『大本神諭』 明治36年旧6月8日

○明治36年旧6月8日(火の巻)

 うしとらこんじんへんじょうなんたまあらはれて世界のしゅいたすには、この世にいままでなかりたことばかりを致さねばならんから、まこと大事業たいまうであるぞよ。ながき世の終末しまひとなりた世の中をたてかへるには、世界の人民をしゅ致してやみくも〔 闇雲 〕の守護神の心が、こんりんざいぐるしき事にりてしまうて、世の立替を致すのにかかりかけが出来んやうな、非道ひど状態ことになりてれども、ドウしても今度はすいしょうかみに立替いたさねばならん、変性男子のたま天職やくであるから、何時いつなおが心配いたすのを、見てる神もつらいから、大本なかの二人と、役員のたまが水晶にみがけて来んと、まことおしえたんから、明治二十五年からのふでさきを、役員と二人とが全部すっかり はらへ入れたら、大きな声でものふのも言へんやうにるから、さう成ってもらはんと、神がおもてあらはれる事が出来んぞよ。このくもりた世をたてかへるには、世間せけんから「ンとした結構なみちである」ともうして、大本なかいでも改心を致すぐらい大本なかから成ってもらはな、まことの神は威勢いせいって、にちにち大本の中の様子を見て、神とぐちとが気苦労を致すぞよ。

 口で言えばかず、ふでせば気にさはるなり。このくもりた世の中の彼方あっち此方こっち一切いっさいの事をかまはねば、物事は成就いたさんし、今ではなおにくたいごころ勝手かってもううに、わがでさへもまだ大本ここへはたちらんうな事なり。かんじんうえかいちょう〔 王仁三郎 〕は一寸すこしちからってれず、いちいち反対ばかりいたすなり。ぐちなおはまだ一人でつらい事なれど、これが変性男子のたまやくであるぞよ。それで、明治二十六年に出口でぐちなおろうりてりに、すいりょうぶしつくりてあるぞよ。「今度の推量節は何処どこから流行はやる、あやぐちしきから、すいりょうすいりょう」ともうしてあるぞよ。出口がしきろうへ入りており、夜の十一時と思ふ時分じぶんに、二十歳はたちぐらいな声で、二人が牢のそばで「推量、推量」とうたうてる声が致した事がありたが、あくの朝になりて、みょうじんたかくらいなおにたけなり(※1)でありたが、推量節を唐土からてんじくひろめにくのでありたと云ふ事が、なおわかりて喜びたぞよ。

 推量節が流行はやりるやうに成りたならば、わかりて来るなれど、「〔 せい 〕きちの心と、出口の心をすいりょうせい」との歌でありたぞよ。それから十一年の今日になるまでの出口なおの気苦労ともうすものは、ひととほりの苦労では無いが、どの教祖でもなかなかの苦労を致しておれるが、このあやうしとらこんじんを世に出す教祖は、一層いっそうほねが折れるから、普通のたまでは、世に落ちた地のせんいきがみを世に出すと云ふ事はむずしひぞよ。あとつぎと成る人が、山奥にかがみてようおちいた、なにごとが出て来てもビクともせぬ大精神たましひになりて下さらねば、今のうな状態ことでは、うしとらこんじんくにとこたちのみことと世界へあらはれて(※2)、昔からのいんねんを神のそばひきして話して、世界の人民にかすと言ふとこへは、だ行かんぞよ。わがや世界の良くなる事ばかりを何程なんぼ待ちて居りても、かんじん行状おこなひが出来んと、まこといきがみが世界の表面おもてにでたところで、そこらがみぐるしくて、神のとこも無いぞよ。にわかとちめんぼうをふりて、神徳おかげおちうな失態ことのないやうにどうえて居らんと、これからの世界は、一日しにはげしく成りて来るぞよ。チョロコイ精神こころでは、こんなまことの神の御用はつとまらんぞよ。うしとらこんじんが肉体へりてしょうまつの御用いたすのは、変性男子のたまで無いと、イツまでかかりたとて、今度の二度目の神政成就たてかえ経綸しぐみは、人民の知らん事であるから、むずしいのじゃぞよ。今が世界おほせんたく初発しょっぱなであるから、斯大本ここへ立寄る人は、余程精神こころあらためて来てくだされよ。今は初頭かかりであれども、しにつらくなるから、そのかくをいたして居らんと、ほかの教会のかたとは、全然さっぱり天地の相違ちがいであるから、めいめいに身魂を審判あらためられるとつらいぞよ。これまでの世界は、食国くにの守護でありたから、ドンナ行為ことを致して居りてもばちあたらず、大惡人のるにごうく出来てりて、神のやくと云ふものも、微弱すこしぐらいよりあらはれなんだが、これからは神界かげ調あらためてある事を、厳重にあらはしてしまふぞよ。

 この世がこうことみだれてると云ふ事を、出口なおの一番姉娘のよね〔 註:おほつきよね 〕にして見せてあるから、これを見て、この大本なかたちひとこころくだされよ。わがにして見せねば、ひと斯大本ここからきずけられんから、神とぐちの心を推量いたして、めいめいたまみがいて、日本やまとだましひりて下されよ。今の世の中に、きよらかな水晶の人民は何程なんぼも無いぞよ。どれもみな深い罪過めぐりがちじゃぞよ。誰も雪隠せんち〔 トイレ 〕でまんじゅうふたやうな顔を致してれど、神界かげではモウ何事もよく調しらべてあるから、斯大本ここ立寄たちよらうと思ふ人は、たれらずきびしき調あらためを致すから、その覚悟かくごりてくだされよ。わが、人の子、親、兄弟のへだては出来んのが、神界の規則であるぞよ。かいしん出来できた守護神に使はれて居るたまく成るし、まことわからん守護神に使はれて居る人民はあいそうなから、「うへから改心〔 かいしん 〕をさせねばらん」ともうして、筆先に毎度してけてあるぞよ。
 何事も時節じせつちかよりたから、変性男子の御役おやくまことつらいぞよ。人にはせられんつまらん事をわがして、かがみしておいて、人の心をなおさねば成らんと云ふ、まことつらい変性男子の天職やくであるぞよ。からしもまで、すみから隅まで、さっ暗黒界やみよりてる世をこんぽんから立替て、昔のかみの政治に戻さねば成らん、神界からの御役であるぞよ。世界が総体みな泥水同様によごれてるのを、綾部の大本ここからまして、水晶の清らかな世に改復いたさねばならんから、これまでのやうな行状おこなひて居りては、世がもとの水晶の神代へ戻らんから、これから大本ここの中は神がいちいち気をけるから、一日しに激しく成る。斯大本ここりてて、陽気な気楽な精神こころでは、いっときの間も居る事は出来ぬやうに致すぞよ。出口のくちもうかはりに、筆先にかかしてあるから、此大本ここへ改心をいたして来たなれば、ほかではわからん結構けっこうな事を言うて聞かして、たまみがいて、日本やまとだましひたねに致してるから、タタキおとしても人からはらん神徳おかげたしてかへしてるなれど、そんな人民が無いのでなかなか骨が折れるぞよ。何事も神の経綸しぐみの早くわかるのは、良き守護神のかかりて居る人民であるぞよ。うしとらこんじんの気に合ふ身魂は、いちを申せば十を感得とりて、くばこころくばりをいたし、人の心がくやうに成らねば、まこと神界かみの肝腎の御用はつとまらんぞよ。我身が苦労いたして、人に罪穢めぐりつませんやう、我身はぎにして他人ひとかれの心でないと、真の神の心にかなはんぞよ。この心のある身魂でありたなら、一旦いったんは人より一倍苦労くろうを致さねば成らぬなれど、神界からその精神こころの者は、なにの事を守護いたすから、なにごとも思ふやうにくなれど、それは水晶のたまみがかんと、くもりがありてはこのおもふやうには行きはせんぞよ。思ふやうに斯世で行かんのは、われの心のもちかたちがうて居るのであるから、熟々裡じっくりと考へてるが良いぞよ。
 大本ここの明治二十五年からのふでさきを、おちの無いやうに見たなれば、何事にもはらたぬやうにるし、いちいちわれこころはずかしうて、だまりてりてかいしん出来できるなれど、あま激烈ひどい曇りうで、斯大本ここ罪穢めぐりを持って来るばかりであるぞよ。どんなおもい罪穢も、大本ここひきけてるなれど、りょうけんもちへてくれれんと、これからは今迄のうに思ふて来ると、なんと無くづかひで、罪穢めぐりはらうてもらふ所まで、しんぼういたさんぞ。このたかあまはらへ何もかまはずに上りて来ても、その行状おこなひが出来んと、途中でかはるやうな事では、かえって神界に罪穢めぐりむ事になるぞよ。初発しょっぱつくても、しりすぼまりはうしとらの金神 見る眼がつらいから、初発からじゅうぶんに心得て、まことみちひとあしひとあしと、段々に高天原へげて貰ふ様に謹慎つつみて、だんの無きうに身魂をみがいてくだされよ。高天原の神のおせきつらねていただけば、人民は神のわけたまであるから、んな事でも出来るやうの神徳おかげさずかるのであるぞよ。

 今ではまだわかりてらんから、ほどには無いなれど、あっ表面おもてあらはれたら、モウ一度たま審査あらためるから、すと気の毒な身魂がたくさんにあるから、其処そこへ成りて来て、あま明白はっきり審判わかると可哀相なから、めいめいに判らんうちこころかんと、はずかしき事がしゅったいいたすぞよ。余りむきもうすと、誰もようたちらんから、口と筆とでひかへるだけは控へて知らして置くぞよ。
 今度のななしゃ参拝まいり(※3)の御供は、「われも、わしも」と申して、参拝いたすのは結構ではあれども、へんじょうなんへんじょうにょと、りゅうぐうおと殿きんかつかねかみ〔 金勝要之神 〕殿のこんそろうたれいやら、三代のつぎさずけてもらうた御礼やら、結構に神界の経綸しぐみの成就いたしたたいもうな事の御礼やら、しゅみせんざんで神界のいわを開いた御礼やら、うぶすなうじがみさまにくにぐにところどころうじかまうて貰ふねがひやら、大望な神業ことばかりであるから、何にけてもこの大本の御用は気づかひな事ばかりで、人民には一寸ちょっとも知らん事であるから、昔からだこの世に無き事やら、人民の知らぬ事をきに知らして、世界の人民に改心をさせて、三千世界をひとつにまるめて、日本と外国とのたまたてけて、日本のたま日本魂やまとだましひばかりをよりて、日本は神国、であると云ふ事を、斯大本ここから世界へ模範てほんを出して見せねばらぬ所であるから、今度七社の神へれい参拝まいりを致すのは、むかしから無き事の深いいんねんのある、大望な神業ことであるから、余程みなが清らかな心にりて、後戻りをせぬやうにこころなされよ。

 変性男子と変性女子もさっしゅかはりて、ひつじさるこんじんの守護と成りた御礼やら、またこの先の日本とこくおほ戦争たたかひや、世界中のおほ戦争いくさ御冥助おたすけねがひや、色々の深い経綸しぐみの御礼の参拝であるから、今度の参拝のともした人に、よく言ひ付けておくぞよ。今度の御供をいたしてから、心間違ひや神の気勘きかんかなはぬ事がありたら、だれかれらずこれからはきびしき懲戒みせしめをいたすから、この心得を胸にはなさぬ様に致されよ。御供さへ致したら、すぐに良いやくもらへるやうに思うて居ると、りょうけんが違ふぞよ。まだまだこれから世界がるく成りて来るから、我一人の御蔭おかげいただところへは行かんから、ぐちの手で気をけておくぞよ。三千世界の世のたてかへであるから、我身わがみ都合つごうの良い事ばかりを待ちてりても、一旦いったん世界がりんまで行くから、まつの心で神の道に歩みて居らんと、ジリジリ煩悶もだへいたす事が出て来るぞよ。




(※1)
○鬼嶽稲荷神社は、丹後・大江山の山腹に位置する神社。もとは御嶽神社であったとも。


(※2)
○「艮の金神が国常立尊と現はれて・・・」 出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(3)より
比村「物語に、男の人が改心すると女神さんが現はれます。あれはやさしいという事を表しておられるのでしょうか」
聖師「愛をあらはしているのだ。愛は女性的のもの。愛の女神といって女は愛で男は勇気をつかさどる。『うしとらこんじんわかひめみのみことたまりてぐちかみあらはれる』・・・といてあるが、教祖はんは稚姫岐美命の生まれ変わりだ。それの体をって、霊を借って、教祖とあらはれたのだ。いわゆるくにとこたちのみことは稚姫岐美命であり、稚姫岐美命は出口なおであり、という事になっている。かみ“と”あらはれるのや。かみ“に”なるのじゃない。さけんで首を振ってとら“に”なるのだったら本当のとらになるのだ、が虎“と”なるのだ」


(※3)
○七社参り
あやの町にある七つのうぶすな神社。くましんぐうしゃ、若宮八幡神社、八幡宮、二宮神社、三宮神社、笠原神社、いつき神社。1903年(明治36年)7月20日、出口直開祖・王仁三郎聖師以下は福知山の一宮神社(開祖産土神社、おほ己貴なむちのみこと)を参拝。翌日夕刻、綾部の熊野新宮社と若宮八幡神社を参拝。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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