『大本神諭』 明治35年旧4月3日

○明治35年旧4月3日(火の巻)

 うしとらこんじんぐちの神とあらはれて、たてかえしゅいたすぞよ。さかさまなりるのを、うしとらこんじん表面おもてて、出口でぐちとりつぎもともどすぞよ。このかみおもてになりたら、次にりゅうぐうおとひめ様があらはれなさるぞよ(※1)。改心〔 かいしん 〕のはや出来できかたから、出世しゅっせをさすのであるから、今度は自我りて居るほど出世が遅くなるぞよ。へんじょうにょもチトを折らんと、皆がなんじゅういたすぞよ。今度の仕組しぐみうしとらこんじんもうすやうに致さねば、よこ経綸しぐみらうと思うたとて、先にほど行き当りて、物事が遅れてみなが苦しむばかりであるから、一日も早く守護にかからんと、なかなか大望であるぞよ。
 このおほもとに世界の所作しょさがらがさして見せてあるから、この大本の様子をく見ておくがよいぞよ。大本にりたことは世界に皆あるぞよ。明治25年からぐちに言はす事は、ひとつもかはりた事ははして無いぞよ。おなじ事ばかりが言はしてあるぞよ。世界中の事であるから、ふでさきに出した事は、みな世界からだんだんと出て来て居るのに、うたがうて誤解とりちがひを致して居るぞよ。人が死なうが、世界が潰れやうが、おほぜいの人民が苦しまうが、「自分われさへ良けりや良い」といふやうな心で居ると、われが先に泥溝どぶはまって、苦しむ事が出来てくるぞよ。「ひとを人を」と思ふ、まことぜん精神こころでさへありたなれば、神が見届けて、そのうえでその人を助ける神であるなれど、しんじんをいたして、間違うた心でこの大本なかへ来ておると、大変につらい事に成るぞよ。この大本は世界の調査あらためを致すとおとい所であるのに、皆のものが罪科めぐりを持って来ておいて、われうまい目的がはずれたとを申して、反対あらこらに大本をうらめるやうな心で居りたら、かんじん罪科めぐりが取れずにえるばかりであるから、ながらく苦しみがあるから、この大本なか這入はいりて居りて、神や出口をうらめるやうな精神でありたら、だ苦しみが出来るぞよ。ここひきして、早く改心さして、良くしてりたいと思ふて致す事を、さかに取るから、ものごとが逆様にかへりてしまふぞよ。それで、ふでさきはんとおもうたら、自分われはらなかかんがへてよれ」と申すのじゃ。「ちがふ精神がありたら、物事が違うて来る」と申して、筆先にしてあらうがな。この筆先はひとつも違う事はかかしてないぞよ。おそはやしはあるなれど、ながらくの経綸であるから、きに来る事ばかりは無いなれども、うそはチットも書して無いぞよ。く見てれよ。おひおひと出て来るぞよ。
 世に出てかたに、チットはげしき神様ばかりが表にあらはれなさると、世界は激しくなるから、そこに成ると、世界の罪穢めぐりみなわかりて来るから、めいめい罪科めぐりの有る事はわからんから、だ神をうらめるものが多数たっぴつに出て来るぞよ。罪科償却めぐりの出て来るのは、世界はこれからであるぞよ。高いところのぼりて、エラサウにいたしてりた人民、チツトこれからは気の毒な事にかはるぞよ。そこになりてから神にすがりたとて、ききみは無いぞよ。目のさめる人民、世界にはだい出来るぞよ。「世はもちりにはせん」と申して、まい筆先にしてあらうがな。この世が来るから、ぐちに口で言はせ、筆先にかかして、知らしてりたなれど、うたがいがながきゆえ、あけからすと致して眼をまして見せるぞよ。遅くなるほど世界はわるくなるぞよ。このおほもとは、御在おいでかみさまと、ちてかみとは、おもひがちがふから、心がはんはずの事じゃぞよ。この世が余りみだれて、持てんやうに成りたから、世にあらはれて世のたてなほしを致す神と、このまま何時いつまでもつづかしてゆかうとする神とのたたかひであるから、この大本はむつしいのじゃぞよ。今度は、いままでに世に出て居りて世をもちあらした神と、ちからくらべを致すのであるから、いまは神界では神と神とのおほ戦争たたかひであるぞよ
 このあやおほもとは、世界せかい出来でててくることを、さき実地じっちかたをしてせてあるからじゅうぶんけてかんがへておくがいぞよ。大本は、病気なおしのやうなちいさいところでは無いから、誰も大きな心で来てもらはんと、りょうけんが違ふぞよ。何事なりとも頼めばききずみはあれども、うしとらこんじんは、このみだれた世をたてなおしを致すたいもうな御役目であるから、手をはしておがみて居るばかりでは何もわからんぞよ。今迄のきたない心を捨ててしまうて、まことひとつのかみごころになりてんと、何も判らんぞよ。いつも「かいしん、改心」と申すのは、「今迄の心をさっへてれ」と申すのじやぞよ。おほもとみちは、為安しよい信心の出来にくいみちであるぞよ。うまい事もうして人をひきして、陽気ようき信心しんじんするやうな教会のかたとは違ふから、なにけて骨が折れるなれど、三千年のこの仕組しぐみはなひらせつまいりたのであるから、いよいよ今度はうえしたかへるのであるから、神にもぶつにも人民にも知らしてあれども、今に置き、このままこのが先にけるやうに思うてを張りて居ると、誰にらず、げもおろろしもらん事になりてるぞよ。
 先の見えるがまことかみであるぞよ。誠とふものはえらいものであるなれど、まことなきひとは途中で物がかわるから、今度の事はまことつらかねばならんから、うしとらこんじんおしえは骨が折れるなれど、つらいたならば、この世にはこはの無き神であるぞよ。今の人民に、この御用をつとげるたまは少ないぞよ。人民の身魂みたまは、もとは神のわけたまであるから、みがけばるなれど、今のくもりた人民はなかなか早速さっそくみがけんから、これだけが骨が折れるなれど、このおほもと御用ごよういたす身魂みたま多人数おほぜいらぬなれど、何程なんぼ神がきかかしても、聞く人民がちょっといから、世界の物事がおそくなるのであるぞよ。何時いつまでおなじ事を申して居りても、さかさまになりて居るのであるから、良き事をもうせばわるく見えるなり。わるい事を致しても、人をたばかりても、ぶり良く致せば、今の時節じせつは人からほめ時節じせつであるから、心がひさうな事は無いなれど、これでも時節がまゐりたから、あくではもうちてはかぬから、早く改心いたしてまことの心になりて、日本の人民の行状おこなひを致さぬ事には、神はききき事になりたぞよ。日本も外国と同じ精神にりてしまうて居るから、二度目のたてかへが始りたら、余り大きなとりちがひで、かどへも出られんやうにはずかしうるから、改心するなら今のうちであるぞよ。今にてんかへりてて、上が下になり、下が上に成りて、さんぜん世界せかい一度いちどひらうめはなうめいちりん経綸しぐみばな時節じせつちかよりたぞよ。




(※1)
○出口王仁三郎著「竜宮の乙姫様」 (水鏡、昭3/2)
 りゅうぐうの乙姫〔 おと 〕とふのは、りゅうぐうやかたの一番のすえむすめすなわち二代(出口)すみことである。
〔 現代注:ただし澄子さんはきんかつかなめかみでもあるといふ。また神界的には、出口さぶろう聖師となお開祖が御夫婦、澄子すみこさんは御二人の子供であるとふ。 〕


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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