裏の神諭 解説

王仁三郎19  王仁三郎07 

☆『裏の神諭 第一輯』 小牧斧助 編 大日本修斎会 大正九年六月
原典:国立国会図書館デジタルコレクション

 冒頭

皇道大本には二様の神諭がある。教祖出口直子刀自が明治二十五年正月から大正七年十一月その帰幽昇天までに出されたのが一つで、これは主として国祖国常立尊が教祖の肉体に神懸りせられ、其手を器械的に動かし筆録せしめられたものである。他の一つは教主出口王仁三郎先生が明治三十二年舊五月を以て教祖と結合せれてから十有余年に亘りて出されたもので、これは主として豊雲野尊及其家系統の神々の神懸りの産物である。同時に二様の神諭が出るので、部内では区別の為めに前者を『表之神諭』、後者を『裏之神諭』と称えて居るが、教祖帰幽後モーその必要が無いので、現在教主の手から出るものを単に『神諭』と称して居る。
本篇は右『裏之神諭』中から、主に教訓的要素に富める部分を抜萃編纂したもので、明治三十四五年の執筆にかかるものが多い。実は『裏之神諭』は総計五百巻にも上がる浩潮のものであったので、内容は教訓、預言、教理等各方面に亘り、『表之神諭』に比して直裁露骨を極めて居る。今日若し全部保存されたならば、一面に於て絶好の指針であったと同時に、他面に於ては世人の物議の種になったかも知れぬ。それは兎に角大本役員中に教主反対者が現はれ、其大部分は先年皆焼き棄てられて了った。今日現存するものは僅々十数冊に過ぎぬが、それでも数千頁の大冊を成す丈の分量がある。『表之神諭』を繙きて望洋の歎に堪へない者は畏らく『裏之神諭』によりて多大の満足と理解とを得らるる事であらうと思う。本篇はその第一巻で、本会は今後機会を見て第二巻以下を刊行し、大本研究者の便宜を図る積りである。

 大正八年六月下旬 編者誌

〔現代注〕
 『裏の神諭』が著された同時期の「たまのいしずゑ」や「道之大本」を基底としているが、出口王仁三郎聖師の手により大幅に編纂されている。というのも、



○出口王仁三郎著『月鏡』より「捨てる事は正しく掴む事」(昭4/4)
 はくいんぜんが、一日きょうを読んで、ないようくうきょ、ただおとぎばなしの一種としててなかったならば、一生いっしょう法華経を信ずる時機じきなかったであらう。自分だってそのとおりだ。教祖(出口なお開祖)のふでさきに対して、あなだらけだ、とうていったんこれを捨て、かんぺいしゃしんしょくにならなかったら、お筆先のしんこうみょうわからない。ちゅうほうこうして、そのしゅしゃまよって一生をおくったかも知れない。これからかんがへても、てるといふことは、ただしくつかむ事であらねばならぬ。もっとも大切なものは、なにによらず一旦放擲なげうたなければ、より以上いじょうだいなるものはられない。深いなやみが無限むげん慰藉いしゃをもたらし、さびしさをほかにしてなぐさめは無く、悲しみをいとうて喜びは来らぬ。貧乏したおかげそうけんになり、長命するものもたくさんある。




……出口なお開祖および艮〔 うしとら 〕のこんじん 92とこたちみこと様の『大本神諭』の真意義については、かみこうえんさんが解〔 〕かれた『神言会・大本教神諭解説』御覧ごらんください。


王仁三郎05  王仁三郎01


テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

裏の神諭(一)上

王仁三郎02 王仁三郎03 王仁三郎12明治29年


○明治三十六年六月一日

 斯世このよ暗黒やみらさんために、天津あまつ御祖みおやかみは、あめ八重やへぐも伊都いづ千別ちわき掻別かきわけて、いづ御魂みたま みづ御魂みたまとよあしはら瑞穂みづほ中津なかつしんこくあまくだたまへり。
 ふたつの御魂みたまは天津御空より、黄金こがね光輝ひかりはなちてにくみやをさまりたまひてしき神業みわざしめして、神の國の證明あかしし、このくもりたる世をひらたまふ。

 △△御魂みたまきよめて神の御国を知り、初めて言成まことかみまみえ、まこと神言たよりけり。
 日頃ひごろ 心中こころうづたかつもれる罪の捨場すてばさとりたり。六年あまりて王仁おにが常に心にかかりつつりし疑問ぎもんの雲はれたり。いままでうたがひつつりしは、まさしく真正まことかみ御国みくにひらかむための、かへりてちからと成りたりき。今迄しからむとおもひ悩める事は、矢張やはりしかりき。あやしと思ひ考えたりし事は、ことごとく怪しかりしを、しんじょりて覚悟かくごたり。
 みづ御魂みたま△△の臍下したつ丹田いはねくだたまひて、真如まこと日光ひかりはなちたれば、△△がこころかがみわたりけり。
 うたがことすべしんかいたいたてまつりておそおほことなれども、けだことなり奇怪あやしことがらと思ふ時は、たとひ神界のおんことなりとも何處どこまでもかんがへざるらず。ただかみことばなりとて前後の区別くべつく、ただちにしんずる時はめいしんおちいり、かへって眞正まことみちそこなやぶし。
 △△今迄はつみけがれなか彷徨さまよひて、みち行程ゆくてに苦しみたりしが、今や天降あまもたまひし瑞の御魂りて、ただしくやすたいらかなる大道おほぢみちびかれたり。我れさとすくはれたり。これより進んでそのさとたるところ発表あらはしめして、もっけがれたる世を救はむとほっす。
 あまはら雲路くもぢはるかに掻別かきわけて、天降あまもりたる瑞の御魂つたへにりて、天の道、地の道もあきらけくれり。あめのみち つちのみちもとよりかし。よのひとこころくらがりなりしゆゑに、今までかきみちを知らざりしのみ。あゆまざりしのみ。
 瑞の御魂 いまくだりて肉の宮に入り、ねんごろに神の國のおしへつたふ。神の子よ、すすんで神の教を聞け、かみことば生命いのちつなにして、さかええのそのなり。

 神〔 示申かみ 〕にせいじゃべつあり。せいしんかいかみがみそのしんれい、皆てんていより直接にたる。じゃしんかい御魂みたま體主霊従あく〔 惡 〕よりおこるものなり。
 神よりいででたる至霊しれいかみよろしくけいすべし。神よりでず、つみよりたりし曲津まがつかみは、けっして敬すべからず。
 すべしんだうをしへしんずるもの、もっとしんちょう態度たいどし、ちんちゃくにしてしんきょうせいじゃわきまらざるべからず。あくなるものはつねぜん仮面かめんかぶりてあらはれたり、心ただしきもの、またおこなひきものを迷はせ、苦しめんとするものなり。
 あめなかぬしかみ精霊せいれいたるあまてらすすめおほかみは、至仁至愛みろく〔 369 〕のおほかみなり。神はゆうしんあいもっこころたまへども、特に仁愛みろく 〕をって、しゅとしたまふ。




きゅうすうばん(おこめぎん舎利しゃり 〕+うめぼしまる〔 弁当 〕は日本にほんの国旗の意味を籠め〔 こめ 〕る。) とこたちのみこと

  
一 31 76 13 36 81 18 29 74 11
二 22 40 58 27 45 63 20 38 56
三 67 04 49 72 09 54 65 02 47
四 30 75 12 32 77 14 34 79 16
五 21 39 57 23 41 59 25 43 61
六 66 03 48 68 05 50 70 07 52
七 35 80 17 28 73 10 33 78 15
八 26 44 62 19 37 55 24 42 60
九 71 08 53 64 01 46 69 06 51

綾部から咲く九つ花九×九の数理盤」は、中心の「41」を経由すれば「」の形をめる三六九弥勒経綸しぐみ
おしえこめられた秘密ひみつは、『〔 他 〕をすく〔 救 〕いて世根よね〔 米(よね) 〕となれ』。

51+42+33+50+41+32+49+40+31=369
21+39+57+23+41+59+25+43+61=369
11+38+35+14+41+68+17+44+71=369
01+37+73+05+41+77+09+45+81=369

31 76 13 36 81 18 29 74 11
22 40 58 27 45 63 20 38 66
67 04 49 72 09 54 65 02 47
30 75 12 32 77 14 34 79 16
21 39 57 23 41 59 25 43 61
66 03 48 68 05 50 70 07 52
35 80 17 28 73 10 33 78 15
26 44 62 19 37 55 24 42 60
71 08 53 64 01 46 69 06 51

九×九の数理盤(将棋しょうぎばん)は、縦列、横列、どこの総和もになりますが、中央数「41」を経由けいゆする弥勒ミロクの列を赤く塗ると、「コメ」の形状になります。御飯(米=ぎん舎利しゃり)だけで中心に「うめぼし〔 梅干 〕」をいた弁当を「まるべんとう」と云いまして、大本教神典では九二とこたちみこと様を「日本の国祖大神、地の先祖せんぞ様」と表現しています。またうめぼし〔 梅干 〕の種子たねの中心( じん )をてんじん〔 天のじん 〕様とも申し上げる。41=天神( 天之御中主 )様。日本語で、あ01、い02、う03、え04、お05、か06、き07…と数字をふると、「」からかぞえて41番目に来るのは「ら〔 ラ 〕」。を漢字を変換すると、「」(奈良県など)、「」(羅城門など)、「」(全裸など)、「」が出てきます。大本神諭〔 出口でぐちなお開祖のふでさき 〕において、鬼門きもんに位置するうしとら〔 丑寅 〕のこんじんたるくにとこたちのみこと様は、此世このよ閻魔エンマあらわれる……と表現されます。神仏を守護するおに……すなわの鬼〔 〕をおう様といます。仁王達を指揮して、死者のぜんあくせいじゃと罪の重さをしんぱんする閻魔大王がおはす鬼門きもんとはしょうもんのことで、羅生門〔 しょうもん 〕は、神の都たるエルサレム平安京まもります。大本神諭いはく、綾部あやべふくやままひづるそとがこい、四方しほうみやうち





 あいいつつのべつあり。いちは「親子おやこあひだの愛」なり。親が子を愛し、子がの親をけいあいするは、人類固有こゆうてんせいなり。きんじゅういへどもも子を愛す。なかには子もまた親を愛するものあり。れ普通の愛なり、動物自然の愛なり。の愛きものは世界に無きはずなり。しかれども暗黒なる今の世は、親のほうよりして子を愛すれども、子よりして親をうやまひ愛するものすくなし。はと三枝さんしれいあり、からす反哺はんぽこうあり。いはんや神の子とうまいでたるひとにして、親を敬ふ事をさず、これを愛し、つかふる事をざるものは、禽獣にもおとるものなり。野山のたけけものさえ子を愛する事はれり。我子のみを愛しながわが父母ふぼを敬愛せざるもの、今の世にもっとおほし。
 は「このむの愛」なり。牛馬を好むがゆゑに牛馬を愛し、ぼんさいを好むが故に盆栽を愛し、書画しょがを好むが故に書画を愛し、美人を好むが故に美人を愛す。すべて好むの愛は自己じこの好みにりて、自己の心を愛するものなり。牛馬そのものために愛するものにあらず。盆栽、書画、美人、そのほかすべそのものの為に愛を加ふるにあらざるものは、みな「このむ」の愛なり。
 さんは「義理ぎりあい」なり。の愛は心の底より出たる愛にあらず。ままははが、せんさいの子を愛するのは、れ義理の愛なり。継母なりとてかくのごときもの而己のみにあらず、たまには眞實まことこころうるはしくして、心の底より愛するものきにあらず。れど継母のまま子を愛するは、たいていそのおっとに対する為に愛し、親族知己ちきに対する為に愛し、また世間せけんへ対するの為に愛す。是等これらるゐすべて義理の愛といふなり。
 そのよんは「いつはりりのあい」なり。くちさき而己のみあいとなへつつ、心にしんの愛なきものなり。げんこんしゅうきょうどうがくしゃなどのくちにする愛はすべ偽善ぎぜんなり。いつはりの愛なり。又、しんせいあいなりと信じて、ひとびとすくひのみちみちびかむとおもわづらひ、まことあいを誤解せる人の愛は、いつはりの愛とる事あり。度量どりょうせま智識ちしきあさしんたうしゃ。又はがんめいなるきょう法家ほふかしゅしゃうする愛もおほくは偽りの愛と成る事あり。
 は「かみあい」なり。神は至仁至愛三六九なり、まことの愛なり、ただしくうるはしくかぎき愛なり。てきするものもしたがふものも、区別くべつてざるしんあいなり。しんこんけがれ、かつまがりたるものをきよなほし、ぜんみちびくは神の愛なり。すべてのひとかたより見る事なし。 国のないがいはず、人種の異同いどうろんぜず、ひとしく愛するは神の愛なり。神は善人のこうべてらし、あくにん身体からだひとしく照したまごとく、如何いかなるつみけがれふかき人なりとも、善人と同じく愛したまふ。これ至仁至愛369かみごころなり。神は弱きもの、ちいさきもの、しきもの、道を知らざるものに特に神慮みこころわづらはしたまふなり。わが身魂みたまけがれたることくもれる事、いやしき事をみづかさとたる人は、最早もはや神の御国みくに近付ちかづきたる人なり。しんとくたる人は、何處どことなくおんじゅんなり。みやび言詞ことばさいはひあり。悪言暴語ののしりは神徳にはなるるものなりゑたるもののしょくたずね、かわきたるものの水を求むるごとく、かむながらおほみちしたふものは、神徳をくるのはじめなり。おのてんしょく仁慈じんじこころおこりて人々を敬愛するものは、すでに神の御恵みめぐみひたるひとなり。



☆上野公園さん『神言会 大本教神諭解説』より、弥勒三六九経綸しぐみを抜粋します。九二とこたち御言みこと〔 尊 〕のまんなか、すなわち『』=良〔 ラ 〕のひかりが四方八方をあまねてらす『あまてらすすめらおほかみ』( 水戸みとならぬ天の御戸みとみつくには、八方向のすめらぎ)。言葉ことばで解〔 〕かれた、誠〔 言成まこと 〕のあま岩戸いわとびらき。えん〔 閻魔 〕大王(41の言霊)の善悪正邪の審判はあまねく公正公平にして、三千世界に逃げる場所なし。如何いかなるつみあくも見逃さず、如何いかなる善行も忘れない。「神の愛」。すなわち、ぜんこうが八方向〔 圀 〕にきらめくくにとこたち御言みこと〔 日本語 〕。

31 76 13 36 81 18 29 74 11
22 40 58 27 45 63 20 38 56
67 04 49 72 09 54 65 02 47
30 75 12 32 77 14 34 79 16
21 39 57 23 41 59 25 43 61
66 03 48 68 05 50 70 07 52
35 80 17 28 73 10 33 78 15
26 44 62 19 37 55 24 42 60
71 08 53 64 01 46 69 06 51





 じんあいにもしゅじゅあり。みたる人のまずしき人をあはれすくうも仁愛なり。強き者、弱き人をたすたまうも仁愛なり。また強きものをあはれみまざるべからざる仁愛あり。けだいえとみたりとて、ちからつよきとて、まことおほみちと、まことひかりを知らざるものはあはれむべし。かかる人々をまことみちに導き救ふは、至仁至愛みろくかみ御心みこころかなへる仁愛なり。かみ御子みこたるひとびとを憐れみ救ひたる人は、また天地てんちおほかみより其身そのみを憐れみ救はるし。
 
 神にしたしみつかふる者は、至幸しかう至福しふくの人なり。神に親しみ仕えむと思う者は、神とひとしきただしきこころならざるべからず。
 神の道につくせしために、攻撃せめらるるをよろこびとせよ。正しき事をすがために、惡魔あくまさまたげられ、めらるるをさいはひとせよ。真理しんりりて進みし為に、攻めらるるをよろこびとせよ。しんかいより偉大ゐだいなるちからと、無限の神徳を与へらるるはじめなればなり。
 誠の道のためくし、正しきをしへしたがいたるが為にひとこれののしり、あるひくるしめ、またいてしきやうし、あるひは新聞雑誌等にて攻むるものあらば、よろこしんめいに感謝すべし。神界にてはこれはんして、かならむくひあればなり。
 じんしゃく富貴ふうき必ずしもさいはひならず。人は人たるの道を歩みて、まことかみまみたてまつことたるものほど、世にさいはひなるものはし。ちかよくなる者、かたくななる者は、このまことさいはひにはもくれず、物質的財宝をたくはへ、もって至幸至福と誤解す。にくがんのみひらけてこころまなこくらく、れいこんかいまことの幸福を知らず。神より見れば実にあはれむきものなり。
 世の中のすべての人を敬愛すべし。人はみなかみぶんしんぶんれいにして、すなわち神のうづ御子みこなれば、人を敬愛するは神を敬愛したてまつるにひとし。
 神祇しんぎけいさいし、又祈願きがんするは、すべての物事にきて利益りえきあり。しんこうえきとなり、の国の益となり、世界の益となり、又そのいへの益となり、其他そのたいっさいの利益をたすものなり。
 信仰は現在のしんたいそうけん持続じぞくし、病苦びょうくまぬがれ、永遠のしんせいめいためなり。また未来にけるれいこん生命いのちの為に、もっとだいなるちからとなるなり。
 人々の多くは其身そのみおかせるあやまちために、みづかしんめいとほざかる。れどひとうぶ赤心まごころかへりて、神をはいし、神をうやまひなば、神はたちま近付ちかづたまひて、しんじんがふいつさかひり、偉大ゐだいなるちからよろこびをさずけて、そのてんしょくまったからしめたまふ。
 神を敬愛するのは、わがみのおやまさるべし。親にまさりて神を敬愛するものは、其親また神よりひとしほふかめぐいつくしまる。
 しきひとを見ればただちに我身わがみわがこころかへりみよ。仔細しさい調しらる時は、我身わがみこころにもひとまさりて、惡しき事のるをさとべし。
 惡しき人、愚昧ぐまいなる人といへども、決してあなどり見るべからず。よろしくそのひとかがみし、我心身をかへりみて、すこしにてもしき事あらばあらたむべし。惡しき人、なる人を見降みくだす者はすなわち我身を見降みくだす人とる。
 おほもとしんじゃたるものは、おこなひつとむべし。信者にしてき行為ときは、たうとおほかみみち御名みなまでも、けがやぶことり。いったん神の道にながら、神の御名をけがしたる者は、神をしんぜざるものよりも、そのつみかへりてだいなり。信者とればすぐれて良き行為と、まことこころもって、神の御徳をあらはたてまつるべし。
 おほもとまことの信者たらむとする者は、既成宗教いままで布教師とりつぎうちの、最も清き者よりもまさりて、身魂みたまみがとくまざれば、神の御国みくにいたらむことかたし。
 れど おほもとみちは、既成宗教いままでの教奉信者とりつぎしんじゃゆめにだもらざりし、きよかきみちなれば、このみち信徒しんとたるものは、各宗教の布教師とりつぎうちの、最もすぐれたるものよりまさことばんばんなり。
 おほもとみちるものは、よろしく三種みくさかんだからりて、かみ御徳みとくあらはすべし。神のひかりかがやかしたるときは、そのものは神界よりかぎちからと、栄誉さかえと、光輝ひかりあたたまふべし。
 くさなぎつるぎくさりてはなんようをもさず。人〔 〕たるものはすめかみみちりて、こころべる草薙之剣〔 あめむらくもつるぎ 〕をぎ、つねよきことためちて、こころ惡魔あくまほろぼせ。
 たまみがかざればひかりなし。心にけたる八坂やさかまがたまを、えず皇神の道にりてみがくべし。光なきたますでたまたるの価値かちうしなひたるものなり。心〔 精神こころ 〕をもちひて心の玉をけがことなかれ。
 かがみくもればすべてのもの姿すがたうつべからず。人の心にけたる八咫鏡やたのかがみを、皇神の道にりてみがし。
 かみ御子みこたる人々は、神よりさずたまひし三種みくさかんだからを、みがきよめて、神の國の栄えの為にもちふることを、ひとこころいのし。
 神の子の心のうちをさまれる、の神宝にしてび、くさり、れ、まがり、虫喰むしくやぶれたる時は、其身そのみも、たましひも、永遠に死にむかひてはしれるものぞ。おそつつししみて油断ゆだんあるからず。
 金あればゆづは無し、子がれば譲る金無き世の中の道、やまに清き姿を写すとも、ゆめにごをなひたしそ。したのみかみくにいたるものり、みみのみたかあまはらのぼるものり。人は必ずまことを尽して、全身を神の國へのぼらしめて、まったくし、其の魂をまったくすべし。
 ぜんしんを神の國へげむと思はば、其のこころまとへる、おもつみはらあらため、皇神の稜威みいづりて、雪よりもしろく、身魂みたまきよむべし。
 くちさきばかりぜんなるものはようかいなり。耳のみさときものも變性へんげなり。妖怪変化は神の國に無用むようなり。
 神の子よ、くしみたまかへりみてさと〔 悟 〕れ、神のとうと稜威みいづを。男子をとこを産むと思へども女子をんな生れ、女子を得むと思へども男子生れ来る事あり。うるはしき子をんと欲すれども、みにく生れ来り、また、子の欲しき人に子をあたへられず、子を欲せざる人に、かへって子多く生れ来る事あり。これすなはみな神の御子にして、人の兒にあらざる証拠しょうこにあらずや。し人の産みし児ならば、児を産むもののこころままに成るべきはずなり。
 すべて人の斯世このよに生れ来るは、うるはしきかみ御心みこころと、いた御功みさちる。ゆゑ我兒わがこいへども、我子わがこあらざるをさとるべし。我子にして我子にあらず、いつれもみな神のまこと御子みこたる事を覚らば、決してわが生みし子なればとて、粗畧そりゃくなかれ。まことの神に仕ふる心の子を養育せざれば、神の大御心にそむくものとるべし。
 かみひとすぢつくざる人の身を以て、子に対しおやがほからず。神の御心と活動はたらきりて、生れ来たれる子のかうべへ、手などぐるものは、神の國によろこばれず、かへっつみるべし。

 吾身わがみてきするものといへどにくなかれ、むしわれより真心まごころもっしたしむし。あしき人をあはれみてそのひとために神のまもりいのし。くする時は神はそのこころおこなひそなはして、ひとしほおほいなる栄誉さかえと、めぐみくださせたまふ。
 れをあいするものを愛し、我をけいするものを敬するはぼんじんことなり。如何いかなる惡人といへども、人に敬愛せられたる時は、おのれまたこれを敬愛す。
 れど皇神の大道にてきし、あるひぼうがいするものは、おほかみそむく惡魔〔 あく 〕なれば、すこしも看過かんかすべからず、みちため神の為にちからつくしてげき退たいし、もって神の御国を守るべし。
 人はすべて神の御子なれば、何事も神に習ふし。神の仁愛のまったきがごとく、世界の人々に対しても敬愛をまったくすべし。
 人にられむがために、られんが為にぜんなかれ。人に見えず、知れざるやう善をおこなふべし。隠れたるところにて善をす時は、神は之を世にひろあらはし、おほいなる良きむくいくだたまふ。
 何事もみな神にまかたてまつれ。よし無き事に案じわづらなかれ。
 着る物、食ふ物、住む家などは、人々をやすくせむ為に、天地の神のさづたまふものなり。ゆゑに人にして誠の道に依りて求むるにおいては、神はこれあたたまはずと云ふこと無し。鳥獣といへどもも我身を養ひ、生命いのちたもるにあらずや。神の仁愛は万物にあまねわたりて限り無し。
 あしかがよしまさ奢侈しゃしたいこうひでよし栄誉さかえも、さかりはばいくわいちりんにだもおよばず、あたかさくらの花のごとく、唯々ただ一時のゆめなりき。人は神の御国にたからを積みて、神の國の限り無き栄誉さかえ歓喜かんきを得よ。ただ一時の桜の花のさかえを捨て、永遠の春を迎え、まことの花の限り無き栄えをのぞむべし。
 梅の花は年をへだかんばしく、昔も今も変りなき、神の霊にち、つゆ弾丸たましもつるぎ、雪のかんむりしのびて、すこしもたゆまず、たへなるかんばしきを放ち、の花の盛りも永く、そのは世の利益をすなり。信仰はすべて梅の花にならふべし。
 世のおほかたの人〔 〕は、どろうみただよひてれいの生命をうしなはむとす。天津あまつかみこれあはれたまひて、いづ御魂みたま みづ御魂みたま下津したつ岩根いはねにくみやくだたまひて、迷へるもの、おろかなるもの、罪あるものに、光をあたへ智識を與へ、罪を清め、身魂みたまの生命を永遠にがしめたまふ。



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

裏の神諭(一)下

王仁三郎04左米田雄郎、右飯田兼次郎、出口壽賀麿、宮澤澄江

 至仁至愛みろくのかみ全智ぜんち全能ぜんのうしませば、第一に大地だいちつくり、二にたいようを造り、三にたいいんを造り、これれいこんれいりょくれいたいとを賦与ふよたまひ、あまてらすおほかみをして太陽を守らしめ給ひ、おほくにとこたちのみことをして大地を守らしめ、つきおほかみをして太陰を守らしめたまふ。
 至仁至愛みろくの天帝かみは、天津あまつ御国みくにりては天津あまつ八百万やをよろづかみうみたまひて、おのおのまもるべきくにたまさだたまふ。
 宇宙うちゅうにはゆいいつてんていよりほかに、かみしととなふるをしへあり。みな神理しんりくらおくそくにして、へんけんはなはだしきものなり。天帝すなはちおほかみは、全知全能なるがゆゑに、てんしん地祇ちぎ八百万やほよろづの神をたまひて、いたところくにたまさだめ、くにぐにところどころしたしく守らせたまふなり。



☆上野公園さん『神言会 大本教神諭解説』より、弥勒三六九経綸しぐみを再びばっすいします。

りゅうぐうの乙姫〔 おと



○九の数理盤(九×九の魔法陣)
31 76 13 36 81 18 29 74 11
22 40 58 27 45 63 20 38 56
67 04 49 72 09 54 65 02 47
30 75 12 32 77 14 34 79 16
21 39 57 23 41 59 25 43 61
66 03 48 68 05 50 70 07 52
35 80 17 28 73 10 33 78 15
26 44 62 19 37 55 24 42 60
71 08 53 64 01 46 69 06 51

51+42+33+50+41+32+49+40+31=369
21+39+57+23+41+59+25+43+61=369
11+38+35+14+41+68+17+44+71=369
01+37+73+05+41+77+09+45+81=369

綾部から咲く九つ花九×九の数理盤」は、まんなかの「41」を経由すれば「」の形を秘める三六九弥勒経綸しぐみ
こめをしへこめられた言葉は、『他〔 〕を救〔 すく 〕いて世根よね〔 米 〕となれ』。

31 76 13 36 81 18 29 74 11
22 40 58 27 45 63 20 38 56
67 04 49 72 09 54 65 02 47
30 75 12 32 77 14 34 79 16
21 39 57 23 41 59 25 43 61
66 03 48 68 05 50 70 07 52
35 80 17 28 73 10 33 78 15
26 44 62 19 37 55 24 42 60
71 08 53 64 01 46 69 06 51


 ともきよよしざねさんは、ある神から「綾部あやべからここのはな」と弥勒369の関係を教えられ、中心の41番目はえいえん不朽ふきゅうあめなかぬしおほかみはっぴょうしました。しかし、41=天之御中主では、どこにお釈迦しゃか様のさとりがあるのか? お釈迦様〔 釈迦牟尼仏 〕にゅうめつ、五六億七千万年後にあらわれてお釈迦様のさとりを人々ににょらいが、弥勒みろく菩薩ぼさつです。友清さんには出来ませんでしたが、かみこうえんさんが出てきて、言が成ってられた「まことことる=言+成=言成まこと〔 誠 〕」の仕組しくみを解読してくださいました。

日本語あ・い・う・え・お・・・順番で第41番目にことたまは「」で、県でわかるように「 ら 」=「 ラ 」=「 良 」。エジプトの太陽神はラー、預言者モーセ(神の言葉をもうす)は40年間荒野あらの彷徨さまよい、41年目でやくそく 「イスエル」にとうたつして「ラ( 良 )のる」=)。41番目に「 ラ 」がないと、グルグルまわるイスム()教=かいきょうで、うしとらこんじんあらぶ(アブ)るてんじんーのまま。アブハム三宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は砂漠さばく(荒野)の三宗教ともいわれ、ナザレのイエスは40日間荒野を彷徨さまよい41日目に主神の御子みこる。アブハム三宗教の創造神ヤハウェと、仏教および大本教がげた大神がかさなります。この綾部あやべからここのはな( 9×9=81 )は、99くくで九が二つならぶ(並ぶの旧字)ので、が連続して立立ならとこたち御言みこともうげます。の大神は日本国92とこたちみこと経綸しぐみなり。
 大本神諭、艮(ウシト)のこんじんはこの世の閻魔えんまとあらわれる。
 地獄じごく閻魔えんまだいおうは善鬼達〔 仁王におう達 〕のだいげんすいにして、たましい輪廻りんねてんせいつかさどり( 閻魔庁における死後のしんぱんで六道輪廻のはんけつくだす)、閻羅えんら大王として邏卒らそつ警邏けいらの鬼達を指揮します。「 たましい 」という漢字は、「云鬼=おにいう」。日本語41番目の言霊は、人間の魂〔 たま思惟しい 〕の中核に位置するちょくれいにして、りょうしんというはたらきをつかさどる創造神〔 天帝 〕の欠片かけらなのです。ずいれいいわく、「日本はことたまさちはうくにことたまあまてるる国、天輝る国」、日本という国土くにつねことのはは「 国常立之尊〔 御言みこと 〕 」。日本語あ-い-う-え-お-41番目の言霊は、八方向にぜんこうてらす勧善懲悪の御戸みとみつくに天智てんち〔 天地 〕をあまね普遍ふへん〔 不変 〕にらすあまてらすすめらおほかみ(太陽神ラー)、すなわち正義のぜんこうが四方八方(圀)にきらめくくにとこたち御言みことでしょう?

31 76 13 36 81 18 29 74 11
22 40 58 27 45 63 20 38 56
67 04 49 72 09 54 65 02 47
30 75 12 32 77 14 34 79 16
21 39 57 23  59 25 43 61
66 03 48 68 05 50 70 07 52
35 80 17 28 73 10 33 78 15
26 44 62 19 37 55 24 42 60
71 08 53 64 01 46 69 06 51




 地球ちきゅうつつめる雰圍氣ふんゐきがいかみがみ天津あまつかみなり。雰囲気内にす神々は國津くにつかみなり。
 てんふるうごき、うみあらなみたけくるひ、とどろき、さかきたりて、つみびと身魂みたまさらはんとするとも、いづ御魂みたま みづ御魂みたまりますかぎりは、神の稜威みいづりてはら退しづたまへば、神の道にまことのものは恐るべき事なく、ほろぶ事し。
 このふたはしら御魂みたま御許みゆるしなき時は、何事もげず、如何いかなるたけ あらしちからかぎすさぶとも、二柱の神の御許なき時は、木葉このはの一つだもはらおとす事あたはざるものぞ。
 厳の御魂 瑞の御魂すくひの御聲みこえいかづちごととどろき、御光みひかりいなづまごとすみやかなり。
 至仁至愛天帝みろくのかみはじめく をはりし。ゆゑかぎりあいしんゆうそなたまへば、天津あまつ御空みそら国土みくにそこも、しんとくたらへり。
 又ばんぶつつくり、ばんじんみ、ちゅうべつまもつかさどりたまへば、神の子たるものは、神の御稜威みいづかぎり無くたかく、ひろく、ふかきをよろこあふぎて、生命いのちらむかぎりは大神をとうとうやまひ、まめやかに心も清くうるはしく、ながつかまつるべし。
 天津あまつ御祖みおやの神の御心みこころもって、中津なかつくにあまくだりたるふたつの御魂みたまそむくものてきするものはかならほろくなり。神の御心みこころよりでし御使神みつかひたれてきん。この地球ちきゅうとよあしはら瑞穂みづほくになり。またおほやまととよあきしまなり。わがひのもとは豊葦原のなかくになり。またおほやまととよ秋津あきつわきくになり。すなはち地球の中心にくらゐし、てんそんこうりんして地上一切を統治とうじたましんこくなり。
 かかたうとき神国にせいけたるかみは、ことさらに神を敬ひ、国を愛し、おこなひきよくせざるからず。
 山も海もかはも田も畑も、みな神の稜威みいづにより、ことたまさちよりつくられたり。ゆえひとたま生命いのちも、るもの、ふもの、住む家も、ひとつとして神の御業みわざるることなし。

 神をあつけいしんし、いとまめやかつかまつるものは、たまかみともにあり。しんじんがふいつにしてかみすなはひとなり、人〔 〕は即ち神なり。さかひに信仰すすまば、いはゆる霊主體従ひのもとしんじんなり。至仁至愛みろくおほかみは、たか天津あまつ御国みくにおはしませどもよのひとためあまくだたまひ、身魂みたまきよき人〔 〕のうへのぞみて、かみみやし、やみの世をひかかがやかせたまふ。
 真智しんちしんゆうしんあいしんしんある人は、たまも共に神にまみえつつあり。
 みづ御魂みたまたか天津あまつ御祖みおやかみの、じきじき御子みこしませども、世のつみけがれはらきよめむために、おほ御神みかみ神勅みことかしこみ、瑞穂みずほくにたまふ。
 天津御空のかみかぜは、あやたかあまはらおだやかに吹きおこりて、四方よもくに あおひとくさやすきになびかせたまはんとす。神の御言みことかみかぜなり、くさひとなり。
 人は神のぶんれいぶんたいにして神とひとしき身魂みたまなり。神はばんぶつ普遍ふへんれいにして、人はすなわち神にかはりて天地てんちけいりんすべき司宰しさいしゃなり。しかるに暗黒なる今の世の人は、くしみたまくもりてわがてんしょくさとらず、神を知らず、おのづから惡魔あくまむれはしき、つひくに そこくにおちいり、無限むげん永苦えいくむるものおほし。
 かくごとき人々をさとし、神の御国にみちびくは、神の子たるものの天務てんむにして、神の大御心にかなたてまつるものなり。教役者とりつぎさらなり、しんじゃたるものもつねにこの心をわすべかからず。人を神の御国にみちびくの心掛こころがき信者はまことの信者にあらず。自己じこのみの信仰は世をえきし、人をする事なく、私心ししん私情しじょうの為のめいしんとなる。
 たかぶる心を退しりぞけて神にきたたれ。神に身もたまささたてまつりて、つみい おこなひあらため、あつふかひろき神の御恵みめぐみさとれ。

 おももとの信者は第一に至仁至愛369おほかみすうけいし、次に天津神、国津神、八百万やほよろづの神を崇敬すべし。ことに神のすべてのとりつぎなるいづ御魂みたまみづ御魂みたまおほかみたうとうやまひ、おんとくたたたてまつるべし。
 神々のかずおほしましてかぎりなし。いちいち御名みなたたたてまつことかたし、ことさらいづの御魂、みづの御魂のまもりがみいのり奉るべし。
 第一にらいはいすべき大神は あまてらすおほ御神みかみなり、かむかみなり、かむかみなり。
 常に祈願きがんすべき大神は おほくにとこたちおほかみなり、とよぬしおほかみなり、かみなり、たまよりひめかみなり、このはな咲耶さくやひめかみひこかみまたいのし。

 祈るべき神は人々のがんもうかなへさせたまふ。また人々のまつるべき神はいさをしあつく感謝して、其のおんとくむくゆるためなり。
 れど祭るべき神々たりとも、こうせいなる願望はいのるべし。また祈るべき神たりとも、感謝の心より祭らざるからず。ようただいっぽうへんせざるにあり。
 まことの神のおほ神業みわざひとあささとりをもっはかり知る事かたし。ゆえただ赤子あかごの心にたちかへりて神の御言みことに従ひたてまつれ。
 神にまかたてまつは、くるしき事無くあやふふき事し。
 神の御国にいたりし人は如何いかなる事にも恐れ無し、物すさまじきむらくも〔 叢雲 〕のなかにも闇の世にも、神の恵みはかくれありて、ひとくさうへあめと成り、ゆきと成りて降りそそぎたまふ。
 天地を神代かみよの清き昔にかへし、よろづのものやすきにすくたまいづ御魂みたまおほかみは、あら浪路なみじうちわたり、けわしき山路やまぢりて、めぐみあととこしへれさせたまへり。
 うめはなきびしき寒さをしのび、しもゆきたたかいしいさをしは、たちまはつはるさきがけとして、あにはなとして、栄誉さかえきはみとしてむくはるなりそのかおりの高く、の色の清き梅の花こそ、ものさし。よろづのきすぐれたるいろは、神の御心の清くうるはしくかんばしきがごとし。
 天津あまつ御空みそらたかきは、天津あまつ御祖みおやの神の稜威みいづあらはせり。その御空の清くあかきは、神の神業みわざひろ御心みこころあらはせり。
 くちよりいづことは、きよただしくうるはしくして、よろこばれむことねがふべし。斯世このよことたまさちは九二なり、ことたまあまてるくにことたまたすくる92なればなり。身のおこなひも心のおもひも、なほただしく、きようるはしくして、神の御心にかなたてまつる事をいのるべし。
 神のこと黄金こがねよりもたまよりもすぐれてたふとく、その味はみつよりもあまし。
 神の戒律おきて天津あまつ御祖みおやのかみよりみず御魂みたまつうじて、あらははされたり。神明かみ戒律おきては、省ル(かえりみる)、耻ル(はずる)、悔ル(くゆる)、畏ル(おそる)、覚ル(さとる) の五情ごじゃうなり、御祖みおやの神はまったき戒律をひとびとれいこんちゅうあたたまひて、人々の身魂みたまを清めて永遠の生命を賦與ふよし、死せむとするれいこんいかたまふ。
 まことの神〔 神明かみ 〕は姿も見えず声もきこえず。されど智識ちしき〔 眼=目+うしとら 〕には神の姿も見え、その耳には神の御聲みこえたしかに得可うべし。
 神の恵みは天地てんち四方しほうかがわたりていたらぬくまく、その御言みことなおきがうへにもなおく、正しきが上にも正しくして清くあきらかなり。
 正しき神のおほみちあゆみて、神のうるはしき御名みなあらはし、神の御心をいさたてまつりて、神の深き御恵みめぐみむくたてまつれ。
 至仁しじん至愛しあいの神の恵みは、人々の心をつくし身をつくして、何時いつまでつかたてまつるとも、神の深き廣き御恵の万分一をもむくざるものぞ。ただ其身そのみそのたまかみささたてまつり、いっしんつかたてまつるにかず。
 こころくるしみをあはれすくたまふ神はたれぞ。れ大本大神〔 おほおほかみ 〕のあか御教みをしへなり。またふかつみけがれはらきよむるものはたれぞ、みづ御魂みたま御名みなる。
 けがれ 心〔 精神こころ 〕のつみおもおろろし、やすらふべき所は何處いづこなるぞ、たかあまはらの神の国、みづ御魂みたますみどころなり。すすみてしのべ身に心にへるおもき荷を、ときおくれずいさすすみて先途せんどてよ。
 おほもとかみ御教みおしへを聞く人々は、斯世このよけるさいはひひのおほいなるものなり。心ひとつに大神のれいその身魂みたまくまく清まるまで 道をしたふべし。
 暗夜あんやうちに迷へる罪人をあはれみちびきて、あかるきおほみちすくおほもと御諭みさとしは、高天原へのぼみちわけなり。
 常に苦しみてよろこいさむことを知らざるものは、すでに神の御前にとほざかりたる者なり、心をつくし、その全身をささげて大神にきたれ。神はいさみて神慮こころかぎやすきに守らせたまふべし。
 じんあいまったき大神の御名をたたたてまつりて、片時へんしそのしんおんわするべからず。まんいち忘れし時はわが身魂みたまほろびにむかひし時と知れ。
 せんやまの姿正しく、えいえんに動き無き其心をもって、すゑなが身魂みたまらむ限り神をけいあいせよ。
 神は天地てんちとも久遠くおんなり。故に子々ししそんししそんつたへて神の大道をあゆむべし。
 うごかぬ信仰はまつこころなり、日本魂やまとだましひなり。松の心は神に対してまこと供物くもつなり。
 神の御恵はゆたかにしてくるなし。誠の道に入りて求めよ、神はなにごとも与へたまはざることし。
 清き心を持ち神〔 神明かみ 〕の御許みもとに来たりてまめやかつかたてまつれ、神よりほかやすきは無し。苦しき時にも神の御許にらば、うれひもかなしみも消え失せて、あたかも春の雪のごとくなるべし。

 人〔 〕のれいこんは天津御祖の神より直日なほひみたまけて、これかてすがゆゑゑる事無く養育せられて、れいこんの生命をつなくものぞ。直日なほひ御霊みたまかてき時は、人のれいこんくる事あたはず。
 人の霊魂は神の恵みにりて楽しくき、永遠に栄ゆるものなり。神のめぐみき時は霊魂はほろびて栄えを見る事あたはず。
 天津あまつ御祖神みおやすべてのひとれいこんさづたまひ、その霊魂中に直霊なほひ〔 直日 〕のかてあたへ、永遠にたましひ生命いのちを守り給へば、人たるものは第一に直霊なほひそんちょうし、曲津まがつかみためゆうわくされざるやう注意せよ。
 人〔 〕のれいこんちゅうに「 かへりみる省ル 」と云ふやくしょあり。の役所は人々の霊魂のせいちゅうに、かむながらてられたるものにして〔 私註:あめ御中みなかぬしおほかみとは、たましいまんなかてられたはしら伊勢いせじんぐうの最重要機密たるしん御柱みはしら諏訪すわたいしゃの御柱祭を参照してください。神ははしらとしてあらはれる。 〕、直霊なほひみたま事務所じむしょなり。曲津まがつかみつねの事務所ををかさんとするをもって、かみりてふせぐべし。
 天津あまつ御祖神みおやのかみは人々に各自かくじ四ツのみたまさずたまふ すなわち…

 あら みたま
 にぎ みたま
 さち みたま
 くし みたま

 …これなり。
 四魂しこんじんしんもとゐなり。心〔 精神こころ 〕には五情ごじょうあり、すなはかへりみる、はじる、くゆる、おそる、さとる これなり。
 人の心はあらたにうまかはりて、あたらしきひとらざれば神の国を知る事あたはず。神の御心にかなひ、あたらしきまことひととならばてんふるひ、うごき、うみり、やまけ、かはあふれ、あらかぜき、あめるとても、神にがうおそれらず。
 清く正しくおだやかなる神のふところその御諭みさとしもねんごろなり。至仁至愛の神のふところいだかれて、心も身をもゆだたてまつり、神に習ひて世の為に真心まごころつくせば、其身そのみすなわち神のうづ御子みこなれば、世の中に一つもおそるべきものし。
 まことの神の為に良き事をおこなひ、神の経綸を助け奉りて、神の子とうまれたる人生の天職てんしょくまったうし、死しては幽世かくりよの列にりて国家を守るべし。
 天地をつくり、日月つきひみ、ばんぶつせいいくして、ばんせい不易ふえきに守り給ふ、至仁至愛の大神は、あおひとぐささかえをよろここびたまひ、がうほろびを喜びたまはず。ゆゑに神は世の進歩しんぽりゅうしょうとをもって第一の目的とたまふ。

 わがもとは世界の中心にくらゐす。故に皇祖みをやの神はとよあしはら中津なかつくになづたまへり。またとよ秋津あきつわきともづけたまふ。ことたまあまくにことたまさちはくにともふ。かかる目出度めでたき神国にうまれいでし人々は、ことさらに神をけいさいし、そのこうおんむくたてまつるべし。
 日本神国は世界人類のおやぐになりばんせいいっけい天津あまつ日嗣ひつぎてんわうましますも、世界の親国なればなり。日本国天皇はあらひとがみしまして世界のしゅなり、世界の也、世界のおや也。天津あまつ御祖神みおやのかみはっしょうれいせきは、わがこうこくげんぞんすといへども、盲目なる日本人はとうだいもとくらし、いまこれらざるなり
 日本国のがくしゃはいは、しんせいなるわがこくたいこんぽんを知らず。がいそん内卑ないひねん強くして、がいがくなかがひぎょうしゃのみなり。故にせんはくなる外学にしんすゐるゐわくして、祖宗そそう神聖なる御遺訓ごいくんを無視し、こくたいそんげんを破壊するこくぞく也。現代社会の堕落だらくふうきょうたいはいは、はくらいてき政治、宗教、教育のさんぶつなり。こうどうおほもとしっきゃくせるがいらいせききゃくてきけいりんみつぎたるへいがいなり。政治の無能むのうと教育の無効なる所以ゆえんも、またこうどうおほもとぼうきゃくせる結果なり



王仁三郎13 王仁三郎14


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裏の神諭(二)

王仁三郎44

王仁三郎41 王仁三郎43


○明治三十五年一月三日

 わがしんこく天地てんちかいびゃくたいしょよりことたまさきはひ助け天照あまて92なり。
 言葉ことばすべてのものはじめなり。ゆゑに人〔 〕はだいいち言語ことば注意ちゅういすべし。
 くちよりよろこびとさかえと平和へいわいだし、また苦しみおとろへ争論をいだし、の身をほろぼすことあり。
 言葉〔 〕ほどおそきものはし。つるぎも惡魔〔 〕も滅亡ほろびみな くちよりづ。故に吾身わがみわがたましいとをくにそこくにみちびくものはくちよりづる言葉ことばなり。
 人をののしる口をもって人をしゅくし、かつしょうようせよ。人はおほかみうづの御子なれば、人をののしるは神を罵るにひとし。災禍さいかたちま其身そのみいたる、つつしむべし。
 神の御裔みすゑなる人〔 〕たるものは、世界のどうほうにくみ、ねたみ、かつののしなかれ。人をしきさまにす者は、吾身わがみくらみにくきを天にむかって自白じはくするなり。 
 神の道にものこうへいにしてわたくしく、常にぜんげん美詞びしむねとし、すべての人にねんごろにまじるべし。
 神の道をあまねつたへんとするものは、せいじゃきょくちょくかへりみ、もっことばおこなひつつしし。
 でんどうしゃの言葉とおこなひあたか原野げんやごとし、一点のなるくわへんたちまち大都会をやきつくすがごとく、傳導者のいちげんいちぎょうは世界を左右さゆうするちからればなり
 世のぼんぞくしたしまじはらんとほっせば、至真ししん至美しび至正しせいなるおほかみせいりょかなはず、また、大神の聖慮にかなはんとせば凡俗の心にせず。故にもっとも「 あらみたまいさみ 」と「 にぎみたましたしみ 」のひつようあるなり。
 くちまこととなこころに誠をおもふといへども、これを実行するの「 ゆう 」と「 だん 」なければ、いつはりまことなり。いつはりの誠は神の御前みまへけがれとし。
 如何いかほど心にまことおこなはむと思ふとも、そのとききょうぐうためこれじっこうあたはざる場合は、神はこれゆるして其時のいたるをたまふべし。れどくちうへのみにてとなふる誠はいつはりなり。偽の誠は大神はつかも之をゆるたまはざるなり
 名譽めいよため ぼうきゅうの為につかふるしんかんしんしょくなるものは、まことけいしんしゃあらず。またじんしゃくこうぼうもって君〔 きみ 〕につかふるものはじゅんちゅうしゃにあらず。まことの純忠者すなわこくちゅうは、名誉も俸給も地位も無く、賞賜しょうしけず、ただただ地平線下にかくれて、おほきみため 御国みくにためつくしんりきつくし、もっ天津あまつ日嗣ひつぎてんぎょうよくさんたてまつるものなり
 けいしんそんわうあいこくせきしんつよく、かつ実行にさとものは、大神の大御心にかなたてまつるをもって、神はそのひとにくたいたまひ、其身そのみらし、いみじき勲功いさほてさせ、よろづ亀鑑きかんさだたまなり
 すなうへてられたる家屋かをくは、しゅっすゐたびりゅうしつとうかいするおそれあり。しんこうあさきものはみな砂上さじょうの家屋のごとし。いへいっちょう不幸ふこうきたことある時は、その信仰はたちませてゆめごとし。かくごとき浅き信仰は虚偽きょぎにして、大神のただしき御心にそむくものなり
 大神の御心にそむものは、とうてい神の御国にいたことず。神の御国のやすき〔 平安 〕たのしきをもとめむとほっするものは、第一に大神の御心としたしみやはらがざるからず。
 天地てんちばんぶついっさいは大神のうしはぎたまふところにして、地上ちじょう一切のものばんせいいっけいてんわう〔 天王 〕のしろしめところなり。れば人〔 〕はなにごとすにも、萬世一系の天皇〔 てんのう 〕の支配しはいを受けつつ、大神の御許みゆるしざるからず。大神のいうかいよりの御許ときは、ひとつさえ自由にすべからず。何事もいちいち大神のしょうにんし。
 大神の御許ありたる時は、何事もじょうじゅせずとことし。まんまんいち成功せざることあらば、は大神の承認きものと覚悟かくごすべし。

 天津あまつつみ国津くにつつみ許々ここ多久たくつみはら退け、のぞたまふ大神は 盞嗚さのをおほかみなり。ゆえひとびとしゅうせいぜんこうみても、はらざるおもつみけがれたりとも、この大神の御名みなりてしんかいしゃたてまつる時は、一時いちじはらきよめらるべし。この大神を無視むししてほかつみけがれを祓い清められん事をいのとも無効むこうなるべし。
 はじめより終〔 わり 〕までこころへず、く大神につかたてまつるものは、神よりおほなるたまものあり。けだし神は常に仕ふる者とともいませばなり
 神とともりて世を渡る時は、くるしみもほろびも無し。けだし神はあかくしていきとほればなり
 大神の御前みまへまことちかひをて、かぎりしんとくはいして惡魔〔 〕のち、神をあらはしみちあきらかにすべし。
 神の道をあきらかにしたるものは、神はまたしんかいよりその人〔 〕のたまとをあきらかあらははしたまし。
 利己りこどんよくよううん、心の空におこり、心の海にあらなみたけたちさわぐとも、大神の道にかへりみなばただちにあんうんわたり、荒浪しづまりて、いましめのあま たちましんてんかがやき、つつしみのつき たちましんかい〔 神界 〕にわたり、神の御国みくにあきらかさとし。
 人の身魂みたまえいゑん無窮むきゅう天地の神しょゆうなり。故に天地の大神晝夜ちゅうや別無べつなく、人の身魂みたままもらせたまなり
 人は天地の神の守りたまへる身魂みたまなる事をさとるにいたらば、はじめて信仰のもんいっ踏入ふみいれたるなり
 食事のあひだも人の身にはかげおそいつつり。時計とけいはりすすむにれてじんせいこくこくむかってせつつあり。死後しご準備じゅんびもっとかんようなり、寸時すんじ猶豫ゆうよからず、信仰無きものは現世げんせいつかいともやすことし。
 世界のじんるゐ一切はみな天津御祖の神のうづ御兒みこなり。ゆゑいづれのじんしゅをも一視いっしどうじん愛護あいごたまふ。故に弱き人、おとりたる人、また異邦人いほうじん蔑視べっしするものは、大神の神慮みこころそむだいざいなり。

 そのつみにくみてそのひとにくまずとはぼんぞくいっぱんとなところなり。れどその罪たりともけっしてにくからず。人は人の罪を見てこれあはれれむし。かみいまして人々の罪をさばたまへばなり
 人はおのおのつみけがれまざるものし、ゆゑに罪ある人の身をもって、ひとびとの罪を裁くべき資格しかくなし。たがひあひつつしみて罪をぜんすすむ事をつとむべし。
 あくてんじてぜんかしむるは大神の御心なり。ゆゑに一切の世のあくはいじょし、善に進むは神の御子たる者のてんしょくなり。おのが心を清め、おこなひおさへたるあとあられば、人々をぜんだうみちびこと もっとこんなんなり。けだ不正ふせい無行むかうの人のゆうどうすることばにはしんく 無く 権威けんゐ無し。ゆゑに人をしてそのげんしんじゅうせしむること不能ふのうなり。
 ほろつてふひとにくたいは、現世このよたいよくはなれ、生死せいしまことけるかみりて、かぎき生命と権力とをあてたまはむ事をいのるべし。
 我身わがみたまとを永遠に守る神は、天津あまつかみよりたまひたるなほひのみたまなり。我身もたまともはげしきほのおなかとうずるものはまがひのみたまなり。

王仁三郎42



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裏の神諭(三)

王仁三郎36 王仁三郎37


<……年……月……日>

 まことしんとくあたへられたるときは、いっぽうおいもっときょうだいなるてきあらはれきたるものなり。
 まことの神徳をたる人〔 〕は、自己おのれ力量ちからく人の前にかくる者なり。
 神徳なき人は、つとめて自己じこ力量ちからを人にらしめんとする者なり。
 神の道にある者は自己の力量ちからほこり、つ自己の名をらんと思ひわづらふことなかれ。
 自己の名をげんとほっせば、づ神の御名みなげ、目上めうへの名をぐる事をつとめよ。自己の名はみづから世にあらはし。
 神の名よりも、目上の名よりも、自己の名を先にんとする者は、神をまんずる者なり、自滅じめつよりほかる者〔 もの 〕はし。
 をしへおや また目上めうへの事をかく批評ひひょうし、また自己のこころはんする事ありとて、いんよう罵詈ばりあくこうする者は、邪神〔 じゃじん 〕にして、みづか滅亡ほろびかどをろかものなり。
 まことしんこうかんなん辛苦しんくさいほうぐうするともこころざしへんずることなし。
 よくまよひて信仰をす者は、細微さいびの神の試練こころみひてただちにしょしんへんずるなり。
 いっすんあひだこういんおしみてしんてん国史こくしめ。
 もっとおそるべき敵は部内ぶないにあり、このみち毀損きそんする者はこのみちよりきたし。
われかみねっしんなり信仰きょうれつなり」と自慢じまんする人にして、自己のもくてき どんよく 身欲みよくに熱心の者あり、注意せざるからず。
 まことしんとくを受くる者は、そのこころざしるなり、決して年月のちょうたんあらず。

 くわうだうため艱苦かんくす者は、さいはひなり。欣喜きんきたねく者なり。
 かみごころとはにんたいべんきょうこころなり、またあいゆうしんまったき心なり。
 つくすべきのしゅだんつくさず、ただただ神のみに祈りて利益をんとする者は、かへって災害の種をものなり。
 神はにんたいと勉強と信仰に強き者のうへに利益をあたたまふ。
 苦労くろうせしことなき者およめる者は、まことかみれいとくらず、くに そこくにおちいりつつあるをも自省じせいせず。
 言葉をたくみにして信徒しんとこびへつらう者は、まんしんざいあくなり。かくごととりつぎしんめい奉仕ほうしするにあらずして我慾がよくへる惡魔〔 〕につかふる者なり。
 つかおとろたのすくななき人を見て、我慾をみたさんがためかざりたる言葉をもちふる者はじゃしんあくなり。人のめんかうむりたる惡魔あくまかへってをしへみちなかひそものなり。
 ぜんさとかれ あくをろかなれ。


<……年……月……日>

 しんせい教旨をしへぼんぞくにはしきやうえいずる事あり。滅亡ほろび偽教をしへかへっぜんりょうなるがごとえいずるなり。
 人の前によわき者は神の前にもっとも強く、人の前に強き者は神の前にて最も弱し。
 かみことばを世にのべつたへんとする時にあたり、如何いかなるつよき惡魔〔 〕のてきあらはるる事ありとも恐るる事なかれ、なんじが天津神よりうけつぎあらみたまつるぎもてきりなびけ、さちみたまつつさきそろへて逐散おひちらせ。神はなんぢともり。
 神の道につくすがために、仮令たとへ汝等なんぢらころさんとする者たるとも少しも恐るる事なく、にぎみたまによりてふせぐべし。
 仮令たとへその肉体は殺しともそのみたままでも殺しあたはざれば決して怖るべき者にあらざるなり。
 吾身わがみわがたまも共に殺すべき惡魔〔 〕は、おのをかせるつみけがれなり。
 なかおそるべきものはおのが犯せる罪よりほかになし。
 みちため真理しんりの為にたふれたるならば、そは神の御心にづるものとるべし。神はいっそううるはしき世にながき命と、栄えとをあたたまはんがためなり。
 教役者とりつぎさらなり、このみちの信者とならば、世の為にひかりとなりてあらはれ、くらきをてらすべし。
 あをうなばらしほとなりてきよいろうるはしきあぢはひとをそなへ、また、空気となりひかりとなり、ぬくみとなり、水となり、かねとなり、つちとなりて、世のためにつくすべし。
 かくごとくして世の為みちの為につくす者は、ぜんぜんのうかみ御旨みむねかなたてまつりて、さかえの種子たねくものなり。
 家内かないうちそろひて信仰をはげむべし。しも汝等なんぢらの親または兄弟姉妹にして本教をほうぜざる者あらば、暫時ざんじうちきて時をつべし。親よりも兄弟姉妹よりも神はおもみちだいなればなり
 わがこころを清くして足をまめやかにして、神の光をあらはすべし。らば爾等なんぢらの親兄弟姉妹如何いかがんきょうなりともつひそのおこなひこころかんじておのづから神の道をほうぜん。
 親兄弟姉妹のにがき言葉にかれて神の道をつる者は、まことの神の御心にそむく者なり。
 神は親にそむけよとはをしたまはず、まことかみをしへをまもりて、そのまたは兄弟姉妹の罪を救ふために、その頑強なる親に暫時しばしはなれて神にしたがへとをしたまふなり。
 信仰とおこなひとをまったくしてひかりぬくみとなり、の親の心をくいあらためしめて、神の道にみちびものしん至孝しこうなり。盲目めくらめっぽうに何事にもぜんあくわきまへずして親の言葉にしたがものは、まことおやこうなるものとふべからず。
 人〔 〕のばんぶつれいちょうたる所以ゆえんは、かんそうこころあるがゆゑなり。是非ぜひこころあるが故なり、そくいんの心、辞譲じじょうの心 羞惡しゅうおの心あるがゆゑなり。


王仁三郎40 王仁三郎39


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真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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