『天津祝詞』-解説:出口王仁三郎/東方朔/惟神/惟神霊魂幸倍坐世/君の意味/ヨハネ伝/宇宙の声/竜は耳が聞こえぬ

◎天津祝詞解 出口王仁三郎聖師(出口瑞月口述)『霊界物語』第30巻 海洋万里 巳の巻より

あまのりかいはかつて皇道大本叢書の『祝詞釈義』として出版されたものを、ずいげつ出口でぐちさぶろう聖師)がさらていせいしたものです。出口王仁三郎せいは『大祓祝詞解説』にいて、天津祝詞について、「 すなわちそぎはらい祝詞のりとことで、正式にそうじょうする場合にはここで天津祝詞を奏上するのである。だいたいにおいてべると、あの祝詞は天地間一切のだいしゅうばつを、てんしんむかってめいぜらるる重大な祝詞である。「ふと」はしょうで、くりかへして、天津祝詞をたたへたまでである。大祓祝詞解説(2)」…とべられています。また「宇宙にはアオウエイのだいおんだんなくひびいてるが、人々がはっするただしからざることたまによってはこれにごるのであるから、つねに天津祝詞を奏上しておんりつの調節をおこなふのである。」(天津祝詞と五大父音 玉鏡 昭和8年10月)とも語っております。天津祝詞奏上者はこの祝詞のと重要性をまえたうえで、あめつちもとおや すめらおほかみ様と八百万の神々様に対し、奏上をおねがいたします。かむながらはへ(※1)



あま  のり 

たかあまはらかみつまりす、かむ かむみこともちて、すめおやかむぎのみことつくむかたちばなはらに、そぎはらたまときなりせるはらひおほかみたちもろもろまがこと つみけがれを はらたまきよたまへとまをことよしを、あまかみ くにかみ よろづかみたちともに、あめふちこまみみふりたてきこしめせとかしこかしこみもまをす。



△高天原 ぜんだいちゅうしょうさいは『大祓祝詞解』をよ。

△神つまります いんようげんじっそうじゅうじつしたうへにもじゅうじつすること。

△神漏岐神漏美 いんやうけいつかさどかみがみ

△命もちて ことたまによりてのここまではほぼおほはらひ祝詞のりとかいちゅうおなじ。

△皇御祖 すめすべなりむ、とうみなどういつげんよりづ。みづ空気くうきむといふのは、こんにゅふしてぶったいあひだとういつやすらかにちんていすることである。ひとがこのむといふのもはりどういつだいしゅさいしゃとうもとあんじゅうするである。しそれがげんざい世界せかいじょうたいやうそうの大主宰者をうしなってると、らんごとみだれ、人の心はにごり、じんみん流浪るらうってさんする、いはゆるむにまれぬことる。( ミ )はたいしゃく( ソ )はしんである。

△神伊邪那岐命 ( カム )はさけむのなどとどうゆうし、宇宙うちゅうばんゆうじょうぞうたまぎのみこと様にかんしたるけいようてきけいである。伊邪那岐命様は(※2)くわけいやうけいしんで、宇宙にけるあらゆるかつどうこんげんつかさどり、だいしゅうばつだいせいつねこのかみぶんたいぞくするのである。世界せかいけんゆうかい )におひて伊邪那岐命の仕事しごとぶんしょうたまふのが、つまくにとこたちのみことで、神諭しんゆいはゆるおほたてかへといふのはだいしゅうばつけっこうの事なのである。宇宙間におここときゅううちにもおこり、地球のうちおこことは宇宙全体にもえいきょうおよぼす、りょうりょうかんれんかけになってる。さらすすんでしょうぎのみことそぎはらひいっこくいちぐんにもおこり、いちぎょういちそんにもおこり、いっしんいっにもおこる。へうめんこうでいして「伊邪那岐命様がきゅうしゅうたちばなはらといふところで、そぎおこなはれ、そしてはらひはしらおほかみたちをおみにった」などとかいしゃくすると、さらようりょうない。いっそうくはしきことは大祓祝詞解説にるからさんしょうされたい〔 大祓祝詞解説(1) 〕。

△筑紫の日向  しんみそぎはらひだんと同一ひっぽふである。
『是以伊邪那岐大神詔。吾者伊那志許米志許米岐穢国而在祁理。故吾者御身之禊而。到坐筑紫日向之橘小門之阿波岐原而禊祓也。故於投棄御杖所成神名。衝立船戸神。……( ここをちてぎのおほかみりたまはく、「われはいなしこめしこめききたなくにいたりてありけり。かれ、われみそぎせむ」とのりたまひて、つくむかたちばなはらいたりまして、みそはらへたまひき。かれ、つるつゑりし神の名は、つkたつふなとのかみ……)』  うんぬんとあるこれなり。『古事記』がひょうめんの解釈でわからぬとどうよう、こののりまたわからない。つくは「つく」である、きゅうきょくである(東方朔)かんぜんけつえんまんそくである。かずへば「」である。筑紫がきゅうしゅうわかれてるのもそれがためである。ろん「筑紫」とか「九州」とかめいきにおこったのでなく、地名はあとけられたので、ほんらいつくむかてんそうぞうさいからのである。地球のしゅせいが出來ぬぜんからせいりつしてゐることたまである。むかこうみょうへんじょうで( ヒムカシ )とどういつげんである。

△橘の小戸 これも地名ではない。たてせんとうすなはち先頭のたてぎょうたるアオウエイ〔 霊界物語ではアイウエオ 〕のだいおんす。おとである、ことたまである。宇宙間はさいしょ五大父音のことたまはたらきによりて修理固成がたのである。

△阿波岐原 全大宇宙間のことをいふ(※3)いちおんづつかいすれば、てんひらく、だいちゅうしんひろところうなばらはらなどとおなじ。

△御禊祓 しんたいだいしゅうばつこと

△祓戸の大神達 はらひはしらかみすなはおりはやあきぶきぬしはやよんしんである。すべだいしゅうばつしっこうさいしてはよろづかみがみつねこのほうめんわかれてかつどうかいし、もろもろまがごとつみけがれはらきよたまふので、あまかみたるとくにかみたるとをはず、また宇宙全体たると、地球全体たると、また一郷一村一身一家たるとをろんぜずして、ほうめんしゅうばつおこるのである。地球の大修祓、おほたてかへが開始さるる時には、神諭しんゆいはゆる あめかみいはかみかぜかみしんかみだいかつどうとなる(※4)

△天の斑駒 いちおんづつかいすればちかられいたいまったきの

△耳振立て聞食せ かつどう開始かいしたまへのたんみみくといふよりははるかしんゑんおもれるで、べんこうはなはばゆうづうはらさけなどのと同じくかつよう發揮はっきである。

(大意) 宇宙うちゅうてんばんゆういっさいだいしゅうばつは、れいけいしんぶんたんぞくする。げんざい世界せかい』においしっこうされつつあるこくかみおほそうおほせんたくも、結局つまり宇宙全体としてはぎのみことおんごとである。いくせんまんねんらいたいせきしたつみけがれがあるので、今度『世界せかい』ではじょうあらりょうひつようであるが、これがんだあかつきにはこくこくしょう掃除そうじしょうせんたくおこなへばよろしいので、だいたいおいてはうれうれしのぜんひとツのなかになるのである。すなはち伊邪那岐命のそぎはらひなる場合ばあひにもひつようあるものである。これがなければあとおほたてなほし、だいけんせつとうていないわけである。
 さてこのしゅうばつなにによりてしっかうさるるかとふに、ほかでもない宇宙うちゅうこんぽんだいげんどうりょくなるれいたいけいことたまである。てんあひだすなははら )はぜんこうみょうへんじょうこんぽんだいことたま( アオウエイ )がわたってるが(※5)、いざざいくわいはっせいしたとると、ことたまでそれをていせいじょきょしてかねばならぬ。ひと宇宙うちゅうけいりんじゅうだいにんびたるものであるから、せんとうだいいちたまみがき、そしてただしきことたま使すれば、てんこれおうし、宇宙のだいしゅうばつけっこうされる(※6)そのさいにありてわれわれしゃくにくたいしょうぎのみことかつようとなるのである。あめべばしゃりのおほあめり、しんべばしんてんどうだいしんはじまる。これがすなはち『そぎはらひたまときなりせるはらひおほかみたち』である。かくしていっさいまがごとつみけがれはらきよめらるることになるが、かかるさいに活動すべきせきびたるは、よろづあまかみくにかみたちでこれじょうれのごとはない。なにとぞしっかかつどうねがひますといふのが、たいようである。なんびとにっせきこれそうじょうしていっしんいっしゅうばつを完全にし、そしていちだい場合ばあひには、てんはらひきよむるのかくがなくてはならぬのであります。 


ことたまの ただひといきあめつちを つくたまひしもとおほかみ
ことたまの のりこへあめつちに ひびきて霊魂みたましんこくさかへつ
ふとのり いづことまもられて やすもとくぞうれしき

〔 完 〕




(東方朔)
○『新月の光』下巻、69ページ「○東方朔」
問〔 信者 〕 とうほうさくきゅうせんねんとありますが、そのあとはなにがみになるのでしょうか。
答〔 聖師 〕 「神諭」(『神霊界』大正八年二月一日号、大正八年一月二十七日)に「東方朔は九千年」とあるのは東方の経綸しくみということで、さく〔 註:旧暦=陰暦の月初め、第一日。しんげつてんの政令を意味することもある。 〕とあるのはわざとかくしてあるのである。九千年は無終無限につづくということであって、つくして、きゅうしゅうつくというごとくかずきゅうきょくである。わかひめぎみのみことの経綸はえいゑんつづくということである。(昭和18年3月13日午後1時乃至3時)


(※1)
○「惟神」 水鏡
 かむながらことは、てんしんしゃうならふと云ふ事である。まただいぜんあるひしんのままとことである。


○「惟神霊魂幸倍坐世」 玉鏡
 かみさまこころのまにまにみたまくなるやうおねがひしますといふので、神様にたいするいのりのことである。それれいまへふのは、祖霊に祈ってるのではなくて、祖霊のためおほかみさまに祖霊がさちはふやうにといのるのである。


(※2)
○「『君』の意味」 玉鏡(昭8/3)
 「きみ」といふのはイザナイザナのおふたきみとなるのである。また 神 「カミ」のたまがへしはであり、はマニのたまがへしである。つまりキミとはかみマニマニといふことで、ほんきみかみまつってゐらっしゃるのである。がいこくきみとはおもむきがちがふ。


(※3)
是非とも上野公園さんブログ『人に内在する良心神(神言会)』より「創造神との各自の契約の示し。アワで魂の禊ぎの阿波岐原」を参照されたい。


(※4)
○明治41年10月15日
 世の本を造へるのは、「これ一ト色能う為ん」といふ事は出来んのであるから、「霊魂の神では出来ん」と申すのであるぞよ。余り大事業(たいもう)な事であるが、今度の世の立替は、元の肉体の其儘である国常立尊が現はれると、次ぎに龍宮の乙姫様が、日の出の神をお使ひになりて居るから、引添うて現はれなさる也。岩の神、風の神、荒れの神、雨の神、地震の神、残らずの金神……。金神の中にても、結構な金神と、酒飲みの道楽な、御用には使へん道楽なのもあるよって、此方が使ふのは、道楽な名の無いやうに成りて居る金神は、行儀品行をモ一度査(しら)べて使ふから、流浪に立つのが嫌なら、今の中(うち)に行状も出来んやうな事では、戦争のお手伝位は出来もするが、世を立替て天下泰平に世を治めて、至仁至愛(みろく)の世になると、従来のような行状は、モウ出来んぞよ。神の道もさツぱり造りかへてしまふから、人民の道も造へて、昔の本へ世を戻すのであるから、人民からは神を敬へば神力が強う成るから、人民を神が守護致すなり。持ちつもたれて、神の心に映りて行けば、それが神世と申すのであるから、さうなりたら、人民も今の世ほどあせらいでも、穏和(おだやか)に行ける世になるのじやぞよ。


○大正4年旧6月11日
 元の天の大神様を、斯ンなことにして置いて、また地の世界の先祖までもこの世に無いやうにして居りたぞよ。稚日女岐美命(わかひめぎみのみこと)は、地の底へ埋け込みて居りたなり。金勝金(きんかつかね)の大神どのは我(が)の強い御霊であるから、最醜悪界(どえらいところ)へ落してあり、龍宮の乙姫どのは、沓島の海の御住居でありたなり。岩の神どのも、荒れの神どのも、風の神どのも、雨の神どのも、地震の神どのも、艮(うしとら)へ押し籠められて居りた也。この活神(いきがみ)を万古末代出さぬやうに、力のある神は皆斯ういふことにしてありたのであるぞよ。残らずの金神は山住居、高山に退居(おち)て居りたので、大部道楽な神もあるぞよ。金神とまで申す神でも、余り永い間のことであるから、天狗(てんぐ)、宮賓(きゅうひん)と申すのは、皆この金神であるなれど、「道楽な神があるから、選り抜きて使う」と申してあるが、中には野天狗に堕落(なり)て居るから、今度の二度目の世の立替には、元の日本魂の性来ばかりを御苦労になりて、立替を始めるによりて、後の大立直しの御用が、なかなかに大事業(たいもう)であるから、身魂の磨けた日本の人民を容器(いれもの)に致して、それぞれのことに使ふから、日本魂にならんと、真正(まこと)のことは出来んぞよ。


○大正4年旧8月28日
 天の御先祖様は日の大神様なり。天照皇太神宮(てんせうくわうだいじんぐう)殿、地の世界の先祖が大国常立尊、龍宮の乙姫殿、日出の火水(かみ)を御使ひ成されて、夫婦揃ふて、天地の大神の片腕に成りなされての御活動(おはたらき)であるぞよ。岩の神殿、荒れの神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の大神様、金神殿の行状(おこなひ)の、何も揃ふて出来る御方(おんかた)、選り抜いて使ふぞよ。金神の中でも放縦不規(どうらく)なのは使はんぞよ。厳しく成るから、ここに成るまでに皆が解りて居らんと、逆立ちに成りて苦しまんならん守護神が沢山(たっぴつ)出来るから、明治25年から、昼夜に皆の神々に気が注けてありたぞよ。


○大正4年旧11月26日
 天地の大神様が、いよいよ諸国の神に、立替の命令を降しなされたら、艮の金神、国常立尊が総大将となりて、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、八百万の眷属を使ふと、一旦は激しいから、可成(なるべく)は鎮まりて世界の守護をさせるなれど、昔の生粋の日本魂(やまとだましい)の活神(いきがみ)の守護と成りたら、この中へ来ている身魂申附(みたま まおしつけ)てある事を、皆覚えているであるが、一度申した事は其様に致すから、神の申すことを一度で聞く身魂でないと、充分の事は無いぞよ。もう神からは、この上人民に知らせる事はもう無いから、大峠が出て来てから「如何様(どない)でも改心をしますので赦して下され」と何程申しても、赦すことは出来んぞよ。是程大望な昔からの仕組を今になりて変るやるな事を致して居りたら、二度目の世の立替の大きな経綸が成就致さんぞよ。根本から大洗濯を致して、末代世界の口舌(くぜつ)が無いやうに致して、外国の害をする霊魂が、学で此世を暗闇にしてしまうて、正味のないカラの教やら仏のやりかたは、世の大本からの教でない。途中から出来たものは末代の世の遣り方には用いんぞよ。


(※5)
○「宇宙の声音」 玉鏡(昭6/4)
 此大宇宙には、アオウエイの五大父音が鳴りなりて鳴りやまず不断に轟いてゐる。そして此父音より発する七十五声の音響は種々様々に相交錯して、音楽の如く、鳥の声の如く、秋野にすだく虫の音の如く微妙の音声を絶えず放つてゐる。此の微妙の音声は、天地進展の響きであって、これによって森羅万象一切が生育発達を遂げてゐるのである。言霊の幸ふ国、言霊の天照る国、言霊の助くる国等といふ言葉は日本のみの事でなく、天地森羅万象一切の進展的活動に対して称へたる言葉である。大声裡耳に入らずと云って人間の聴覚力には限度があって余り大なる音響も亦微細なる音響も聞きとる事が出来ないのであるが、言霊の大道に通じた人の耳には五大父音を始め森羅万象より発する七十五声の微妙の音声を聞く事が出来得るのである。
 大本開祖はいつも宇宙万有の微妙の声を聞いてその天造力の偉大さを讃歎されてゐた。然し老齢の為耳鳴りがしたのとは全然訳が違ふのである。人間の聴覚力は風雨雷霆の音や禽獣虫魚のなく声、人間同士の言語又は器物より発する音楽の外、宇宙の声音は聞きとる事が出来ないので、王仁が宇宙の声を常に聴くといっても容易に信ずる事は出来ないのを遺憾に思ふ次第である。


○王仁三郎曰「ヨハネ伝」 玉鏡(昭7/1)
 こんにちぼくいちばんおしむべきは、〔 しんやくせいしょの 〕でんふくいんしょの第一章がしんかいとところにある。「太初はじめみちあり、みちかみともにあり、みちすなはかみなり」とあるが、ことすなわちみちつるのたかあまはらのことである。このてんことたまさちはふくにで言葉はすなはかみである。のりいのりことたまによって、よいかみあらはれるのである。こえんだひとほどたましいはよい。
〔 私註:ことひとかみたるかみは、かみうえいてすうしめもうすがゆえ。神の旧字はかみ。すなわちかみ=十、まるじゅうは世を救ふもんしょう


○王仁三郎曰「宇宙のこゑ」 玉鏡(昭7/4)
 「みち」はつるのである。この宇宙にはことたまちてゐる。すなはひとつの機械でも動かせば非常なるおんきょうはっするごとくに、の宇宙もだいせんかいしてゐるから、非常な大音響をも発してゐる。すなはアオウエイのだいおんりてまずにるのである。音響もまたこといっしゅである。しきてきに発するのが言葉であり、しきに発するのが音響である。かく言葉は「みち」であり「かみ」である


(※6)
○王仁三郎曰「竜は耳が聞えぬ」(月鏡、昭5/2)
りゅうみみいてつんぼむが、竜はみみきここえぬものである。竜はしんかいぞくしてるから人間のことつうぜぬ。かみさまの言葉でなくては聞えぬのである。だからつうひとふう叱咤しったするちからい。神界につうずることたまもちぬしのみが竜にめいれいし、てんねんげんしょうゆうにしけんのうをもってるのである。



テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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