゅごいたす容器とけてあるぞよ。それに世界をおさめるたまの肉体は、世におとしてあるなり。いちにんまもる霊魂は全部さっぱりくもりてしまうて、今のていさいであるぞよ。
 神はじんみん世話せわいたすなり。人民は神をうやまふやうに、神と人民とのみちけてあるなれど、今の人民は、神はこのきもの、らんもののやうにおもうて、人民が神の世話をするやうにまんしんいたして、「このは人民よりエライものは無い」ともうして、途中のはなだかがく智慧ちえの出来た人民がりてるが、人民のちからこの何時いつまでもちてくなら、モいち を出していっぱいりて見よれ。「ほそびきふんどし」で彼方あっちずれ此方こっちずれ、ひとつも物事じょうじゅいたしはせんぞよ。

 今の日本の人民には、かんじん日本やまとだましいけてしまうてるぞよ。日本魂ともうすのは、うけおうことちがはんやう、ひとつもうそもうされず行儀ぎょうぎただしう天地の規則をまもたまを申すぞよ。今の人民の申して日本魂やまとだましいとはチットちがふぞよ。日本の国は、日本魂でなくては世がつづかぬ国であるのに、こくの惡神のたまが日本へわたりてて、ひと苦労くろうこのぬすみて、すっぱふの世のもちかたいたして、日本魂のたね無茶むちゃに致して、「自己われさへけらい」と申して、えい耀ようえいほうだいの世のもちかたに、日本のかみわけみたまを上へのしげて、うまことみて、「このままでつづかさう」と思うてる露国のごくあくがみ企謀たくみを、神はよくいて居るから、此方こちらには水もらさん経綸しぐみを致していての二度目の世のたてかへであるぞよ(※2)




(※1)
○「鼻の世の中」 玉鏡(昭5/12)
 いままでくちふでの世の中であったが、もはやはなの世の中になった。かむのをの大神様の御活動期に入つたのである。「せんたんく」と云ふ言葉が流行りゅうこうするが、尖端はすなわち顔の中で一番高いの意味であって、素尊は(なぎのみことの)はなりませる神様である。おしゃべりをめて、よくぎわける世の中、せんぽうの鼻息を考へる世の中、はなだかが鼻をひくうする世の中、高い鼻がけずられてがつく世の中になるのである。昔から「 はな 」と云ふことわざがあるが、これから「はながつく」世の中になるのである。目がと云ふのは人々のこころがあく世の中を云ふので、目鼻がついた世 すなわちミロクの世の中である。鼻はまた進歩発展の意をあらはす。


「大正4年旧11月6日」
「大国常立尊が世界へ現はれて、三千世界の三段に立分けてある霊魂みたまを、それぞれに目鼻を着けねばならん」と云ふ事が、筆先に知らしてあるが、時節が参りて来たから、何も彼も一度に忙しう成るから、日々に出る筆先を見て、其様の行為おこなひを致して下されよ。この筆先は神の言葉の代りに書かすのであるから、変性女子が是からは段々と御役が忙はしうなるから、肩も凝るぞよ。骨も折れるぞよ。二度目の世の立替を致すには、先ず第一ばんに、上中下の立別けてある霊魂に目鼻を着けて、日本の霊ノ元(ひのもと)の生粋の日本魂の其儘の水火いき神が、昔から松心で仕組致した一輪の生花で、手の掌が覆るのであるが、ひらたう言へば肝腎の邪魔に成りて、経綸が潰れるなり。この経綸を潰す様な事でありたら、永い苦労が水の泡に成りて、総損ひに成りて、世界中が難渋を致す様な事がありては成らんから、今が一番に大事 正念場であるぞよ。


○「水も漏らさぬ経綸」 玉鏡(昭7/8)
 たいもう、大望、と御神諭にあるうしとらこんじん様、三千年あまりての御経綸のまくも切っておとさるる時機じき次第しだいちかづきつつあるのであるが、この大神業は人間の想像の範囲はんいだっした目覚めざましいものだと考へらるる。このことを知りたものが世界にたった一人ある。らすと出口なおでもあまりのおどろきとうれしさとにこうがいするによって知らせてない」と申されてる……。
 王仁わたしはかつてわずか金五十銭をもって金龍殿建築に着手したのであるが、周山の山奥でふとたヒントは王仁をしてミロク殿、黄金閣と、次へ次への建築を成就じょうじゅさす動機となった。 王仁が山の辺に立って一服いっぷくして居ると、樵夫きこり達が杉の丸太を伐り出していかだとすべくしもへ下へと流して居る。流すといってもチョロチョロとした細い渓流で、太いはしを流すにやっとぐらいの水量である。どうして太い丸木を流す力などあるもので無い。そこで見て居ると、樵男達はその渓流に一つのせきを造った。だんだんと水がたまって杉丸太をうかべるによい量となると、やがて材木をころがしむ。そして一度に水を切って落すと、ほとばしる水勢によって丸太は勢いよく流れ出す。かくて一本 二本と流し、なりの数に達した時、また第二の堰を切って落す。かくのごときものをたびかさねてついに本流にと流し出し、そこで筏に組んで悠々ゆうゆうたる大河へと運び出す。はしを流すにも足らぬチョロチョロ流れも、おいて、時はゆうに大きな材木を流し出す力となる。
 これだ、王仁はかうした事に教へられて、なり大きな建造もまた他の多くの仕事も易々やすやすとやって来た。だがさうした仕事はうしとらの金神 国常立尊様の御経綸に比較すると、実に千万ぎゅう一毛いちもうにもあたいせぬ事である。
「一度あって二度無い仕組しぐみと、度々たびたび神諭に出て居るが、例へば三千年かかってめたおほきな湖水のやうなもので、いよいよ切って落さるると云ふ事になると、そのいきおいの猛烈もうれつさは想像のほかにあるでは無いか。
 しかも一度って落されたら最後、溜めるのにまた三千年かからねばならぬ訳である。だから「一度あって二度無い仕組」ともうさるるので、この水溜たるや、一寸ちょっとも漏らされぬ仕組、すなわ『水もらさぬ仕組』なのである。
 三千年と云うても実数の三千年では無い、何十万年といふとほ神代かみよの昔からの経綸であるといふ事は、度々たびたび神諭や霊界物語によってしめされて居る通りである。 大本の神業は日に月に進展して、今や全世界にその福音がべ伝へられつつあって、その偉大なる仕事は世人の注目の焦点となって居る。だが、それも経綸しぐみのほんの一部にしかぎないので、此処ここみずたまりがあると云ふ事を知らすめの、ほんのらし水である。神様の御仕事の広大無辺なる事は人間にわかるものでは無いのであるから、かれこれ理屈りくつを云はずに、神様にしたがって信仰をはげむが一等である。
 太平洋の中央には深いみぞ穿うがたれてて大きな烏賊いかが住んで居るが、その烏賊の大きさは直径が三里もあるのである。足の長さは一里にあまり、時々水面に浮び出て大なる漁船などを足でからんでグッと引き込んで仕舞しまひ、悠々海底に沈んで馳走そうにありつくのである。海竜が現はれたなどと云ふのは、実はこの烏賊いかの足なのである。かういふ事を聞いても世人は中々なかなか信用すまいが、事実である。 古事記の八岐やまた大蛇おろちの項を読んで見ると
 「其眼は酸漿ほおずきごとくにあかく、身一つにして頭と尾は八つにわかれ、身にはこけひのき、杉の木などおひしげり、長さ谿たに八谷やたに、山の尾八尾にわたり、其腹はことごとくに常に血ただれたり云々」
 ……とあるが、背に木のえた動物なんかすくなくないので、大地は生き物であると昔から云ふが、大きな陸地だと思うてそのうえうまれ、其上に住み、其上をたがやし、しかして其上に墳墓ふんぼを築いて居ると、実は一つの大きな動物の背の上であったと云ふ、おとぎばなしのやうな事が事実となってあらはれて来ないとも限らない。いや実際さういふ動物が何千年もねむったやうにジッとしてて、一つの大きな島だと思はれて居る動物が居るのである。人間の頭にわいたしらみは、其処そこ安住あんじゅうの地としてそこで生き、子を生み、子孫永久の繁殖を願うて居る。それが人間と云ふ一動物の肉体の一部分であると考へないと同じ事である。かういふ大きな動物が動き出したら、それこそ大変である。世のへのときには、どういふ事が起って来るかもわからないのである。


(※3)「一度あって二度ない仕組」
「明治43年旧4月15日」
 それじやと申して、日本の人民に一人も残らず改心させるといふ間が無い所まで、世が迫りて来て居るから、一人なりとも余計に誠の日本魂に立帰りて下され。万古末代に一度あって二度ない、今度の天地の御用であるぞよ。今度の御用を外すしたらモウ何時になりても取返しはならんから、神がクドウ申すのであるぞよ。一分一厘神の申す事に間違は無いから、安心して神の申すやうに致すが結構であるぞよ。


「大正3年旧7月11日」
 変性男子の身魂も、変性女子の身魂も、三千世界の大化物であるから、霊魂に曇りの有る人民には見当が取れんぞよ。この大化物を世界へ現はして見せたら、どないに悪に強い守護神も人民も、アフンとしたして吃驚いたして、早速には物もよう言はん事が出来するぞよ。昔の根本の世の本から末代の世まで、一度あつて二度ないと言ふやうな、大望な神界かみ現界このよの大立替であるから、「アンナものがコンナものに成りた」と申す経綸であるから、人民では見当は取れん筈であれども、改心いたして神心に立復たちかへりた人民には、明白ありやかによく判る仕組であるぞよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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