『大本神諭』 明治33年閏8月1日

○明治33年閏8月1日(火の巻)

うしとらの金神がぐちの手を借りて、何事も前日まへつ前日に知らせ置くぞよ。これまでの世とは全部さっぱり変るぞよ。明治25年から、「法律もかわる、国会も、人民の力で何時までかかりて居りても、まことの国会は開けん」と申して、筆先に出して有らうがな。みな出て来るぞよ。一度に開く梅の花、人民の身魂みたまあらため致して在れど、立替いたさな成らんから、たいもうであるから、この世のもとこしらへた神がしょうまつで居りて、かげから加護かばうて居りたから、この世が潰れずにりたなれど、世の元の神が霊魂みたまに成りて居りたら、今度の世の立替は出来んのじゃぞよ。綾部の元は今では分らねど、神が表面おもてに現はれて守護いたす様になりたら、やかましく成るぞよ。今申しても誰も真に致さんから、筆先に書いてあるから、せんぐりに出して見て下されよ。天○○○にも中々心配が出来るぞよ。それについては、一旦いったんしもじもも悪く成るぞよ。
 かねは引上げに成るぞよ。今迄の世はぶつの世でありたから、仏事のはじまりはモチト力が有りたなれど、神力とはた違ふぞよ。方便やまこで道をひろめても、ながうは続かんぞよ。真実せつまつの固まりたので無いと、万古末代は続かんぞよ。今度の事を致すのにも、余り世が乱れて居りて、人民どころか、神までがほうだいに致すやうに成りて居るから、世の立替に中々なかなか骨が折れるぞよ。この神は、この時節じせつ、暗闇の中でこしらへたので在るから、水晶の取次は今では何程なんぼも無けれども、世の立替を致すに就いて、くろずみてんりんわうみょうれいいろいろ先走りに、こんくわう殿も皆このほうの経綸であるぞよ。
 ぐるしき世の中であるから、無茶苦茶であるから、ましな人民からつなけて、神界からの御仕組で神はけ致して、さきばしりに御苦労に成りたのであるから、世の立替は存知ぞんじなれど、うしとらの金神の経綸しぐみて居る事は、神界にも御存知なき神ちじやぞよ。それで六ヶ敷むずかしいのじゃぞよ。これから表に現はれて、全部さっぱり神のとりつぎから、あらため致すぞよ。今の人民に水晶の人民は無けれど、身魂のせんたく〔 選択 〕をした上で、チトましなものから、それだけの御用に使ふぞよ。何事にも元がくないと、何程なんぼ洗濯いたしても、真のすいしょうだまには成らねども、元の性質せいらいの良きものは、みがいたら良くなるから、今度の御用は身魂みたま次第で、如何どんな神徳ももらへるぞよ。早く神の御用をいたして下され。
 みな信心が間違うて居るぞよ。この大望な事を致して居るのに、自己われの目的を立てる用意ばかり。まことが無いので苦労するのは、苦労ばかり致さんならず、代りと云ふ事も出来んぞよ。今度出て参る四人のものは、変な人ばかり。今では何もわかるまいがな。今はこのひろまえはワヤでらうがな。これは神からわざとにして見せて有るから、つけとめて置いて下され。世界は皆この通りであるぞよ。何でも筆先に書かしたら皆でてくるぞよ。出口に実際せうまつを書かすから、それを上田かいちょう〔 出口王仁三郎 〕がううつして、こまかういて聞かせるやくなり。この筆先で昔からの事がわかるので有るから、これを一字もなおしたら、はんやうに成るぞよ(※1)大変どえらい気附けを致すぞよ。元の筆先は返して下されよ。元のはらんぞよ。筆先で手柄を致さうと思うて、大変に隠して居るが、ソンナ精神では神は利益はらんぞよ。「筆先が結構じゃ」ともうして、持って居りたとて、筆先がひとすじわかりてはるまいがな。眼のどころが違うて居るから、思わくも違うのじやぞよ。心けの事より神はさんぞよ。人をだますとまた欺されるし、心次第の事をさすぞよ。みな我身の心を考へてるが良いぞよ。誠の人には誠の事ができる。良い御利益おかげはチット遅いなれど、出口にもうして有るが、誠の人程御蔭おかげは遅いなれど、結構な事に成るぞよ。えんごくから参りて来たとても、神を松魚節かつおぶしに致して、わがの目的を立てに来ても、十分の事は無いぞよ(※2)

 親が御蔭を貰うて居りたとて、子が良く成るに限らんぞよ。親に悪心わるぎが有りたとて、一人のそのにん霊魂みたまみな違ふから、神はく調べて有るから、同じ兄弟姉妹でも一人一人違ふぞよ。霊魂の因縁にって、それぞれの事をさすぞよ。今度は昔から無き事じゃぞよ。今度の世の立替を致したら、万古末代つづかす経綸がして有るのじやぞよ。そこの分らん仕組をして居るぞよ。此方の申す事をそむいて致した事は、スコタンばかり。



(※1)
○井上留五郎著 出口王仁三郎監修『暁の烏』(天声社、大正15年) 第七章「御筆先(神諭)に就て」
 凡て世界各種の経典や教義に対する説き方は、対内的と対外的、即ち自国の人と外人とに対して自ら二様の区別が出来て居る事は、宗教研究家の既知して居る所であります。
 大本も彌々世界的となりましたから、御神諭も爰に対外的として説き方が多少変って来る箇所があるのであります。併し此御神諭の説き様によりての訂正は、聖師様のみに権限されて居る事は御筆先に明示してある所であります。是について彼の『御筆先は一字も直してはならぬ云々』の御神諭を誤解して居った人もある様でありますが、其御筆先は明治三十三年に出されたもので、当時役員は日々出る御筆先を筆寫する事を一つの課程として居たのでありまして、馴るに従い、重複したように思はるる箇所、又解りかねる所などを勝手に直した事があったので、それを戒められた御筆先であります。聖師様に対する特権は索引によって御参照を願います。
 又既に訂正済みとなった御神諭は、天の巻及び火の巻に掲載された御神諭であって、意義には豪末も変りはありませぬ。例えば『外国の四つ足身魂』が『邪神界の悪の身魂』と訂正してある如きであります。
 現在大本では、この訂正済みの御神諭及び霊界物語の一部を英語、支那語、エスペラント語の三通りに訳して出版されつつあります。又この訂正済みの御神諭は、宣伝用として天声社より出版さるる筈であります。
 ついでに御筆先と御神諭との区別について申添えておきます。御筆先は開祖様の「いろは」で御書きになった原文を云うのであって、御神諭は聖師様により原文の字義を明瞭にすべく漢字交じりにして発表されたものであります。


(※2)
○「神を松魚節に致して、我身の目的を立てに来ても・・・」
上野公園さん・人に内在する良心神ブログより『言葉の妙Ⅱ、言葉が教える蛇や狐や狸や猫や羊霊の意味 猫神編

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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