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「綾部から咲く九つ花」と「弥勒(みろく)」と国常立尊様

1892年(明治25年)2月3日節分の日(旧暦正月元旦)、京都府綾部市新宮町より、出口 直でぐちなおさんが艮 金神うしとらのこんじん   国常立尊くにとこたちのみことの御言葉を告げられてから、123年以上が経過しました。出口直さんが半紙に毛筆で書きなぐった御筆先おふでさきを、世界屈指の預言者で娘婿の出口 王仁三郎でぐち おにさぶろうさんが取捨選択し、著作として発表されたものが、今日まで伝わる『大本神諭おおもとしんゆ』となります。全編珠玉ともいうべき内容ですが、特に重要な一節が、「綾部あやべからここのはな 」です。

明治31年旧暦12月26日 大本神諭
『出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たなれば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ』

そこで誠の人たる上野公園さんが登場して、丑寅金神うしとらこんじん国常立尊様が 『牛(丑)に秘めた意図(糸)』 を紐解ひもといてくださいました。ひもという漢字かんじ観音かんじるままに分解すれば糸 丑ひもとなり、糸+丑(牛)牛の意図と読み替えられます。意図いといと同じ「いと」と読む。分解、解釈の「解」にも、同じく牛(丑)の文字あり。これら一連の仕組みを解説してるのが、上野公園さんのホームページ 『大本教神諭解説』 です。示されたのは、『綾部から咲く九つ花』とは九の数理盤のことで、お釈迦様の悟りとは、全人類一人ひとりの魂の中に創造神の分魂カケラが秘められており、この働きが『良心』たる閻魔大王のこと。つまり魂の漢字は『鬼が云う』なれば、鬼が云う内容は「良心の呵責」で、その者を天国へ導く。創造神は日本語に秘密を込めた。バベルの塔で人間たちの言葉は狂ったが(誑かされた)が、唯一、主神ヤハウェの言葉を使い続ける民族があった。

なぜ上野公園さんがお釈迦様の悟りを「創造神と良心神論と魂論」で説けるのか、あるいは断定できるのかというと、『綾部から咲く九つ花』が弥勒如来みろくの仕組みだからです。弥勒如来とは、お釈迦様の悟りを誰もが忘れた末法の世において、釈迦入滅後の五十六億七千万年後にあらわれて、人々に「お釈迦様の悟り」を次げる未来仏。兜率天で修業中の時は「弥勒菩薩」で、仏陀としてあらわれる時は「弥勒如来」です。いよいよ始る 改革の力弥革力です。
では、出口王仁三郎聖師さんの弟子だった友清歓真さんに、なぜ弥勒みろくみろく369と読むのか、説明していただきましょう。

○友清歓真 1921年(大正10年)8月11日 『霊学筌蹄』 p.145より抜粋 (近代デジタルライブラリー)

と云っても茲に僅かばかりの紙面で解説しても到底のみこめないものもあるし又発表を許されて居ないものもあって甚だ勝手が惡いが、その秘断上の一機関たる統一数霊ミスマルノタマ(天行居元数盤とも云ふ)の一面だけをお目にかける。元来これは立体的なものなので、それを茲に平面的に図解することは不本意千萬であるが、やむを得ぬ。これは各霊法にも応用するものであるのみならず、一切の根本哲学の秘密を開明する七つ道具の一つなので、わが太陽系生成以来今日始めて挙揚するものであるから、精神を確かに持って心読して頂きたい。併し其の荒筋の其の又た荒筋たる初門だけは太古からあった。日本の傳は途中で埋没したが、それが支那には伝はって行った。それは何かと云うと誰も知る洛書である。

6 1 8

7 5 3

2 9 4

これは西洋でも昔から魔数と云って、どちらから読んでも合数十五となるを只だ面白いものとして、子供の低級な数学的遊戯の一つとしてあった。無論なんの奇も妙もないものとして、その玄閲な真義を知るものが無かった。支那では稍や神秘視せられたけれど、これは洛書の出自の背景が例の支那式だからと云う位ゐなことで、これにどれだけな超哲学的な哲理が暗示されてあるかを、三千年前はいざ知らず三千年来一人として開明し得た人が居なかった。―最も支那では此の洛書から立論されて政治哲学や軍事哲学が種々に彩られたことはあるけれど―。それも其の筈で、右に掲げた洛書だけでは実際の神機に觸れることが出来ぬからで。これは後にこの荒数魂の奥の和数魂を発見するものが出てくるまで、神界から秘せられてあったのである。西洋人ばかりでなく多くの日本人も右の数魔なるものに対しては小学児童以外誰れも感興を惹くものは居らぬ。何のへんてつもないものとして見て居る。昔から萃果りんごの落る音を聞いたものは沢山にあっても一人のニュートン出るまでは何のへんてつもないものであったが、彼れの霊性に觸れると忽ち物理学上の一大原則の発見とまでなった。今日の電燈はどうして発明されたのか、これはその実現をみる暫く以前より、今日の如き電球の中へ電流を注げば電燈が出来得るものと云うことは認められて居たけれど、実際にやってみると、球が破裂してどうしても成功しなかったので此れには幾多の学者が脳味噌を腐らかしたものである。然るにそれがどうして発明され、成功したかと云うと、たゞ其の球の中の伝流を導く線を細くしたゞけのことであった。たゞ其れだけのことであった。「たゞそれだけのこと」が今日地上の人類に多大の貢献をしてゐる電燈の現実となったのである。―さて茲に和数魂の統一数霊ミスマルノタマ(天行居数盤)の圖を掲げる。元来立体的の複雑なものであるけれど、平面図だけを示して、概念を興にておくの外しかたがない。この元数盤だけに就いても詳しく説明すると一大冊を成さねばならぬので、ほんの一二点を暗示的に申しておく。

九数盤


51 06 69 46 01 64 53 08 71
60 42 24 55 37 19 62 44 26
15 78 33 10 73 28 17 80 35
52 07 70 50 05 68 48 03 66
61 43 25 59 41 23 57 39 21
16 79 34 14 77 32 12 75 30
47 02 35 54 09 72 49 04 67
56 38 20 63 45 27 58 40 22
11 74 29 18 81 36 13 76 31

51 06 69 46 01 64 53 08 71
60 42 24 55 37 19 62 44 26
15 78 33 10 73 28 17 80 35
52 07 70 50 05 68 48 03 66
61 43 25 59 41 23 57 39 21
16 79 34 14 77 32 12 75 30
47 02 35 54 09 72 49 04 67
56 38 20 63 45 27 58 40 22
11 74 29 18 81 36 13 76 31

中央の中央たる四十一が数霊の中心で、ぐるりの一、七十一、二十一、三十一、八十一、十一、六十一、五十一の各一を帯べる数霊を以て、全體を統括して居るのである。

六靈界 一靈界 八靈界

七靈界 五靈界 三靈界

二靈界 九靈界 四靈界

説明の便宜上右の元数霊を第二図の如く九つの霊界にわけて示せば、一霊界(下記表示)

46 01 64

55 37 19

10 73 28

…は何方より※讀みても(足し算しても。46+37+28=111、1+37+73=111、64+37+10=111、19+37+55=111)各百十一となり、二霊界は何方より読みても各百十四となる如く、三霊界は各百十七、四霊界は各百二十、五霊界は各百二十三、六霊界は各百二十六、七霊界は各百二十九、八霊界は各百三十二、九霊界は各百三十五となり、何れも造化三神の三の数を以て飛び、この九霊界の111、114、120、123、126、129、132、135を何方より読むも(三霊界117+五霊界123+七霊界129=369)合計三百六十九となると同時に、元数盤の※各九段の数の合計もどちらから見ても三百六十九となる。四十一は天御中主神の数霊であるが如くに三百六十九は天照大御神の数霊であるのである。釈迦が369(ミロク)の世を豫言したのを種として大本教が頻りに三六九ミロク 弥勒みろくというけれど、その秘義は彼等にわかるものでない。彼等がこの天行居元数盤を拝んだら仰天して、血の循環が停って了うだろうと思われる。而して此の三六九の、三の自乗(9)と、六の自乗(36)と、九の自乗(81)と、三六九の和の十八(18)とに特に霊的秘義が存するのであるが、かかる事柄は種々邪霊に乗ぜられる虞れがあるので今発表するわけに参らぬ。また前に示した中央宮(吾霊界)の百二十三1 2 3という数にも特別の秘義があって、これの三倍も三六九となると同時に、五霊界にある九柱の数の總計も三六九(50+5+68+59+41+23+14+77+32=369)となることは申す迄もないことである。即ち第三図の如くなるのである。

378 333 369

387 369 351

342 405 360

而して又この第三図は何方より読むも合計千百〇七(1107)となるので、此の一一〇七の数霊にも大いに秘儀の存することである。而して此の第三図の総合計が三千三百二十一3 3 2 1となり、これが宇宙萬有の霊的元素の数である。併し絶対完全数なるものはやはり三六九なので、第一図の各九霊界の各中心数三十七、三十八、三十九、四十、四十一、四十二、四十三、四十四、四十五の和がやはり三六九となるにみても、素人でも見当がつく筈である。各九霊界の各中央の数は第四図の如くであって、これは何方より読むも合計百二十三(123)で、これが三元に顕現して三六九となるのである。

44 37 44

43 41 39

38 45 40

中心の中心たる(41)が4と1とより成るは一霊と四魂の組成で此は荒数魂(洛書)の中心の(5)なる数が一霊と四魂との格合から出来てゐるのと同意義のものに外ならぬ。故に此の中心は作用を起す原動力で他の数と並んであづかる場合は極めて稀れで、換言すれば、一から百までの数に於ても四十一の数は玄極として数えない場合がある。であるから三百六十九に於ても此れが活用の場合には、三百中に於て四十一、百四十一、二百四十一の三数が引かれ、あとの六十九に対しては一数の約四分の三が引かれるわけになる。これが即ち一年の三百六十五日五時四十八分四十六秒と合致するので、将来いよいよ霊の文明に世人が眼ざめるやうになってくれば、科学も哲学も政治も経済も其の愈々の玄理になってくると、この天行居元数盤の秘鍵を以て開明しなければ何事も真諦に觸るゝ能はざるを知るに至るであらう。

――尚ほ色々申し上げたいことがあるけれど、却て言及せずにおいて貴下の御工風に待つ方が有益であろう。心眼を開いて右の第一図に対せられて、充分の御研究を願いたい。その妙趣は湧いて盡くる處なきに至るべき筈である。さあ茲に天行居傳家の玉手函を一つ差し上げた。この函(箱)の中から瓦石を出そうと寶玉を出そうと、紫雲を出そうと屁を出そうと貴下の御勝手である。どりや一ぷくして手並を拝見仕るとしよう。(引用おわり)

しかしながら「九の数理盤」(天行居元数盤)という玉手函と大本教(出口直開祖、出口王仁三郎聖師、大本神諭、霊界物語)の関係がわからず、玉手函から「瓦石」を出してしまったのが友清さんです。友清さんは、九の数理盤からミロクを通してお釈迦様の悟りを説明できたのでしょうか? お釈迦様は「悟り」を得ることで、「もう私は輪廻転生することがない。今生が最後の人生である」と宣言されました。九の数理盤の中心は41、一辺の総計は369、そこからどうやって「輪廻転生からの脱出(お釈迦様の悟り)」を紐解けるのでしょうか? 誠の人(言をもって成る人)上野公園さんのように、綾部から九つ花(数理盤)を咲かせることができたのでしょうか?  『しかしながら、その程度の答えであれば別に大本教からでも出せた答えで0点に等しいのです。 九の魔法陣の総和が三六九に成るからみろく菩薩では、どこにお釈迦様の悟りがあるのかとなります。』 (大本教神諭解説 第二章) 

九の数理盤は、81の数字が並びます。9が重なることを九重ここのえと云います。つまり九の数理盤(九重盤)は九×九=81の枡(マス)があります。将棋盤は九×九で81マス。将棋盤を走るのはコマで、棋士きしならぬ騎士きしが戦います。つかさ士族さむらいにして、武士(侍)さむらいくらをのせた馬にまたがる鞍馬クラマの経綸。馬句コマの馬が奇魂くしみたま(魂の叡智の働き)をもって語る「」とは何でしょうか?

八一81=9×9で、九が二つならぶ(99、九九)は9が二つある「九二くに」。
国常立尊くにとこたちのみこととは「国 常 立 尊九二とこたちのみこと」と読み替えることができます。
大本教の出口王仁三郎聖師は、出口直開祖に筆先(大本神諭)を書かせた艮の金神うしとらこんじんの正体を、古事記の創造神国常立尊くにとこたちのみこと審神さにわしました。国常立尊99とこたちのみこと=九×九の九重数理盤=八十一の数字(日本語)。九重部屋ここのえべやの大横綱は千代の富士ちよ ふじ。日本語は三言みこと(あおうえい、いろは、ひふみ)から成る。この事がわからないかぎり、友清さんが「無論大本教の如き滑稽趣味の邪霊團は除外されて…」と鼻高々で宣言しても、「何もわかっていないのは貴  方友清歓真ですね」と審神されてしまうのです。天行居元数盤九二常立尊が世に出したのが、出口直開祖、出口王仁三郎、大本神諭、霊界物語だったからです。もし出来るなれば、友清さんはミロクの仕組九九常立尊に気付いた時点で心眼の曇りをぬぐい、大本神諭を「うぶの赤子の心」に戻って勉強しなおすべきでした。

友清歓真さんが神界の計画を理解できていなかった証拠は他にもあります。友清歓真『天意と現下の大戦』(1942年6月27日発行)です。1942年6月5日のミッドウェー海戦で日本空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)が沈んでから「神聖日本大勝利」なんて本を発表するようでは……。占いなり、鎮魂帰神法なり、お告げなりで、負け戦を予想できなかったのでしょうか?
出口王仁三郎聖師は1942年8月7日に保釈(第二次大本事件)されましたが、その時に「わしが刑務所から出てきたその日が日本の負けはじめじゃ」と宣言しました。まさしくその日、アメリカ軍はガダルカナル島とツラギ島に上陸を開始、ガダルカナル島の戦いにより日本は敗戦へと転がり落ちていきます。
かといって、出口王仁三郎聖師が最初から何もかもわかっていたかといえば、さにあらず。王仁三郎さんは「弥勒菩薩」についてこんな自論を述べていたことがあります。

「道之大本 七巻 第九章」
『三 神道でいながら、「達磨だるま」とか、「みろく菩薩」とか、「変性男子へんじょうなんし」とか、「須弥山しゅみせん」とか、「罪穢めぐり」とか、「因果」とか、「因縁」とか称うる教へあり。これらは、淫祠の最も甚だしきものにして、狂妄の沙汰といふべし。』

若気の至り。しかし、出口王仁三郎聖師は369と弥勒と国常立尊艮の金神の経綸に気付かれました。決定的だったのは、友清さんが発表された上記の天行居元数盤九二常立尊だったと思われます。このあと、聖師さんは新約聖書ヨハネ福音書の冒頭を引用し、「言葉は神なり、神は言葉なり、神は道なりし」を提唱されました。

○「ヨハネ伝」(昭和7年1月 玉鏡)
今日の牧師にいちばん惜しむべきは、ヨハネ伝福音書の第一章が真解できぬところにある。「太初はじめことばあり、ことばは神とともにあり、ことばすなわち神なり」とあるが、言葉ことば、すなわちみちは、つるの意味で、高天原たああまはらのことである。
この天地は言霊ことだまさちはう國で、言葉はすなわち神である。祝詞のりとや祈りの言霊ことだまによって、よい神が現はれるのである。声の澄んだ人ほど魂はよい。

○「宇宙の声」(昭和7年4月 玉鏡)
みち』はつるの意味である。この宇宙には言霊ことだまが充ち満ちている。すなわち一つの機械でも動かせば非常なる大音響を発するごとくに、この宇宙も大旋回だいせんかいしているから、非常な大音響をいつも発している。
すなわち、アオウエイの五大父音ごだいふおんが鳴り鳴りて鳴り止まずにいるのである。
音響もまた言葉の一種である。
意識的に発するのが言葉であり、無意識に発するのが音響である。
とにかく、言葉は『みち』であり、『かみ』である。

○「言霊学」(昭和8年3月 玉鏡)
言霊学げんれいがくの中興の祖中村孝道なかむらこうどうの言霊学は、一言一義いちげんいちぎに近いもので覚えやすい。大石凝真寿美おおいしごりますみになっては一言多義いぎげんたぎになった。本当の言霊学を用いたのは弘法大師こうぼうたいしくらいなもので、真言しんごんというのは言霊ことだまのことである。
弘法大師は「ア」がもとで、一切は「ア」から現われたというので、阿字本義あじほんぎを提唱したが実際は〇ゝ「ス」から出てきたものである。

言霊論です。その証明を生涯の活動をとおして成し遂げ、霊界物語全81巻(九×九)の13巻に「今大本にあらわれた変性女子はニセモノだ」と宣言することで、
13=ス(あ1、い2、う3、え4、お5、か6、き7、く8、け9、こ10、さ11、し12、す13、せ14…)、
スの大神はニセモノだよ、「カリスマ仮ス間だよ、本当の霊界物語(九×九=九二常立尊)は41「ラ」だよ、一切はラ(41)から始まったんだよ……と教えてくださっているのです。出口王仁三郎聖師=ミロク大神として、「聖師さんを信じれば救われる、開祖は曲津神だ」と宣伝すれば良いような単純な話ではありません。

創造神(国常立尊)は、神道でいながら、「達磨」とか、「九の数理盤みろく菩薩」とか、「変性男子」とか、「因果応報罪穢前世因縁カルマ解脱輪廻転生とお釈迦様の悟り」という秘密を玉手箱に隠されたのです。出口王仁三郎聖師は超霊能力者ですが、弥勒大神みろく経綸しぐみは九の数理盤で、数学的に証明できるもので、法則です。妙法(宇宙の法律)です。一天四海皆帰妙法といいます。全宇宙は数字の法則に従っており、9×9=81は永遠の真理であることに異論はないでしょう。この点において九重の数盤くにとこたちのみこととしてあらわれた神は、瑞霊の下生といわれた王仁三郎さんに対して「改心しなさい」と叱ることができたのです。



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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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