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『大本神諭』 明治31年11月30日/皇道は神に基く/大本は型の出る所

○明治31年11月30日(火の巻)

 うしとらこんじんへんぜうなんたまが、スックリあらはられる時節じせつまいり来て、世界にはさわがしき事が始まるぞよ。世界のおほせんたく〔 大選択 〕が始まると、かみいったんは破れるし、しもげてしまふぞよ。かみ〔 神 〕からけがれてて居るから、しもせいとうは出来は致さんぞよ。こう成る事は、前の世からく判りて居る。もとからのいきがみで無いと、三千世界の世を持つのは、自己われよしのかたではこの世は持てんぞよ。かみ〔 神 〕のたいしょうを致すものが、「自分われからくしていて、人をあとまわし」といふうな精神でありたら、この世がおさまると云ふことは、何時になりても無いぞよ。下方しもを上に立ちて居るものが、守護かまうらねば、この世には口舌くぜつが絶えは致さんぞよ。「これまでの世は強いものがち」ともうすのは、われかれのかたで有りたから、世界が如此こんな困難な事が出て来たのでるぞよ。
 かみ〔 神 〕のいちばんたいしょうわるいのでい、いちばんとうせいが悪きゆえであるぞよ。
 安逸らくほういから、そのかたさくらはなじゃ(※1)。是迄の世は花の世で、紫陽花あじさいの世で、みのりの致さん世の持方であるから、国はながうは栄えん、惡の世で在りたぞよ。余程の苦労を致さねば、みのりはいたさんぞよ。二度目の世の立替を致したら、うしとらこんじんが現はれて、苦労いたして、ながらく世に落ちて居りた神を、世に上げるぞよ。昔からまちがれたまつが参りて、変性男子の苦労の凝固かたまりの花がひらく世に成りたから、今が天地がへるさかい〔 境 〕となりて、かみへ上りて居る人民が、くるしみが一旦いったんは出来るから、の無い内から知らしたが、時節が来たぞよ。昔の世はかみしもで、なにことが儀式が立ちて、規律が良く付いて居りたなれど、外国のおしえいと申して、現代このよたいしょうまでもようふくて、くつうな時節じせつに成りてしまふて、かみしも全然さっぱり破れて、間に合はん事に成りて居りたなれど、矢張やはり日本はかみしもそろはんと、ぜつえんから、昨年から大本には、やぶれた裃をほどいて、全部さっぱりよこいとりて、世のツクネなおしのしるしをして見せたぞよ。そのはた〔 旗 〕はすみしょうまつはた〔 旗 〕をる、おりの筆先で在るが、綾部あやべおほもとりた事はみな世界に在るぞよ(※2)。何もおほもとにして見せるぞよ。よくおほもとの中の所作柄しょさがらかんと、かんじん経綸しくみわかりかけが致さんから、筆先をじゅうぶんに見つめて居らんと、人民のちょっとにはわからん仕組しくみであるから、さしぞえの役員は、とりおとしの無いやうにしてくだされよ。まんまつだいのこおほもとの中にりたことは、あだな事はひとつも無いぞよ。これまでの世は、「思ふやうにかんが浮世うきよ」と申したなれど、二度目の世の立替を致して、世のもとの神かまふやうに成りたら、神にしたがへば何事もはこしたうにるぞよ。




(※1)「桜の花は実りがない」
○出口王仁三郎著 『惟神の道』(昭和10年12月 第二次大本事件直前)「皇道は神に基く」より
 明治めいじ三十一年から約四十年にわたって、終始しゅうしいっかんこうどうせいしんはつやうためささげてた。
 その間、がいそんないたかしほつつみけっしておしせるまっただなかに、全身にまつびながらそれをふせがうと血みどろにたたかった時代もあった。あるひらんまんほこる欧米物質文化のはなぞのから静かに退しりぞいていっかくに生命の種子たねき、その若芽をはぐくんだ時代もあった。豪雨ごううくるしっぷうすさ覇道はどうぶんめいげきらうに、ノアのはこぶねいでかみすくひの御手みてきたれとぜっきょうした時代もあった。
 くしてあるひいくたび刺客しかくはくじんくぐり、あるひばんにん罵詈ばりてうせういっしんびてれいごくの人となり、或は蒙古もうここうげんとらはれて死刑しけいせんこくを受けた。しかしこの数奇すうききはめたわがはんせいいっかんしてみちびいたものはただ神につかへる真心まごころこうこくおもじゅんじょう以外いがいなにものもなかったのである。
      ○
 まんしゅう事変じへんとっぱつと共に、にっぽんせいしんかへれ、こうどう精神に目覚めざめよ、のさけびがたからかにとなへられた。しかして皇道の研究がそつぜんとしておこり、にっぽん主義しゅぎよみものたちまてんとうめるの偉観いかんていした。そのありさまはこれをたとふれば、はるかぜこずえらすさくらはなともいふべきかとほはなれてそれをながめるものも、したかげはなころもひとも、いまさかりのいろひ、ぎにしふゆさむさをわすれ、明日あすにもきたらむあらしらぬ風情ふぜいであった。
 まことに、がくしゃをしふるかむながらみち思想家しそうかく皇道精神、そしてぐんじんさけぶ日本主義、すべないようせいさいきはかうみょうつくまたせいりょくあふるるものがあった。四十年間脇目わきめらず、あらゆる試練しれんくぐってこうどういっぽんつきすすんで自分じぶんでさへも、いまさらやうおもはず見張みはらなければならなかった。
 しかは、こうどうさけひとびとおほくがもっとかんじんいちゆるがせにしてやうかんぜられた。しからばもっとたいせつな一事とはなにか。こうどうかみよりはっするみちであるといふことである。ゆゑに皇道にかんするひゃく理論りろんよりも、大切なのはけいしんの一事である。かむながらことあげせぬくににっぽんほんぜん姿すがたである。だからしてじんじゃさんぱいじっかうしないものに皇道がわかはずはない。かみさま吾家わがやいつかざるものかむながらのみち資格しかくかみいっさいささげ、かみこころんでこそ、はじめて皇道のしんたいれることが出来できるものである。かみこうどうみのことなきあだばなである。假令たとへしき色香いろかいても、みのらぬはなさかえない。ながあひだ
さんぜん世界せかいいちひらうめはなひらいてりてむすぶ』
…とったのは此処ここのことである。ひらいてりてむすぶ、ひらいたはならねばならぬ。そしてったあとおいはじめてあだはなじつはなわかってるものである。
〔 私註:明治維新以降の大日本帝国(天皇)とてんのうだいげんすいを頂点とする大日本帝国陸海軍は、太平洋戦争でべいこくらされた。大日本帝国陸軍のぼうしょうぼうせいで、近衛このえ師団しだんつき桜葉さくらばが付く。大日本帝国海軍の帽章も桜葉を基調とする。出口でぐちなお開祖とさぶろう聖師の大本(うしとらこんじん)も第一次・第二次大本事件で散った。まことはな何方どちらか? 〕
       ○
 満州事変直後ちょくごこうどううしほほうはいとして高鳴たかなときいまにも昭和しょうわ維新ゐしんがんぜんじつげんするかのごといきほひしめした。じつここすうねんかんに、皇道のはたかかげてかくしんにっぽんぜんせんおどた人々は無數むすうである。
 しかし、ひらいてりてむすぶ、開いた花はらねばならぬ。今や皇道運動者にたてわけあらしいてる。それはいち通過つうかせねばならぬひつぜんうんめいである。いちめん、これがはやることをたいぼうしてたのである。国家こっか大事だいじものは、如何いかなる時代じだいいてもかね生命いのちらぬせきせいでなければならない。ゆゑしんかみしんずるもののみは、いよいよしんさんくははりますます試練しれんかさなるにつけて、かんせいちかづけりとこころ歓喜かんきおぼえるものである。えいえんさかえのむすものは、ただ神を信じ神の御心みこころきるもののみである。


大本神諭「明治36年旧6月4日」
 今度綾部の大本に咲く花は、昔からの苦労の凝塊(かたまり)であるから、咲いたら万古末代萎れぬ花であるぞよ。珍しき、世界にまたと無い結構な花であるぞよ。世界の大本と成る大望な処が、こんな粗末な所であるから、今から嬉しいやうな事をして見せたら、人民と申すものは近慾なものであるから、「結構」と申して皆が集りて来るなれど、早く咲くやうな花は、散るのも速いぞよ。
 今度大本に咲く花は、苦労口惜しの凝まった、神国の実りのいたす生き花であるから、変性男子と変性女子と、龍宮の乙姫どのと禁闕金の神と、四魂揃うて世に落ちて居りた霊魂が御用いたして、神国の光を出すのであるぞよ。今迄世に出て落ちて居りた霊魂が御用いたして、神国の光を出すのであるぞよ。今迄世に出て居れた神様も、この世の上に立ちて居りた守護神も、改心なされて、一つの道へ立帰りて、日本の中の御守護遊ばすやうに成りたら、真に結構であるぞよ。艮の金神は独り手柄をするので無いぞよ。皆手を引合ふて、揃ふて良くなりて喜こばしたいのであるなれど、皆取り様が違うて居るぞよ。小さい心の人民、神は嫌ひ。梅は咲く、桜は枯れる、竹は倒れる、松は栄える世が参りたから、日本の人民揃ふて、外国よりも先に改心いたして下されよ。竹は倒れる、桜は散る世がまいりたぞよ。松と梅とは日本なり。竹は害国に譬へてあるなり、桜は仏に譬へてあるから、心で汲み取りで下され。松と梅の心で無いと、日本の国に居りての守護が出来ん事になるから、明治二十五年から気を注けてありたぞよ。


(※2)
○出口王仁三郎著「大本は型の出る所」(玉鏡、昭8/8)
 おほもとりたことはみな世界にある、すなわち大本はかたをするところである」ふでさきことみなってるところである。ゆゑかたを、かたをとすようにせねばらぬのであるが、さうばかりもかぬのはまことざんねんな事である。おほもとまった正義せいぎだんたいであるにもかかはらずつねうたがひのみょうをもってられてる。大正十年におこった大本事件のごときは、当時幾何いくら誠意せいいちんじゅつをしても、それがれられないで、あたかも大本はよこがみやぶりでもするごとく、すべてがられてった。今世界に対する日本の立場がまったく大本のそれとおなじで、正義のしゅちょうひとつもとほらぬのである。松岡〔 まつおかようすけ外務大臣 〕ぜんけんのあのせいせいどうどう議論ぎろんたいしても、あたかも横紙破りの主張を日本がしてゐるやうに世界せかいかっこく誤認ごにんして、日本のぶんが一つもとおらなかったのである。しかし最後さいごおほ/rt>もとてんおんに浴し、公訴こうそけんしょうめつによってまったせいてんはくじつもと白紙はくしじょうたいにかへったごとく世界から日本の正義をみとめられるがやがてはるであらうけれど、そのあいだ日本はかなりの苦痛くつうめさせらるることであらう。おほもとは七年間はくがいこうげきうずなかいんにん自重じちょうして来たのである。日本にほん最後さいごにはきっとくなるのであるからいんにんせねばならぬ。

〔 私註:第一次大本事件=太平洋戦争だとしたら、第二次大本事件=? 〕


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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