『大本神諭』 明治25年旧正月・・・日

○明治25年旧正月…日(天の巻)

 さんぜんかい  いちひらく  うめはな、  うしとらこんじん(※1)りたぞよ。
 うめひらいてまつおさめる、しんこくの世になりたぞよ。日本はしんとう、神がかまはなけぬ国であるぞよ。がいこく獣類けものの世、つよいものちの、惡魔〔 あく 〕ばかりのくにであるぞよ。日本もけものの世になりておるぞよ。外国人にされて、しりの毛(※2)まで抜かれておりても、まだめんくらがりの世になりて居るぞよ。これでは、くにちてはかんから、神がおもてあらはれて、三千世界のたてたてなおしをいたすぞよ。
 用意をされよ。この世は全然さっぱりさらつの世に替えてしまふぞよ(※3)。三千世界のおおせんたくおほ掃除そうじを致して、天下てんか泰平たいへいに世を治めて、万古まんご末代まつだい続く神国の世に致すぞよ。神のもうした事は、一分いちぶ一厘いちりん ちがはんぞよ。すじよこはばほども間違いは無いぞよ。これが違ふたら、神はの世にらんぞよ。

 てんこんこうくろずみみょうみれいさきばしり。とどめにうしとらこんじんあらはれて、世の立替を致すぞよ。世の立替のあるといふ事は、かみばしらにもわかりて居れど、うしたら立替が出来るといふ事は、判りて居らんぞよ。りんまでは知らしてあるが(※4)、モウいちりん肝腎かんじんの事は、わかりて居らんぞよ。三千世界の事は、何ひとわからんことかみであるから、さびしく成りたら、綾部のおほもとまゐりて、お話をかしていただけば、何もも世界一目ひとめに見える、神徳をさずけるぞよ。

 神となれば、スミスミまでも、気をけるが神の役。うへばかりくても行かぬ、かみしもそろはねば世はおさまらんぞよ。洋服では治まらん、かみしも〔 裃 〕そろへて人民を安心させて末代まつだい潰れぬ神国の世に致すぞよ。用意をされよ。あしもとから鳥が立つぞよ。それが日本をねらふてくにとり〔 国獲り 〕であるぞよ。までも自由にいたして、神は残念なぞよ。日本の人民、盲目めくら聾者つんぼばかり。神が見ておれば、井戸のはたに、茶碗を置いたがごとく、あぶのふて見ておれんぞよ。外国人〔 がいこくじん 〕よ、今にうしとらの金神が、へんぽう返しを致すぞよ。

 根に葉の出るは虎耳草ゆきのした、上も下も花咲かねば、このは治まらぬ。うへばかりくても行けぬ世。しもばかりくてもこの世はおさまらぬぞよ。

 天子てんし綾部あやべに、仕組しぐみいたしてあるぞよ(※5)てんてんこしらへて、もとむかしかへすぞよ。ようふくてウロツクようことでは、日本にほんくにおさまらんぞよ。こっかいびらきは、人民が何時いつまでかかりてもひらけんぞよ。神が開かな、開けんぞよ。ひらいてせう。とうきょうもと薄野すすきのるぞよ(※6)永久ながうつづかんぞよ。あづま〔 吾妻 〕のくには、ひとれののちくらがり。これにく人民はないぞよ。神はけるぞよ。此世このよおにおうじょうさせて、がいこくを、地震じしん かみなり あめ らして(※7)、○○○ねば、世界はしんこくにならんから、昔のおほもとからの神の仕組が、じょうじゅ致す時節がまはりてたから、苦労はあれど、バタバタとらちをつけるぞよ(※8)わかりた守護神は(※9)一人ひとりなりと早く大本へ出て参りて、神国の御用ごようを致してくだされよ。さるかはりにつとあがりたら、万古まんごまつだい、名の残る事であるから、神から結構に御礼おれい申すぞよ。世界中の事でるから、何程なんぼ智慧や学がありても、人民では判らん事であるぞよ。この仕組しぐみわかりてはらず、判らねば成らず、判らぬので、改心が出来ず、世の立替の、まつだいに一度の仕組であるから、全然さっぱり、学や智慧ちえすてしまふて、うまあかの心(※10)たちかへらんと、見当が取れん、六ヶ敷むずかしい仕組であるぞよ。いままでの腹の中の垢塵ごもくを、さっぱり、してしまはんと、今度の実地じっちまことは、わかりかけが致さん、大望たいもう仕組しぐみであるぞよ。

綾部03本宮山
〔 由良川より見る綾部本宮山。 〕

 うじがみ様の庭のしらふじうめさくらは、ぐちなお御禮おれい庭木にわきに、さしたので在るぞよ。しらふじさかえば、綾部くなりてすえみやこと致すぞよ。ふくやままいづるそとがこひ。四方しほうは宮の内(※11)あやはまんなかになりて、こんりんおうで世を治めるぞよ(※12)。綾部は結構なところ、昔から神が隠していた、世の立替の、真誠まこと仕組しくみ地場じばであるぞよ。

 世界くにぐにところどころに、世のたてへを知らすかみばしらは、沢山たくさんあらはれるぞよ。みなうしとらこんじん くにとこ立尊たちのみことの仕組で、世界へ知らしてるぞよ。おほかたわたりた時分じぶんに、綾部へ諸国の神、守護神をあつめて、それぞれの御用をもうしける、とほとい世のの世のもとの、りゅうぐうやかたたかあまはらであるから、何を致しても、綾部の大本のゆるしの無き事は、りんひっくりかへるぞよ。みな神の仕組であるから、われわれがと思ふて致しておるが、皆うしとらの金神が、ばかかして使ふてるのであるぞよ。この神は、ひと手柄てがらをして喜ぶ神で無いぞよ。おほもと仕組しぐみわかる守護神でありたら、たがひに手をき合ふて、世のもと立替たてか立直たてなほしを致すから、これまでの心をいれへて、大本へて肝腎の事を聞いて、御用をつとめてくだされよ。三千世界のかみがみ様、守護神殿に気をけますぞよ。たにだにがわの水も、おほかわすえとつに仕組しぐみ。綾部もとまことの神のすまひどころ。

 と日本のたたかひがあるぞよ。このいくさは勝ちいくさ、神がかげから、仕組が致してあるぞよ。神がおもてあられて、日本へ手柄てがらいたさすぞよ。露国からはじまりて、モウいくさがあるぞよ。あとは世界のおおたたかひで、これからだんだん判りて来るぞよ。日本は神国、世界をひとつにまるめて、ひとつのわうをさめるぞよ。そこへ成るまでには、なかなか骨が折れるなれど、三千年あまりての仕組であるから、日本のちて居れる守護神に、チット判りかけたら、神がちからけるから、大丈夫であるぞよ。世界のおおとうげすのは、神のもうすように、素直に致して、ドんなろうも致す人民でないと、世界の物事はじょうじゅいたさんぞよ。神はくどう気をけるぞよ。
 この事ける身魂みたまは、ひがしから出て来るぞよ。このかたいでになりたら、全然さっぱりの守護と成るから、世界中にしんとくひかかがやかみになるぞよたいしょうを綾部の高天原のりゅうもんやかたに、さんならんことが出てくるぞよ。中々大事業たいもうであれども、昔からのいきがみの仕組であるからべつじょうは無いぞよ。

 いったんたたかひおさまりても、あともんちゃくは中々おさまらんぞよ。神がおもてあらはれて、かみがくとのちからくらべを致すぞよ。がくはモウみたぞよ。神には勝てんぞよ(※13)




(※1)「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ」
○出口王仁三郎「艮の金神様」 水鏡(大15/6)
うしとらと云ふ字にはハジメ、カタマル、ナガシ、トドメなどの意味がある。世をハジメ、カタメ、トドメをさす神様である。こんじんの” ”はこんごうりきであり、またきんすべての物をせいじょうにするものである。おまもりのふくろきんらんもちゐたり、神様の事ににしきや、きんを使用するのはこのことわりによるのである。すなわち、金神は至清至粋のこんごうりきゆうする神の謂ひである。世を始め、世を固め、とどめす至清至純の金剛力をもった神様がうしとらこんじん様である。〔 註:金剛石=ダイヤモンド 〕


○「経綸は艮金神一柱御存じ」(新月の光 下巻 昭和19年12月11日)
今度の経綸しぐみは世に出ておられる神様では一人も御存ごぞんじない。うしとらこんじん様お一人しか御存じないのである。今の世に出ておられる神様がわかっておられたら、日本がこんなになるまでおかれぬ。神様でさえ御存知ないことであるから、人間に言うてもわからぬから、神様がいいようにしてくださるから、ベチャベチャ喋らぬとだまっておれ。


○「埋立地は元の通りに」(新月の光 下巻 昭和19年12月12日)
日本はうしとらこんじん様の御神体だから、埋立地などはいかぬ。もととほりになる。


(※2)「尻の毛まで抜かれて・・・」
○出口王仁三郎著「樹木のいろいろ」水鏡(昭和2/2)
ひのき〔 檜 〕はさのおのの大神様の頭髪を抜いてかれたもの(もちろん)なれば、神様のお宮よりほか、使用せぬものである。松、杉は人家に試用し、まき尻の毛を抜いて蒔かれたから、かんおけに使うものである。これは古史成分という書物にのせられたる、素戔嗚命のしんちょくである。


○王仁三郎著「槙の木に就いて」 玉鏡(昭和8/2)
古史こし成文せいぶんに出て居るごとく、まきの木は太古嗚尊のおのみことが「うつしきあおひとぐさのおきつしたへにする時まで云々うんぬん」とあるので、これは人の死体ををさめる用途の木である。それでこの木をにわさきや、門の入口などに植ると、その家は遂には没落または不幸なことになるのである。もし借家等などをして居る者で、この木が庭などにあれば、ことたまで「からまつ」と云ってなおしておく必要がある。まきと云ふ言葉は「」と云いふ意味にもなるので注意すべきである。素盞嗚尊はしりからえた木と云うて居られるが、それはきたなふ意味なのである。


(※3)「この世はサッパリ、新つの世に替えてしまふぞよ」
○王仁三郎著「さらつの世」 玉鏡(昭9年/3月)
大地は日々ひびに傾斜運動をすると共に、また一年に四度の中傾斜運動をなし、一年に一度大傾斜運動をなし、六十年目に大々傾斜運動をなし、三百六十年目に大々々傾斜運動をなし、三千六百年目に大々々々傾斜運動をするのである。故にそうでん変じて海となるぐらいの事ではなく、海が山になったり、山が海になったりする。高山のいただきから貝の化石が出たりするのも、此等これらの傾斜運動によって大地は常に変動しつつあるのをしめすものである。なるみずが、大地の中心にむかってそそぎつつあるとふ事をも知らぬ人が多からう。富士山の爆発によって、相模さがみの国が出来でき武蔵むさしとの間がつながったのである。天城山あまぎやまの爆発によって、伊豆一帯の地が持ち上った。ひる小島こじましまも、もとはみんな島であったのでの名が残って居るのである。
地文学も天文学も、いなそれのみならず、政治学も、経済学も、教育学も等々、諸種の学説がみなひっくりかへる時が来るのである。神諭に「なにもかもさらつにして仕舞ふぞよ」とあるのがそれである。世の立替立直しと云ふのはたいもうとあるが、すこぶる大規模なものであって、ほとんど人智の想像の範囲をぜっして居るものである。


(※4)九分九厘までは知らしてあるが、モウ一厘の肝腎(心)の事は、判りて居らんぞよ。」
○王仁三郎著「神諭の九分九厘」 玉鏡(昭6/7)
神諭しんゆにある「九分九厘」といふのは戦争の事のみでない。あらゆる事におこってくるので、いちりんでひっくりかへすのであるから、人間でへば千人たい一人の割合になる。これが千騎一騎の働きである。「東京にめかけるぞよ」ともあるが、もし惡魔が東京に攻めかけて〔 註:王仁三郎聖師発言にあるように、軍隊同士の戦争いくさのみならず。経済戦・言論戦・政治戦・選挙戦も含む 〕首都あやふきそのときは、君のおんめ国の為め、男も女もおいわかきもようの神旗ててけんめいに活動せねばならぬ。


○王仁三郎著「神命と実行」 水鏡(大正14/9)
神のめいじたまふ事は即座そくざに実行せねばならぬ。寸時の猶予ゆうよも許されないのである。命令を受けた時に実行せないでばすと、そのことはもうじょうじゅせないのである。もしあとで成就することになっても、それはほかの人がやって仕舞しまふから、命令を受けた本人にってはつまり実行出来なかった事になる。おほもとの事は、日の仕組しぐみで、世間にさきだって、リードするのであるから、一日おくれると世間並になって仕舞ふ。よ 大本が宗教連盟をくわだつるや、世間はにわかなに連盟、かに連盟と連盟を企てて真似まねをする。まんもう開発よりほか国是こくぜは無いと思って私が入蒙すると、満蒙政策がやかましくしょうどうされる。だから大本は一日先に神様に教へられて、社会をみちびくやうになってるのである。私が「かうせい」とめいじても「会議を開いて、相談した上で実行いたします」と云ふやうな役員が多かったから今迄長蛇ちょうだいっして仕舞った事がいくばくあるからぬ。だからけいりんおくれるのだ。神様は考へてから、ゆっくりやるとふやうな事は大お嫌ひだ。事業を計画するにしても金が集まったうえでやると云ふのは、本当のやりかたではない。やらうと思ふと同時に実行に着手したらよいのだ。さうすると金は自然に出て来るものだ。自然を見よ、彼のそうそう そらしのいで立つ老松も、一本三厘の松苗を、二 三分間の時間と、ほんの一寸ちょっとの労力で植ゑておいた結果に過ぎないではないか。さきの先まで計画しての仕事ではない。

九数盤

51 06 69 46 01 64 53 08 71
60 42 24 55 37 19 62 44 26
15 78 33 10 73 28 17 80 35
52 07 70 50 05 68 48 03 66
61 43 25 59 41 23 57 39 21
16 79 34 14 77 32 12 75 30
47 02 35 54 09 72 49 04 67
56 38 20 63 45 27 58 40 22
11 74 29 18 81 36 13 76 31


(※5)てんしは綾部に、仕組が致してあるぞよ」
○「天使と天子」(新月の光 下巻 昭和20年1月4日)
神諭の「てんし」はてん使として解釈できる。うしとらの金神は日天使。ひつじさるの金神は月天使だから。またてんとしても解してもよいのである。だんだんに書いたらよいのである。いずれにしても「不敬ふけい不逞ふていにはならぬのである」といたらよい。


○『霊界物語』
・第60巻 「天使は綾部に出現されてあるぞよ」。
・第3巻第1章『くにはる立命たちのみことは、天上の三体の神の命により、太陽界に使神となり、日天使国治立命と称され、とよくに姫命ひめのみことがつ天使てんし くにひろ立命たちのみことと名づけられ日天使の神業をくになほひ姫命ひめのみことに、月天使の神業を豊国姫命とに委任され、天道あまぢわけのみことは現界の諸神に律法を宣伝する聖職とならせたまひたり。』


(※6)「東京は元の薄野に成るぞよ」
○「有難迷惑」(新月の光 下巻 昭和19年)
皆が大本の言ったようになったといっている。ありがためいわくであるが人の口には戸を立てられぬ。


(※7)「外国を、地震雷火の雨降らして、たやさねば…」
☆「大笑辞典 ― 掃き寄せ集」(「神霊界」大正十年三月号)
○記者記者は汽車きしゃなり。汽車はすなわ危車きしゃなり。時々脱線衝突のおそれあり。
○宣教師はせんきょうなり。
こんにちの社会主義は奢壊しゃかい醜偽しゅうぎなり。
O宗教家はしゅうきょうなり
きぬものキヌ着ぬモノなり木綿もめんものは経済のモメン揉めんモノなり。
しんゆうの年は深憂しんゆうの年なり。
こんねんの正月はしょうかつなり。
O貴族院はぞくいんなり。衆議院はしゅういんなりなり。代議士はだい偽師ぎしなり。
博士はかせ馬鹿士ばかせなり。学士はがくなり。文士はぶんなり。
○思想問題はそう問題なり。活殺自在の手腕を要死ようしない。
○警官はけいかんなり。ただし中には掛冠けいかんもあり、繋監けいかんもあり。巡査が殺人強盗を行なって監獄につながれるのを即ち繋監しゅうかんと謂う。
地震じしん雷鳴かみなり自身じしんかみなり
の雨はなり。

○教員はきょうきいんなり。
○信者の中にしんじゃあり。
耶蘇やそ教は一層進んできょうとなり。
○神界はしんかいなり。
○現界は玄深げんかいなり。
O資産家は死産しさんなり。
○商人は小人しょうにんなり。
○君子は窘死くんしなり。
ぜん自然しぜんあり。


(※8)「昔の大本からの神の仕組が、成就致す時節が廻りて来たから、苦労はあれど、バタバタと埒をつけるぞよ」
○王仁三郎著「遠大なる準備」 玉鏡(昭9/2)
すべてのものは遠大なるかんがへのもとに準備せられなくてはならない。物事は準備の時代に六十年をようする。けやきは大木になるものとは云へ、今年種をいて来年それをわけにはいかない。春いた種は秋でなくては収穫を得られない。だから種を蒔く事を早くせねばならない。うしとらの金神様は三千年の経綸がしてあるから、出かけたらバタバタとかたを附ける仰有おっしゃって居るが物事は準備が肝要である。また考へると云ふ事、かえりみると云ふ事もトップを切るまでの仕事ぢゃ。いよいよやりかけたらくまでそれを断行せねばならない。出発点を離れてからさらに考へなほすなどの事、王仁おには断じてした事はない。王仁は十分案をって、いざ出かけたら一歩も後へはひかぬ性質だが、世にはよい加減に考へて、さて出かけて後、あれでもかぬ、これでもゆかぬ、と考へたり引込んだりする人が多いが、王仁はそんな事はいやだ。


(※9)「判りた守護神は…」
○王仁三郎著「守護神」 水鏡(大15/12)
守護神と云ふのは、人々につけられてるエンゼルの事である。くしみたまさちみたまとをまつるので、すなわち信真と愛善とである。信者に宣伝使がついてるとおなじである。


(※10)「サッパリ学や智慧を捨てしまふて、生れ赤児の心に立返らんと、見当が取れん…」
○「暗の時代から恐怖時代へ」(新月の月 下巻 昭和19年3月18日午後3時30分)
聖師「この時代・暗の時代が去ったら恐怖時代が来る。一切口に出さぬ事が肝要である。先方より出して緒をこしらえるから。」
信者「そして日本がきよまってから世界が清まるのですか」
聖師「そんな事は言うてはならぬ。それがもとで問題が起こるから。日本も世界も一所に来るわい」
信者「自分の精神が良くないので、第二の世界へ出してもらえぬのですか」
聖師「そんな事は心配せんでもよい」
信者「いっしんにおすがりすれば良いのですか」
聖師「そうや赤ん坊になればよい。智慧のある赤ん坊になれ、神様は皆知っておられるからな。大本事件の時みんな逃げて行った。それで良いのや」


(※11)「福知山、舞鶴は外囲ひ。十里四方は宮の内」
出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(2)
聖師「死後の生活や何かは、あれ(霊界物語)を見たら大抵わかるはずだ。芦田はんの書いたのに詳しく書いてあるが、スエーデンボルグだったかな、霊界は現界の移写であると、これだけ考えておったらええ。正しい人の現界と天界とは同じことだ……この世は形の世、型の世で、お筆先にも四方は宮の内、福知舞鶴外囲い』とあるが、お宮さんのこんな小さい形が一つあったら、無限大に想念で延びる。富士山の写真を撮ると、小さな写真でもそれで富士山で通るじゃないか。現界は何千何百マイルとか云うているが、霊界で見たらどのくらいになるかわからん。人間も五尺の躯殻くかくだけれども、想念によっては太陽に頭を打つようなところまで拡張するかも知れない。霊魂上の世界と肉体上の世界とは違うのだから」


出口王仁三郎氏を囲む座談会(第四夜 第4回)
高橋「聖師様、霊界で霊体をもった者が地上にまた再生する時にその霊身はどうなるんでございます、また小さくなれるんでしょうか」
聖師「大小はどうにでもなる、──そしてまた肉体に入るのだから、便利なものじゃ。自分で小さくもなれば大きくもなれる。それで『十里四方は宮の中』──こんなチッポケなお宮でも十里四方にでも拡大する。横山の如く置きたらわして──ほんのこれだけほど供えて霊界では横山の如くなって来る。言霊のさちわう国だから、言霊でそうなって来る。それでこの世の中でもつまらんつまらんと思うて暮らしているとなんぼでもつまらんようになって来る。呪えば呪うような事が出て来る。世の中がそうなって来るのだ。みんなその気になれば不景気もふっとんでしまう」


(※12)「綾部はまん中になりて、金輪王で世を治めるぞよ」
○「金輪王」
上野公園さん『神言会・大本教神諭解説』第十一章「節分の煎り豆に咲く花は」を参照されたし。天理教の中山ミキ教祖は41歳から神の御台。ミキは〔 みき 〕にして、出口直はおおもと教ならぬ「たいぼく教」の開祖なり。


○王仁三郎著「マリヤ観音」 玉鏡(昭5/11)
月宮殿の境内にあるかんのんはマリヤ観音と云ひ、輪王姫の霊である。輪王といふのはマリヤと同意義である。


(※13)「神が表に現れて、神と学との力競べを致すぞよ。学の世はモウ済みたぞよ。神には勝てんぞよ」
○出口王仁三郎著「学と神力の力競べ」 月鏡(昭4/10)
一時間に絵短冊の千枚も私(王仁三郎聖師)が描くのを人は信じまいが、お前達めいこう社の人々、毎日のやうに実地をけんぶんしてゐるものにはうたがひは無いだらう。四百頁(四六判)近い『霊界物語』を二日乃至ないし三日に口述するのも、ならった事のない絵が書けるのも楽焼が出来るのも、みな神様が私を使うて学力と神力との力競べをして居られるのである。大本神諭に「神がおもてあらはれて、神力とがくとのちからくらべを致すぞよ、学の世はもうみたぞよ、神にはてんぞよ」とあるをあかしせんがためである。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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