『大本神諭』 明治…年…月…日(火の巻)

○明治…年…月…日(火の巻)

 至仁至愛みろくかみ(※1)御出おでましになりなさる時節じせつが参りて、おほくにとこたちのみことぐちらしていた世がせまりて来たから、世界中の人民がかいしんを致さねば、この世ではモういっすんも先へはけず、後へ戻ることも出来できんぞよ。
 此世このよの来ることを、明治二十五年から今につづいて知らしておるのに、チットモききれがいが、くに同士どうしの人の殺し合ひといふやうな、こんなつまらんことはないぞよ。
 一人のじんみんでも神からは大切であるのに、くっきょうざかりの人民が皆なりて、としより小児こどもばかり残して、あとさきかまはずのやりかたであるぞよ。こんなおほきな天地てんちつみおかして、まだ人の国まで取らうと致しておるのは、むこさきの見えぬあく所作しょさであるから、どの国がちゅうさいに出ても、天地の大神のゆるしのなき事には、いつまでもらちかぬぞよ。かけたふねであるから、どちらの船も後へく事もならず、すすむ事も出来ず、まことのちゅうさいもはいらず、つまらん事がるから、外国のしゅごうじんながらくの間、気が付けてありたぞよ。

「あまりが強いとしくじるぞよ」と、何時いつふでさきで気がけてあるぞよ。「何国どこにもけん強い国であると思うて、われよしのやりかたでがんると、為損しそこなひが出来るから」ともうして、くどう知らしてありたが、今のありさまそのとほりではないか。これからしんだいになるから、今までの様にあまり頑張ると、れの思ふやうには、の先は一寸も行かんぞよ。の強い守護神ほど、思はくはちはせんぞよ。

 これまでの心を全然さっぱり入れかへてしまうて、天と地とのもと創造こしらへおほもとかみへおびを致さねば、われいちりきりて居ると思ふのが、大間違であるぞよ。「なにごとみなかみからの事であるから、取違〔 ちがひ 〕をいたすなよ」と、先に気をけてあらうがな。

 われいちりきると思うて居ることを、「霊魂みたましょうらいいんねんだけの事を、天地の神からさせられて居るのである」とこと判然はっきりとわかる時代がめぐりて来たのでるから、これまであくの守護神のやりかたも、九分九厘までは、トントンびょうに思ふやうに来たなれど、モウ九分九厘であくのやりかたは、輪止りんどまりとなるのが今の事であるぞよ。今までは、あくく時節でありたぞよ。これくらがりのでありたぞよ。

 この先は智慧やぶつでは国はたんぞよ。一日も早くおうじょういたさんと、世界の物事がおくれておるから、ふでさきでいつも同じ事を気をつけるぞよ。むこうの国のありさまは筆先どほりに成りて来ておるから、日本の国の守護神に早くわからんと、たてかへが十二年おそくなりておるから(※2)なにかの事の実地じっちが始まると、「まだまだ世界にははげしき事が来るぞよ」ともうしてるが、一度もうした事に違ひはせんぞよ。世のもとから神はわかりておるのであるから、むこうの国にあれだけの事があるのに、日本の人民は、「われさへけら、国はどうなりてもかまはぬ」とは、全然まるきりけものであるぞよ。神のじきじき御魂みたまもらうておるからは、すえには神にもまつられる結構なものでありながら、人はこけやうがたふれやうが、われさへ善けりゃいでは、ばんぶつちょうとはまおされんぞよ。世界は今が罪穢めぐりしゃくせんなしであるから、「罪穢めぐりのひどいところ程、きびしきいましめがあるぞよ」とまをして知らしてあるが、この世界はあとにもさきにも無いみせしめがるぞよ。

 用意をなされよ。たてかへつのあらかへであるから、かみたちかへりて(※3)万古まんごまつだいひとすじになるとほとい事のはじまりであるから、みなの人民の思ひが違うておるぞよ。おほもとは今では粗末そまつなとこでるなれど、この広い世界に、ほかにまたとない大神の世のもととうといとこであるから、全部すっかり判けて見せたならば、余り大きな仕組しぐみであるから、思ひが大違ひでびっくりいたすぞよ。「天地のビックリばこひらくぞよ」ともうしてあるが、このビックリ箱が開いてひらをかやしたら(※4)、どんな人でも驚愕いたして、改心せずにはれん事になるが、其処そこまでかんうちにチットわからんと、つまらんコトがあるぞよ。

 このおほもと(※5)にちにちかぶり付いて居るものに、チト早くわからんと、何処どこからもこれからは判る守護神が出て来るから、はずかしうなるぞよ。何事もちっと判りて居らんと、面目めんぼくない事が出来るぞよ。まんしんとりちがひ〔 鶏違ひ 〕が一番こわいぞよ。誰にらず慢神すると、われの心が大変えらい様に思へて、人から見て居るとはなたかうてぞよ。はらなかまことさへりたれば、どんな事でもるなれど、上から見てよくても、心の中に誠が無いと、實地じっちまことじょうじゅいたさんぞよ。




(※1)「弥勒神」
○ミロクの語源(大正六年十月二十五日筆)
『神諭』の文中にところどころ「ミロク」という言葉がありますが、ある読者から、純粋の皇道すなわち「惟神の道」を首唱しながら、仏祖のいったミロクの謎の語があるのは少し了解に苦しむが、真正の神の教なら、何とか神の名を付けて掲載されては如何、との忠告がありましたが、それは実にもっともな理由であります。編者も最初は右様の主張を致しておりまして、一度出口開祖に何とか神様に御名を神道風に、かえて出してもらえませぬかと、お伺い致したことがありましたが、開祖は心よく承知なされて、早速神界にその由を奏上されましたところ、神さまのお言葉には、『ミロクと申すことは仏祖が申したことであれど、実は神から言わしめたのである
釈迦は阿弥陀を説いて、ミロクを恐れていたのである。仏の教は三千年の後に滅びる。その後はミロクの神が出ると申したのであるから、神界の仕組であるから、いまのとこでは変えることは出来ぬ。後から解りてくる』との御神勅で、相変わらずミロクの名をお用いになっておられるのであります。
ミロクということは梵語であって、漢語に訳せば仁愛ということになり、日本の語に訳せば「ミタマノフユ」ということであります。これを皇国言霊学の上から解釈しますれば、

「ミ」は充るなり、水なり、身なり、三なり、体なり の意義
「ロ」は凝るなり、艮(かたま)るなり の意義
「ク」は組むなり、国なり、来るなり の意義

であります。天地開闢の始めにあたり、国祖の神々が久良芸如漂える国を修理個成し給しは、すなわちこれミロクの活動であります。
二度目の世の立替は根本からの立替で、元の昔のそのままのことが、出て来るのであります。これを至仁至愛の元の生神が地上に降臨されて、世界万民のために修理個成をあそばされるので、この活動を一言に約めて、ミロクの世と申されたのであります。なお言霊の上から詳しく説けば、その意義が十分に判りますけれども、なかなか永くなりますから、後日詳細の理解は発表する考えであります。


○「道之大本 七巻 第九章 開祖批判」(上田王仁三郎/出口王仁三郎著)
一 いまの世は、真理うづもれて、種々の怪しき教え蔓延り、真[誠]の道を汚すもののみなり。神道でもなし。仏道でもなし。両部でもなし。怪しき教えあり。皆これらは、淫祠教の、甚だしきものといふべし。
二 神道にいながら、「妙々」と唱へ、「転迷開天」と唱へて「天輪王の命」と唱へ、甚だしきは、「南無妙法蓮華経」を唱うる邪教あり。
三 神道でいながら、「達磨」とか、「みろく菩薩」とか、「変性男子」とか、「須弥山(しゅみせん)」とか、「罪穢」とか、「因果」とか、「因縁」とか称うる教へあり。これらは、淫祠の最も甚だしきものにして、狂妄の沙汰といふべし。
四 淫祠妖教を信じて、正神を疎んずる者は、天下の大罪人なり。心にあたる者は、速やかに悔い改めて、正しき道に帰れ。
五 「我は、この世を救い主あり」とか、「この世を立て直す役なり」とか、「天照大神の御血筋の御霊なり」とか、色々様々の事を称へて、愚かなる人を欺むく悪魔あり。必ず、惑わさるる事なかれ。
六 「御霊の因縁」とか、何とか称えて、人の子を、無理にたばかり取らんとする、大曲津日の神あり。心を用いて信心すべき。


○「捨てる事は正しく掴む事」 月鏡(昭5/11)
白隠禅師が、一日法華経を読んで、内容空虚、ただお伽話の一種として投げ棄てなかったならば、一生法華経を信ずる時機は来なかったであらう。自分(出口王仁三郎聖師)だって其通りだ。教祖のお筆先に対して、穴だらけだと云うて一旦之を捨て、官幣社の神職にならなかったら、お筆先の真の光明が分らない。五里霧中に彷徨してその取捨に迷って一生を送ったかも知れない。之から考へても捨てるといふ事は、正しく掴む事であらねばならぬ。最も大切なものは、何によらず一旦放擲(なげう)たなければ、より以上の大なるものは得られない。深い悩みが無限の慰藉(いしゃ)をもたらし、寂しさを外にして慰めは無く、悲しみを厭うて喜びは来らぬ。貧乏したお蔭で壮健になり、長命するものも沢山ある。


○出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿師を囲む座談会 第二回
聖師「当って砕ける、それは表面丈けで、腹の中では承知してゐない。これが本当や。なんぼ神様に仕へて居ってもな。教祖はんのお筆先に出てゐる『この神に敵とうて来たら、鬼か蛇になるぞよ、従ふて来たら本当に優しい御神であるぞよ』と云ふのを読んで『そんな神は偽神ぢやい』と俺は初め思った。それぢゃ人間とおなじぢゃないかと思ったが、神人合一すればする程 御筆先通りや


(※2)
○「立替えが12年遅くなりておるから」
[現代注:三千世界の立替立直しは、[〇]+[一]+[二]+[三]+[四]+[五]+[六]+[七]+[八]+[九]+[十] =[五十五]で、明治(日の大神・月の大神の日月が治める)五十五年の立替え説。浅野和三郎さんや谷口雅春さんは現実の大正十年と早とちりしてしまいました。続きは上野公園さんの新・ノアの箱船「55の立替+12=67 霊界物語第67巻には何がある?」をお読みください。]


(※3)「ミロクの神の世に立返りて」
○「ミロクの世」 水鏡(昭3/4)
善い事をすればよくなり、悪い事をすれば悪くなる世を称してミロクの世と云ふのである。今迄の世は悪い事をしても旨く世間を胡麻化す事が出来れば立身出世も出来るし、善い事ばかりをしていても、虐げられ苦しめられ悲惨な境遇に泣かなければならぬものも数多くあった。これは悪魔の守護する世であったからである。ミロクの世になってからは最早かかる不合理は許されない。善い事をすればどんどんよくなり、悪い事を企つれば片っ端から打ち砕かれ、悪の思惑は一つも立たぬ正しい世の中になるのである。[現代注:現在の地球ではない。詳細は上野公園さんの「新ノアの箱船-弥勒丸に乗り移り」を参照]


(※4)「このビックリ箱が開いて手の掌をかやしたら」
出口王仁三郎氏に挙国更生を聞く(一)
鴛海「政治のところで御話を承りたいのですが、今日の金融資本家を背景にする独裁政治が天皇親裁政治に移る過程──移り方はどんな風になるのでしょうか」
聖師「そんな事はチョット云えんわい。これは手の平がかえると云っておけばよいな。お筆先にも『手の掌がかえる』と書いてある。これは雨か風か、さもなければ地震かじゃ。それで出て来んと解らない。人間の頭が鈍重になっているから、びっくりする事が出来て来ると、変わって来る。『ひっくりかえる』という事は『びっくりかえる』という事である。だからびっくりする事が出来なければならない。」


○ビックリ箱(新月の光 下巻)p.138(昭和19年)
大恐怖時代で何か言ったら引っぱられていく。次は(大本の筆先の)ビックリ箱のあく時代。今年は申の年で見ざる聞かざる言わざるの時代である。闇をするにも物がない。その頃(九月)まで世がもつだろうか。

[注:大正4年正月23日にも以下の表現がある。]
天地の元の先祖がこの世を持ちて行かねば、今の世に出て居れる守護神の世の持方では、途中に乱れて末代の世は持てんぞよ。この世一切の事が、ジットして居りて一度に見え透く身魂で無いと、世界の事が判らんやうな身魂では、到底治まりはせんぞよ。何程守護神に智慧がありても、エライ学でも、昔の元のミロク様の御艱難の”いろは”からの勉強は、物質の学では出来も致さず、判りもせんぞよ。いろはからの勉強を致すのは、「日本の霊主体従の元の生粋の其儘で、末代変らぬ天の御先祖様と地の世界の先祖との世である」と云ふ事を、天地からの実地をして見せて、世界中へ改心をさせねば、今の日本の人民では解らんぞよ。根本の”いろは”からの事を、世界中へ一度に解けて見せて与るから、明治25年から「吃驚箱が開く」と云ふ事を、出口直の手で、国常立尊が引き続いて知らして居るなれど、今に判らん人民斗り、改心のしかけの出来ん守護神ほど、今に頑張って居るが、筆先に違はん事が書いてあるから、「九分九厘になりたら、手の掌を覆すぞよ」と申してあるが、さうならんと守護神も人民も改心を致さんが、恐さの改心は真(まこと)の改心で無いから、間に合わんぞよ。


(※4)「大本」
○「大本と言ふ文字」 月鏡
大本と云ふ文字は、たてにもよこにもわかつ事が出来ぬ完全な字で、これにはおおいに理由のあることである。天理、金光、黒住、耶蘇やそ〔 キリスト教 〕、仏教等みな経にか緯にかわかれるやうになってゐる。てんの「 天 」はいちだいとに別れ、「 理 」は王と里とに別れ、「 くろずみ 」は「 里 」と「 火 」と「 人 」と「 主 」とに別れて居る。耶蘇も仏も同じである。
〔 現代注:おほ=人と一、もと=木と一に別れる。つまり大本教も完全ではないと云う事になります。霊界物語で、出口王仁三郎聖師は大本教を三五教(アナナイ教)と表現しました。また高姫一派のウラナイ教もあります。さてあなない〔 穴無い 〕教とは……お釈迦様がさとりを得られた35歳までのおしえ、すなわち『一厘の言霊の秘密、万古末代しおれぬ綾部から咲くここのばな』を明かしていない"先走り・未完成の教え"であることを意味しています。聖師自信も「十ケ月暦(玉鏡)」の中で「神の道から云ふと、三五即ちあななひ教に因縁をもつ。三五教は天地惟神の大道である。三十六日目は、ミロクの教であるから、このは週に加へず祭日とする。」と言及しています。三五教とミロク教は違うのです。だから大本教は(いろは四十八音の洗礼者ヨハネ)であり、開祖も聖師も再臨するキリスト=真の69の尖兵です。の黙示録、創造神は二人の男女の預言者(出口なお開祖・王仁三郎聖師)に1260日の間、神のことばを預言する事を許した。この謎が上野公園さんによって解かれました。1260日間の意味は『大本神諭』 明治32年旧6月3日を御覧ください。 〕


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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