『天津祝詞』-解説:出口王仁三郎/東方朔/惟神/惟神霊魂幸倍坐世/君の意味/ヨハネ伝/宇宙の声/竜は耳が聞こえぬ

◎天津祝詞解 出口王仁三郎聖師(出口瑞月口述)『霊界物語』第30巻 海洋万里 巳の巻より

あまのりかいはかつて皇道大本叢書の『祝詞釈義』として出版されたものを、ずいげつ出口でぐちさぶろう聖師)がさらていせいしたものです。出口王仁三郎せいは『大祓祝詞解説』にいて、天津祝詞について、「 すなわちそぎはらい祝詞のりとことで、正式にそうじょうする場合にはここで天津祝詞を奏上するのである。だいたいにおいてべると、あの祝詞は天地間一切のだいしゅうばつを、てんしんむかってめいぜらるる重大な祝詞である。「ふと」はしょうで、くりかへして、天津祝詞をたたへたまでである。大祓祝詞解説(2)」…とべられています。また「宇宙にはアオウエイのだいおんだんなくひびいてるが、人々がはっするただしからざることたまによってはこれにごるのであるから、つねに天津祝詞を奏上しておんりつの調節をおこなふのである。」(天津祝詞と五大父音 玉鏡 昭和8年10月)とも語っております。天津祝詞奏上者はこの祝詞のと重要性をまえたうえで、あめつちもとおや すめらおほかみ様と八百万の神々様に対し、奏上をおねがいたします。かむながらはへ(※1)



あま  のり 

たかあまはらかみつまりす、かむ かむみこともちて、すめおやかむぎのみことつくむかたちばなはらに、そぎはらたまときなりせるはらひおほかみたちもろもろまがこと つみけがれを はらたまきよたまへとまをことよしを、あまかみ くにかみ よろづかみたちともに、あめふちこまみみふりたてきこしめせとかしこかしこみもまをす。



△高天原 ぜんだいちゅうしょうさいは『大祓祝詞解』をよ。

△神つまります いんようげんじっそうじゅうじつしたうへにもじゅうじつすること。

△神漏岐神漏美 いんやうけいつかさどかみがみ

△命もちて ことたまによりてのここまではほぼおほはらひ祝詞のりとかいちゅうおなじ。

△皇御祖 すめすべなりむ、とうみなどういつげんよりづ。みづ空気くうきむといふのは、こんにゅふしてぶったいあひだとういつやすらかにちんていすることである。ひとがこのむといふのもはりどういつだいしゅさいしゃとうもとあんじゅうするである。しそれがげんざい世界せかいじょうたいやうそうの大主宰者をうしなってると、らんごとみだれ、人の心はにごり、じんみん流浪るらうってさんする、いはゆるむにまれぬことる。( ミ )はたいしゃく( ソ )はしんである。

△神伊邪那岐命 ( カム )はさけむのなどとどうゆうし、宇宙うちゅうばんゆうじょうぞうたまぎのみこと様にかんしたるけいようてきけいである。伊邪那岐命様は(※2)くわけいやうけいしんで、宇宙にけるあらゆるかつどうこんげんつかさどり、だいしゅうばつだいせいつねこのかみぶんたいぞくするのである。世界せかいけんゆうかい )におひて伊邪那岐命の仕事しごとぶんしょうたまふのが、つまくにとこたちのみことで、神諭しんゆいはゆるおほたてかへといふのはだいしゅうばつけっこうの事なのである。宇宙間におここときゅううちにもおこり、地球のうちおこことは宇宙全体にもえいきょうおよぼす、りょうりょうかんれんかけになってる。さらすすんでしょうぎのみことそぎはらひいっこくいちぐんにもおこり、いちぎょういちそんにもおこり、いっしんいっにもおこる。へうめんこうでいして「伊邪那岐命様がきゅうしゅうたちばなはらといふところで、そぎおこなはれ、そしてはらひはしらおほかみたちをおみにった」などとかいしゃくすると、さらようりょうない。いっそうくはしきことは大祓祝詞解説にるからさんしょうされたい〔 大祓祝詞解説(1) 〕。

△筑紫の日向  しんみそぎはらひだんと同一ひっぽふである。
『是以伊邪那岐大神詔。吾者伊那志許米志許米岐穢国而在祁理。故吾者御身之禊而。到坐筑紫日向之橘小門之阿波岐原而禊祓也。故於投棄御杖所成神名。衝立船戸神。……( ここをちてぎのおほかみりたまはく、「われはいなしこめしこめききたなくにいたりてありけり。かれ、われみそぎせむ」とのりたまひて、つくむかたちばなはらいたりまして、みそはらへたまひき。かれ、つるつゑりし神の名は、つkたつふなとのかみ……)』  うんぬんとあるこれなり。『古事記』がひょうめんの解釈でわからぬとどうよう、こののりまたわからない。つくは「つく」である、きゅうきょくである(東方朔)かんぜんけつえんまんそくである。かずへば「」である。筑紫がきゅうしゅうわかれてるのもそれがためである。ろん「筑紫」とか「九州」とかめいきにおこったのでなく、地名はあとけられたので、ほんらいつくむかてんそうぞうさいからのである。地球のしゅせいが出來ぬぜんからせいりつしてゐることたまである。むかこうみょうへんじょうで( ヒムカシ )とどういつげんである。

△橘の小戸 これも地名ではない。たてせんとうすなはち先頭のたてぎょうたるアオウエイ〔 霊界物語ではアイウエオ 〕のだいおんす。おとである、ことたまである。宇宙間はさいしょ五大父音のことたまはたらきによりて修理固成がたのである。

△阿波岐原 全大宇宙間のことをいふ(※3)いちおんづつかいすれば、てんひらく、だいちゅうしんひろところうなばらはらなどとおなじ。

△御禊祓 しんたいだいしゅうばつこと

△祓戸の大神達 はらひはしらかみすなはおりはやあきぶきぬしはやよんしんである。すべだいしゅうばつしっこうさいしてはよろづかみがみつねこのほうめんわかれてかつどうかいし、もろもろまがごとつみけがれはらきよたまふので、あまかみたるとくにかみたるとをはず、また宇宙全体たると、地球全体たると、また一郷一村一身一家たるとをろんぜずして、ほうめんしゅうばつおこるのである。地球の大修祓、おほたてかへが開始さるる時には、神諭しんゆいはゆる あめかみいはかみかぜかみしんかみだいかつどうとなる(※4)

△天の斑駒 いちおんづつかいすればちかられいたいまったきの

△耳振立て聞食せ かつどう開始かいしたまへのたんみみくといふよりははるかしんゑんおもれるで、べんこうはなはばゆうづうはらさけなどのと同じくかつよう發揮はっきである。

(大意) 宇宙うちゅうてんばんゆういっさいだいしゅうばつは、れいけいしんぶんたんぞくする。げんざい世界せかい』においしっこうされつつあるこくかみおほそうおほせんたくも、結局つまり宇宙全体としてはぎのみことおんごとである。いくせんまんねんらいたいせきしたつみけがれがあるので、今度『世界せかい』ではじょうあらりょうひつようであるが、これがんだあかつきにはこくこくしょう掃除そうじしょうせんたくおこなへばよろしいので、だいたいおいてはうれうれしのぜんひとツのなかになるのである。すなはち伊邪那岐命のそぎはらひなる場合ばあひにもひつようあるものである。これがなければあとおほたてなほし、だいけんせつとうていないわけである。
 さてこのしゅうばつなにによりてしっかうさるるかとふに、ほかでもない宇宙うちゅうこんぽんだいげんどうりょくなるれいたいけいことたまである。てんあひだすなははら )はぜんこうみょうへんじょうこんぽんだいことたま( アオウエイ )がわたってるが(※5)、いざざいくわいはっせいしたとると、ことたまでそれをていせいじょきょしてかねばならぬ。ひと宇宙うちゅうけいりんじゅうだいにんびたるものであるから、せんとうだいいちたまみがき、そしてただしきことたま使すれば、てんこれおうし、宇宙のだいしゅうばつけっこうされる(※6)そのさいにありてわれわれしゃくにくたいしょうぎのみことかつようとなるのである。あめべばしゃりのおほあめり、しんべばしんてんどうだいしんはじまる。これがすなはち『そぎはらひたまときなりせるはらひおほかみたち』である。かくしていっさいまがごとつみけがれはらきよめらるることになるが、かかるさいに活動すべきせきびたるは、よろづあまかみくにかみたちでこれじょうれのごとはない。なにとぞしっかかつどうねがひますといふのが、たいようである。なんびとにっせきこれそうじょうしていっしんいっしゅうばつを完全にし、そしていちだい場合ばあひには、てんはらひきよむるのかくがなくてはならぬのであります。 


ことたまの ただひといきあめつちを つくたまひしもとおほかみ
ことたまの のりこへあめつちに ひびきて霊魂みたましんこくさかへつ
ふとのり いづことまもられて やすもとくぞうれしき

〔 完 〕


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『天津祝詞』-霊界物語バージョン

◎出口王仁三郎聖師(出口瑞月口述)『霊界物語』60巻「真善美愛」より、第一四章 かみごと

あななひけうのり

  あまのり

高天原に元津御祖皇大神 數多の天使を集へて永遠に神留ります  神漏岐神漏美の御言以ちて  神伊邪那岐尊 九天の日向の立花の小戸の阿波岐ケ原に。御禊祓ひ玉ふ時に成り坐せる。  祓戸の大神等  諸々の曲事罪穢を。祓ひたまへ清めたまへと申す事の由を。天津神国津神八百万の神たちともに 天の斑駒の耳ふり立てて聞こしめせと 恐み恐みも白す

たかあまはらに もとおやすめおほかみ あまかみ使がみ(※1)つどへてとことはかみつまります
かむ かむことちて
かむのみこと 九天つくしむかたちばなはらに。そぎはらたまときせる。
はらひおほかみたち
もろもろまがごと つみ けがれを。
はらたまきよたまへとまをことよし
あまかみくにかみよろずかみたちとも
あめふちこまみみふりたてきこしめせと
かしこかしこみもまを


たかあまはらに  もとつみおや すめおほかみ  あまたの かみがみを つどへて とことはに かみつまります  かむろぎ かむろみの みこともちて  かむいざなぎのみこと つくしの ひむかの たちばなの をどの あはぎがはらに。 みそぎ はらひたまふときに なりませる はらいどの おおかみたち  もろもろの まがごとつみけがれを  はらひたまへ きよめたまへと まをすことのよしを。 あまつかみ くにつかみ やほろよずの かみたちととももに  あめのふちこまの みみ ふりたてて きこしめせと  かしこみかしこみもまをす』

上野公園さん『神言会・大本教神諭解説 言霊




(※1)
○王仁三郎著「祈りは天帝にのみ」水鏡(大15/2)
いのりはてんていにのみすべきものである。かみさまにはれいはいするのである。わたしそのつもりたくさんかみさまれいはいする。そはあたかひとびとあいさつするとどうやうおいてである。まことかみさまただひとはしらしかおはしまさぬみなエンゼルである。


出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(3)
速志「いっしんきょうしんきょうについての御意見はいかがでしょうか」
聖師「キリスト教は一神教で『仏教は多仏教、日本のしんとうは多神教だからいかん』というけれども、あまてらすおほかみ様はひとつだ。キリスト教ではエンゼルというているが、エンゼルにはみなやくがあるのであって、日本ではエンゼルをよろずかみと呼んでいる。ふとたまのかみでもすべてのかみさんはみな一種のエンゼルだ。だちひこかみさんだとかあるけれども、霊界物語ではみなわかりやすいやうにせんでんしんにしておいてある」


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大祓祝詞

○大祓祝詞(漢字平仮名のみ)

高天原に神つまります、皇親神漏岐、神漏美の命もちて、八百万の神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り玉ひて、我皇孫命は豊葦原の水穂の国を、安国と平けく所知食と事依し奉りき。

かくよさし奉りし国中に荒振神等をば 神問はしに問はし玉ひ、神掃ひに掃ひ給ひて、語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて、天之磐座放ち、天之八重雲を伊頭の千別に千別て、天降しよさし奉りき。

如此よさし奉りし四方の国中と大日本日高見之国を安国と定め奉りて、下津磐根に宮柱太敷立、高天原に千木多加知りて、皇御孫命の美頭の御舎仕へ奉りて、天の御蔭日の御蔭と隠り坐して、安国と平けく所知食む国中に成出でむ天の益人等があやまち犯しけむ雑々の罪事は。

天津罪とは、畔放ち 溝埋め、樋放ち 頻蒔き 串差し、生剥 逆剥 尿戸許々太久の罪を、天津罪と詔別けて、国津罪とは、生膚断、死膚断、白人胡久美、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪、昆虫の災、高津神の災、高津鳥の災、畜殪し蠱物せる罪、許々太久の罪出む。

如此出でば、天津宮言以て、天津金木を本打切末打断て、千座の置座に置足はして、天津菅曾を本苅絶末苅切て、八針に取裂きて天津祝詞の太祝詞言を宣れ、如此宣らば、天津神は天の磐戸を推披来て、天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞召む。国津神は高山の末短山の末に登り坐て、高山の伊保理短山の伊保理を掻分けて所聞召む。

如此所聞食ては、罪といふ罪は不在と、科戸の風の天の八重雲を吹放つ事の如く、朝御霧夕御霧を、朝風夕風の吹掃ふ事の如く、大津辺に居る大船を、舳解放ち艫解放ちて大海原に押放つ事の如く、彼方の繁木が本を、焼鎌の敏鎌以て打掃ふ事の如く、遺る罪は不在と、祓賜ひ清め玉ふ事を。

高山の末 短山の末より、作久那太理に落、多岐つ速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神、大海原に持出なむ、如此持出往ば、荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速秋津比売といふ神、持可々呑てむ。如此可々呑ては、気吹戸に坐す気吹戸主といふ神、根の国底の国に気吹放ちてむ。如此気吹放ちては、根の国底の国に坐す速佐須良比売といふ神、持佐須良比失ひてむ。如此失ひては、現身の身にも心にも罪と云ふ罪は不在と、祓給へ、清め給へと申す事を所聞食と 恐み恐みも白す。


○振り仮名入り

たかあまはらかみつます、すめらがむつ かむ かむみこともちて、八百万(やほよろず)の神等(かみたち)を神集(かむつど)へに集(つど)へ賜(たま)ひ神議(かむはかり)りに議り玉ひて、我皇孫命(あがすめみまのみこと)は豊葦原(とよあしはら)の水穂(みずほ)の国を、安国(やすくに)と平(たいら)けく所知食(しろしめせ)と事依(ことよさ)し奉(まつ)りき。

かくよさし奉りし国中(くになか)に荒振神等(あらぶるかみたち)をば神問(かむと)はしに問はし玉ひ、神掃ひに掃ひ給ひて、語問(ことと)ひし磐根樹根立草(いわねきねたちくさ)の片葉(かきは)をも語止(ことや)めて、天之磐座(あめのいわくら)放ち、天之八重雲(あめのやへくも)を伊頭(いず)の千別(ちわき)に千別て、天降(あまくだ)しよさし奉りき。』

如此(かく)よさし奉りし四方(よも)の国中(くになか)と大日本日高見之国(おおやまとひだかみのくに)を安国(やすくに)と定め奉りて、下津磐根(したついわね)に宮柱太敷立(みやばしらふとしきたて)、高天原に千木多加知(たかあまはらにちぎたかし)りて、皇御孫命(すめみまのみこと)の美頭(みず)の御舎(みあらか)仕へ奉りて、天(あめ)の御蔭(みかげ)日の御蔭と隠り坐して、安国と平(たいら)けく所知食(しろしめさ)む国中(くぬち)に成出でむ天の益人等(ますひとら)があやまち犯しけむ雑々(くさぐさ)の罪事(つみごと)は。

天津罪(あまつつみ)とは、畔(あ)放ち溝埋め、樋(ひ)放ち頻蒔(しおま)き串差し、生剥(いけはぎ)逆剥(さかはぎ)尿戸(くそへ)許々太久(ここたく)の罪を、天津罪と詔別(ことわ)けて、国津罪(くにつつみ)とは、生膚断(いきはだだち)、死膚断(しにはだだち)、白人胡久美(しらひとこくみ)、己(おの)が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜(けもの)犯せる罪、昆虫(はふむし)の災(わざわひ)、高津神(たかつみ)の災、高津鳥(たかつとり)の災、畜殪(けものたほ)し蠱物(まじもの)せる罪、許々太久(ここたく)の罪出(つみいで)む。

如此出(かくい)でば、天津宮言以(あまつみやごともち)て、天津金木(あまつかねぎ)を本打切末打断(もとうちきりすえうちたち)て、千座(ちくら)の置座(おきくら)に置足(おきたら)はして、天津菅曾(あまつすがそ)を本苅絶末苅切(もとかりたちすけかりきり)て、八針に取裂きて天津祝詞の太祝詞言(ふとのりとごと)を宣(の)れ、如此宣(かくの)らば、天津神は天の磐戸(いわと)を推披来(おしひらき)て、天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞召(きこしめさ)む。国津神は高山(たかやま)の末短山(へきやま)の末に登り坐て、高山の伊保理(いぼり)短山の伊保理を掻分けて所聞召む。

如此所聞食(かくきこしめし)ては、罪といふ罪は不在(あらじ)と、科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹放つ事の如(ごと)く、朝御霧(あしたのみきり)夕御霧(ゆうべのみきり)を、朝風夕風の吹掃ふ事の如く、大津辺(おおしべ)に居大船(おるおおふね)を、舳(へ)解放ち艫(とも)解放ちて大海原(おおうなばら)に押放つ事の如く、彼方(おちかた)の繁木(しげき)が本を、焼鎌の敏鎌以(とがまもち)て打掃ふ事の如く、遺る罪は不在(あらじ)と、祓賜(あらひたま)ひ清め玉ふ事を。

高山の末 短山(へきやま)の末より、作久那太理(さくなだり)に落(おち)、多岐(たき)つ速川(はやかわ)の瀬に坐す瀬織津比売(せおりつひめ)と云ふ神、大海原に持出(もちいで)なむ、如此持出往(かくもちいでいな)ば、荒塩(あらしほ)の塩の八百道(やほぢ)の八塩道(やしおぢ)の塩の八百会(やほあひ)に坐(ま)す速秋津比売(はやあきつひめ)といふ神、持可々呑(もちかかのみ)てむ。如此可々呑ては、気吹戸に坐す気吹戸主(いぶきどぬし)といふ神、根の国底の国に気吹放(いぶきはな)ちてむ。如此気吹放ちては、根の国底の国に坐す速佐須良比売(はやさすらひめ)といふ神、持佐須良比失ひてむ。如此失(かくさすらひうしな)ひては、現身(うつそみ)の身にも心にも罪と云ふ罪は不在(あらじ)と、祓給へ、清め給へと申す事を所聞食(きこしめせ)と恐(かしこ)み恐みも白(まお)す。』

大祓祝詞解説(1)-霊界物語より
大祓祝詞解説(2)-霊界物語より
大祓祝詞解説(3)-霊界物語より
天津祝詞解説 -霊界物語より
感謝祈願詞 -霊界物語より



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大祓祝詞解説(1)-霊界物語より

☆大祓祝詞解(1) 出口王仁三郎

《「大祓祝詞解説」は大本機関誌「神霊界」大正七年九月一日号から十月十五日号にかけて、浅野邇三郎(浅野和三郎)の署名で連載された(執筆は王仁三郎)。後に「神の国」大正十二年九月十日号と九月二十五日号に収録された。第一次大本事件後の昭和二年、『祝詞略解』に「天津祝詞解」「大本祝詞」と共に再録された。最終的に『霊界物語』第三十九巻に収録されている。》

大祓祝詞おおはらえのりと中臣なかとみはらへとも称へ、毎年六月と十二月の晦日みそかを以て大祓執行に際し、中臣が奏上する祭文で延喜式えんぎしき載録さいろくされてある。従来この祝詞のりとの解説は無数に出ているが、全部文章辞義の解釈のみに拘泥し、その中にこもれる深奥の真意義にはほとんど一端にさへ触れてゐない。はなはだしきは本文の中から『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪』の件を削除するなどの愚劣を演じてゐる。自己の浅薄卑近なる頭脳を標準としての軽挙妄動であるから、神界でも笑って黙許もっきょに附せられてゐるのであらうが、実は言語道断の所為と云はねばならぬ。大祓祝詞の真意義は古事記と同様に、大本言霊学の鍵で開かねば開き得られない。さもなければ古事記がひとつの幼稚なる神話としか見えぬと同様に、大祓祝詞もくだらぬ罪悪の列挙、形容詞沢山の長文句位にしか見えない。ところが一旦言霊ことだまの活用を以てその秘奥を開いて見ると、偉大というか、深遠というか、ただただ驚嘆のほかはないのである。我国体の精華がこれによりて発揮せらるるは勿論のこと、天地の経綸、宇宙の神秘はくわしきが上にもくわしく説かれ、明かなる上にも明かに教へられてゐる。これを要するに皇道の真髄は大祓祝詞一篇のうちに結晶してゐるので、長短粗密の差異こそあれ、古事記、及び大本神諭とその内容は全然符節を合するものである。

言霊の活用が殆ど無尽蔵である如く、大祓祝詞の解釈法も無尽蔵に近く、主要なる解釈法だけでも十二通りあるが、なるべく平易簡単に、現時に適切と感ぜらるる解釈の一箇をこれから試みようと思ふ。時運は益々進展し、人としての資格の有無を問はるべき大審判の日は目前に迫ってゐるから、心ある読者諸子は、これを読んで、真の理解と覚醒の道に就いて戴きたい。


高天原たかあまはらかみつまります、皇親すめらがむつ神漏岐かむろぎ神漏美かむろみみこともちて、八百万やほよろず神等かみたち神集かむつどへにつどたま神議かむはかりにはかたまひて、あが皇孫命すめみまのみこと豊葦原とよあしはら瑞穂みずほくにを、安国やすくにたいらけく所知食しろしめせ事依ことよさまつりき

△高天原に  『タカアマハラ』と読むべし、従来『タカマガハラ』または『タカマノハラ』と読めるは誤りである。古事記巻頭の註に『訓高下天云阿麻』と明白に指示されておりながら従来いずれの学者もこれを無視してゐたのは、ほとんど不思議なほどである。一音づつの意義を調ぶれば、「タ」は対照力なり、進む左也、火也、東北(艮)より鳴る声也、父也。また「カ」は輝く也、退く右也、水也、西南(坤)より鳴る声也、母也。父を『タタ』といひ、母を『カカ』と唱ふるのもこれから出るのである。また「ア」は現はれ出る言霊、「マ」は球の言霊、「ハ」は開く言霊、「ラ」は螺旋らせんの言霊。即ち『タカアマハラ』の全意義は全大宇宙の事である。もっとも場合によりては全大宇宙の大中心地点をも高天原と云ふ。いはゆる宇宙に向って号令する神界の中府所在地の意義で『地の高天原』と称するなどがそれである。この義を拡張して小高天原は沢山ある訳である。一家の小高天原は神床であり、一身の小高天原は、臍下丹田せいかたんでんであらねばならぬ。ここでは後の意義ではなく、全大宇宙その物の意義である。これを従来は、地名であるかの如く想像して、地理的穿鑿せんさくを試みてゐたのである。

△神つまります  「かみ」は日月、陰陽、水火、霊体等の義也。陰陽、水火の二元相合して神となる。皇典にいはゆる産霊むすびとはこの正反対の二元の結合を指す。日月地星辰、神人その他宇宙万有一切の発生顕現は悉(ことごと)くこの神秘なる産霊の結果でないものはない。また「つまり」とは充実の義で、鎮坐の義ではない。「ます」は「まします」と同じ。
△皇親  すめらは「すます」の義、全世界、全宇宙を清澄することを指す。むつは『ムスビツラナル』の義で、即ち連綿れんめんとして継承さるべき万世一系の御先祖の事である。
△神漏岐、神漏美  神漏岐は霊系の祖神にして天に属し、神漏美は体系の祖神にして地に属す。即ち天地、陰陽二系の神々の義である。
△命もちて  命(ミコト)は神言みこと也、神命みこと也。即ち水火みかの結合よりなる所の五十音を指す。元来声音は「心の柄」の義にて、心の活用の生ずる限り、これを運用する声音が無ければならぬ。心(即ち霊魂)の活用を分類すれば、奇魂くしみたま荒魂あらみたま和魂にぎみたま幸魂さちみたま四魂しこんとこれを統括する所の全霊に分類できる。いはゆる一霊四魂いちれいしこんであるが、この根源の一霊四魂を代表する声音はアオウエイの五大父音である(※1)。宇宙根本の造化作用は要するに至祖神の一霊四魂の運用の結果であるから、至祖神の御活動につれて必然的にアオウエイの五大父音がづ全大宇宙間に発生し、そしてその声音は今日といへども依然として虚空に充満みちみちてゐるのだが、余りに大なる声音なので、余りに微細なる声音と同様に、普通人間の肉耳には感じないまでである(※2)。しかし余り大ならざる中間音は間断なく吾人の耳朶に触れ、天音てんおん地籟一ちらいいつとして五大父音に帰着せぬは無い。鎮魂して吾人の霊耳を開けば、聴こゆる範囲はさらにさらに拡大する。さて前にも述ぶるがごとく、声音は「心の柄」、心の運用機関であるから天神の一霊四魂の活用が複雑におもむけばおもむくだけ、声音の数も複雑におもむき停止する所はない。その中に在りて宇宙間に発生した清音のみを拾ひ集むれば四十五音(父母音を合せて)濁音、半濁音を合すれば七十五音である。これは声音研究者の熟知する所である。拗音えうおん捉音そくおん鼻音びおん等を合併すれば更に多数に上るが、要するに皆七十五音の変形で、あらゆる音声、あらゆる言語は根本の七十五声音の運用と結合との結果にほかならぬ。されば宇宙の森羅万象一切は是等無量無辺の音声すなわち言霊の活用の結果と見てさしつかえない。これは人間の上に照して見てもその通りである事がよく分る。人間の心の活用のある限り、これを表現する言霊がある。『進め』と思ふ瞬間にはその言霊は吾人の身体の中府から湧き、『退け』と思ふ瞬間にも、『寝よう』と思ふ瞬間にも、『やらう』と思ふ瞬間にも、その他いかなる場合にも、常にその言霊は吾人の中心から湧出する。即ち人間の一挙一動悉く言霊の力で左右されるというてもよろしい。従って言霊の活用の清純で、豊富な人ほどその使命天職も高潔偉大でなければならぬ。
△八百万の神等  万百のヤは人、ホは選良の義、万は沢山、多数の義である。
△神集へに集へ賜ひ神議りに議り玉ひて  神の集会で神廷会議をもよおすことである。
△我皇御孫之命  五十音の中で「ア」は天系に属し、「ワ」は地系に属す。故に至上人に冠する時に我は「ワガ」と言はずして「アガ」といふ也。皇(スメ)は澄し治め、一切を見通す事、御(ミ)は充つる、円満具足の義、孫(マ)はマコトの子、直系を受けたる至貴の玉体。命は体異体別の義、即ち独立せる人格の義にして、前に出でたる命(神言)みことから発足せる第二義である。全体は単に『御子みこ』といふ事である。元来、霊も体もその根本にさかのぼれば、皆祖神のたまもの、天地の賜である。故に皇典では常に敬称を附するをもって礼となし、人間に自他の区別は設けられてないのである。
△豊葦原の水穂国  全世界即ち五大洲の事である。これを極東のある国の事とせるが従来の学者の謬見びょうけんであった。日本を指す時には、豊葦原とよあしはら中津国なかつくに、または根別国ねわけのくになどと立派に古事記にも区別して書いてある。
△所知食  は衣食住のわざを安全に示し教ふる事を云ふ。地球は祖神の御体であるから、人間としては土地の領有権は絶対に無い。例へば人体の表面に寄生する極微生物に人体占領の権能がないのと同様である。人間は神様から土地を預り、神様に代りてこれを公平無私に使用するまでである。「うしはぐ(領有)」ものは天地の神で、主治者はあくまで「知ろしめす」であらねばならぬ。国土の占領地所の独占等は、根本から天則違反行為である。神政成就の暁には独占は無くなつてしまふ。

(大意)
全大宇宙間には陰陽二系の御神霊が実相充塞し、それはすなわち一切万有の父でありまた母である。陰陽二神の神秘的産霊むすびの結果はまず一切の原動力とも云ふべき言霊の発生となった。いはゆる八百万の天津神の御出現であり、御完成である。天界主宰の大神は云ふまでもなく天照皇大神あまてらすすめおほみかみ様であらせらるるが、その次ぎに起る問題は地の世界の統治権の確定である。是において神廷会議の開催となりその結果は天照大神様の御霊統を受けさせられた御方が全世界の救治に当らるる事に確定し、治国平天下の大道を執行監督さるべき天の使命を帯びさせらるる事になつたのである。無論人間の肉体は世に生死往来するをまぬがれないが、その霊魂は昔も今も変ることなく千万ちよよろず世に亘りて無限の寿を保ちて活動さるるのである。


かくよさしまつりし国中くぬち荒振あらぶる神等かみたちをば神問かむとはしにはしたまひ、神掃かむはらひにはらたまひて、語問こととひし磐根いわね樹根立きねたちくさ片葉かきはをも語止ことやめて、天之磐座あめのいわくらはなち、天之八重雲あめのやへくも伊頭いず千別ちわき千別ちわきて、天降あまくだしよさしまつりき。

△荒振神  天界の御命令にまつろはぬ神、反抗神の意である。
△神問はしに云々  神の御会議。罪あるものは神に向ひて百万遍祝詞を奏上すればとて、叩頭を続くればとて、それで何の効能があるのではない。いわんや身欲信心に至っては、言語道断である。神様に御厄介をかけるばかり、碌な仕事もせぬ癖に、いざ大審判の開始されむとする今日、綾部を避難地でもあるが如くに考ふるやうな穿違はきちがひの偽信仰は、それ自身において大罪悪である。神は先づ其様な手合から問はせらるるに相違ない。
△神掃ひに云々  掃ひ清むること、神諭のいはゆる大掃除大洗濯である。
△語問し  諸々の罪の糾弾である。
△磐根樹立  草の枕詞、即ち磐の根に立てる樹木の、そのまた根に立てる草の義。
△草の片葉  草は青人草あおひとぐさ、人のこと、また「片葉」は下賤の人草の意である。
△語止めて  議論なしに改悟せしむるの意である。
△天之磐座放ち  磐座は高御座たかみくら也、「いは」も「くら」もともに巌石の義。放ちは離ち也。古事記には、『離天之石位』とあり。
△八重雲  いやが上にも重なりたる雲。
△伊頭の千別に千別けて  伊頭は稜威みいず也。即ち鋭き勢を以て道を別けに別けの義。
△天降しよさし奉りき  『天降し……の件をよさし奉りき』の義にて中間に神秘あり。天降しは天孫をして降臨せしむる事、換言すれば天祖の御分霊を地に降し、八百万の国津神くにつかみ達の主宰として神胤が御発生ある事である。

(大意)
既に地の神界の統治者は確定したが、何しろ宇宙の間はいまだ未製品時代に属するので、自由行動をとり、割拠争奪を事とする兇徒界きょうとうかいが多い。これは最も露骨に大本開祖の御神諭に示されてゐる所で、決して過去の事のみではない。小規模の救世主降臨は過去にあったが、大規模の真の救世主降臨は現在である。『七王も八王も王が世界にあれば、この世に口舌が絶えぬから、神の王で治める経綸が致してあるぞよ』 (※3)とあるなどは即ちこれを喝破かっぱされたものである。その結果是等悪鬼邪神の大審判、大掃除、大洗濯が開始されいはゆる世の大立替の大渦中に突入する。さうなると批評も議論も疑義も反抗も全部中止となり稜威赫々かくかくとして宇内うだいを統治したまふ神の御子の世となるのである。


如此かくよさし奉りし四方よも国中くになか大日本おほやまと日高見之国ひだかみのくにを安国とさだめ奉りて、下津磐根したついわね宮柱みやばしら太敷立ふとしきたて高天原たかあまはら千木ちぎ多加知たかしりて、皇御孫命すめみまのみこと美頭みず御舎みあらかつかへ奉りて、あめ御蔭みかげ の御蔭とかくして、安国とたいらけく所知食しろしめさ国中くぬち成出なりいでむあめ益人等ますひとらがあやまちおかしけむ雑々くさぐさ罪事つみごとは……』

△四方の国中  宇宙の大中心。
△大日本日高見之国  四方真秀よもやま、天津日のくまなく照り亘る国土を称へていふ。ただし宇宙の大修祓だいしゅうばつがすんでから初めて理想的になるのである。
△下津磐根  地質が一大磐石の地で、すなわち神明の降臨ある霊域をさす。『福知山、舞鶴は外囲ひ、十里四方は宮の内』 (※4)とあるもまた下津磐根である。
△宮柱太敷立  宮居の柱を立派に建てる事。
△千木多加知  屋根の千木を虚空(高天原)に高く敷きの義。千木は垂木たるき也。タリを約めてチ。
△美頭  うるはしき瑞々しき意。
△仕へ奉り  御造営の義。
△天の御蔭云々  天津神の御蔭、日の大神様の御蔭と自分の徳を隠したまふ義。神政成就、神人合一の時代においては人はことごとく神の容器いれものである。世界統一を実行すとて、その功績はこれは天地の御恩に帰し奉るが道の真随しんずいで、忠孝仁義の大道は根源をここから発する。坐(ゐ)ながらにしてその御威徳は宇内に光被こうひし、世は自然と平けく安らけく治まるのである。
△天の益人  天は敬称である。益人は世界の全人類を指す。マスラヲといふ時は男子のみを指す。マは完全、スは統治の義。またヒは霊、トは留まる義。
△罪事  ツミは積み也、また包み也。金銭、財宝、糧食等を山積私有するは個人本位、利己本位の行為で、天則に背反してゐる。また物品を包み隠したり、邪心〔蛇心〕じゃしんを包蔵したり、利用厚生の道の開発を怠ったりする事も堕落腐敗の源泉である。かく罪の語源から調べてかかれば罪の一語に含まるる範囲のいかに広いかが分る。法律臭い思想ではとてもその真意義は解し難い。

(大意)
天祖の御依託によりて救世主が御降臨遊ばさるるに就きては、宇宙の中心、世界の中心たる国土を以て宇内経綸、世界統一の中府と定め給ひ、天地創造の際から特別製に造り上げてある神定の霊域に、崇厳無比の神殿を御造営遊ばされ、惟神の大道によりて天下を知ろしめされる事になる。神諭のいはゆる『神国の行ひを世界へ手本に出して万古末代動かぬ神の世で三千世界の陸地の上を守護』 (※5)さるるのである。それに就きては直接天津神の手足となり、股肱ここうとなりて活動せねばならぬ責任が重い。いかなる事をなさねばならぬか、またいかなる事をしてはならぬか、明確なる観念を所有せねばならぬ。次節に列挙せらるる雑々の罪事といふのはことごとく人として日夕ひっせき服膺ふくようせねばならぬ重要事項のみである。

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大祓祝詞解説(2)-霊界物語より

☆大祓祝詞解説(2) 出口王仁三郎

天津罪あまつつみとは、はなち 溝埋みぞうめ、樋放ひはなち 頻蒔しおまき 串差くしざし、生剥いけはぎ 逆剥さかはぎ 尿戸くそへ 許々太久ここたくの罪を、 天津罪と詔別ことわけて、国津罪くにつつみとは、生膚断いきはだだち死膚断しにはだだち白人胡久美しらひとこくみおのが母をかせる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、けもの犯せる罪、昆虫はふむしわざわひ高津神たかつみの災、高津鳥たかつとりの災、畜殪けものたお蠱物まじものせる罪、許々太久ここたく罪出つみいでむ。

△天津罪  天然自然に賊与ふよせられたる水力、火力、電磁力、地物、砿物、山物、動植物等の利用開発を怠る罪をいふ。前にも言へる如く、いはゆる積んで置く罪、包んで置く罪也。宝の持腐れをやる罪也。従来は文明だの進歩だのと云った所が、まったく穿違はきちがいの文明進歩で一ツ調子が狂へばたちまち饑餓きがに苦しむやうなやり方、現在世界各国の四苦八苦の有様を見ても、人間がいかに天津罪を犯してゐるかが解る。神諭に『結構な田地に木苗を植たり、色々の花の苗を作りたり、大切な土地を要らぬ事に使ふたり致し、人民の肝腎の生命の親の米、豆、粟を何とも思はず、米や豆や麦は何程でも外国から買へると申して居るが、いつまでもさう行かぬ事があるから猫の居る場にも五穀を植付けねばならぬやうになりて来るぞよ。皆物質本位の教であるから、神の国には神国の世の行方に致さして、モーぼつぼつと木苗も掘り起させるぞよ』 (※1)とあるなどは実に痛切骨に徹する御訓戒である。現在の神国人とても欧米人と同じく決して天津罪人の数には漏れぬ人間ばかりである。採鉱事業などになると今の人間は余程進歩してゐる所存でおるが、試掘と分析位で地底に埋没せる金銀宝玉等が出るものではない。これに比べると、幾分霊覚を加味した佐藤信淵の金気観測法などの方がどれだけか進歩してゐる。神霊の御命令と御指示がなくんば、金銀その他は決して出ない。大本神諭に五六七みろくの大神の御出ましにお成なさるるにつき、国常立尊が現はれるなり、国常立尊が現はれると、(竜宮の)乙姫殿は次ぎに結構な大望な御用が出来て乙姫殿の御宝を上げて新規の金銀を綾部の大本に………。二度目の立替を致して、何も新規になるのであるから、乙姫殿の御財宝を綾部の大本へ持運びて、新規の金銀を吹く準備を致さなならぬから云々』 (※2)とあるなどは時節到来とともに実現して、物質万能機械一点張りの連中を瞠苦どうくたらしむ事柄なのである。

また現在人士は電力、火力、水力、その他の利用にかけて余程発達進歩を遂げた心算で居るが、一歩高所から達観すると、利用どころか悪用ばかり間接または直接に人類の破滅、天然の破壊に使用されぬものが、いくつかある。是等の点にかけて現在の人士は、いはゆる知識階級、学者階級ほど血迷ひ切ってゐる、天津罪の犯罪者である。

☆「日本の古社 『伏見稲荷大社』 」(淡交社、2004年)14ページ 岡野弘彦「神々の物語」より
幾度か伏見稲荷山をめぐって、参拝者の熱心な祈りの姿に接しているうちに、私の心に理解せられてきたのはそういうことであった。そしてさらにいえば、私の子供のころ、内務省の国家神道に統一しようと仕向ける統制がそれほど窮屈でなかった時期、農家の主人達が神前で昔風な「大祓の祝詞」をあげ、拝殿の床に用意してきた小さな蝋燭やときに線香まで立てて、老人のなかには「般若心経」をとなえたりした、私の郷里の神社の講社の参拝を思い出させてくれる情景に出会えたことである。
神前で大祓の祝詞をとなえるときには、「天津罪と……」「国津罪と……」と、罪の条々をひとつひとつ数え上げて、自分の身を犯しかえりみながら唱えるのが、『延喜式』に定められた古いかたちであり、近代にいたるまでそれは崩れることなく守られていた。ところが大陸に戦火が拡大してしばらくたったころ、突然に内務省の神社局から各神社に通達があって、神前で大祓の祝詞をとなえるときには、ただ「天津罪・国津罪成りいでむ」と言って、その罪のひとつひとつをとなえることはやめるようにという指示があった。詳細な説明は何もなかったが、理由は簡単である。国津罪のなかに「生き肌断ち・死に肌断ち」の項目があって、戦場で兵隊たちが命令によってその罪を連日犯しているのに、その行為が日本人の古来からの罪障感に反するというのでは、考えの単純な為政者や軍人にとっては都合が悪かったのだろう。思えば浅はかな軍国下の宗教心の統制であった。そういう末梢的な統制が、日本人の伝統的な心のエネルギーを消失させ、敗戦に至らせたのであった。伏見稲荷山のお山めぐりをして、額に流れる汗を拭いつつ、累々と山肌をうずめつくしておし並ぶお塚を見つめながら、ふつふつと身の内に湧いてくる、祖(おや)の世の、そのまた先の祖の世の、宗教心のときめきを私は感じていた。(引用おわり)

△畔放ち  天然力、自然力の開発利用の事。畔(ア)は当字にてアメを約めたもの也。田のあぜを開つなどは単に表面の字義に囚はれたる卑近の解釈である(※3)
△溝埋め  水力の利用を指す。「埋め」には補足の義と生育の義とを包む。湯に水をうめる、根を土中にうめる、種子を地にうめる、孔をうめる、鶏が卵をうむなど参考すべし。
△樋放ち  樋は火也。電気、磁気、蒸気、光力等天然の火力の開発利用を指す。
△頻蒔き  山の奥までも耕作し不毛の地所などを作らぬ事。しき(シキ)は、敷地のシキ也、地所也。きは捲き也、捲き収める也、席巻也、遊ばせて置かぬ也、遊猟地や、クリケツト、グラウンドなどに広大なる地所を遊ばせて、貴族風を吹かせて、傲然たりし某国(現代追記:イギリスの事と思われる)の現状は、はたして如何。彼等が世界の土地を横領せる事の大なりしだけ、彼等が頻蒔しほまきの天則を無視せる罪悪もけだし世界随一であらう。しかしその覚醒の時もモー接近した、これではならぬと衷心ちゅうしんから悟る時はモー目前にある。イヤ半分はモーその時期が到着してゐる。しかしこれは程度の差違だけで、その罪は各国とも皆犯してゐる。
△串差し  カクシサガシの約にて、前人未発の秘奥を発見する事。
△生剥ぎ  一般の生物の天職を開発利用する事。生物といふ生物は悉く相当の本務のあるもので、軽重大小の差異こそあれそれぞれ役目がある。鼠でも天井に棲みて人間に害を与ふる恙虫つつがむしなどを殺すので、絶対的有害無効の動物ではない。剥ぎは開く義、発揮せしむる義也。「蚕をはぐ」などを参考。
△逆剥  逆(サカ)は、栄えのサカなり。酒などもこの「栄え」の意義から発生した語である。はぎは生剥の剥と同じく開発の義。即ち全体の義は栄え開く事で、廃物をも利用し荒野の地を開墾し、豊満美麗の楽天地を現出せしむる事を指す。
△尿戸  宇宙一切を整頓し、開発する義。クは組織経綸、ソは揃へる事、整頓する事、へは開発する事。
△許々太久  その他種々雑多の義。
△天津罪と詔別て  以上列挙せる天然力、自然物の利用開発を怠る事を、天津罪と教へ給ふ義也。
△国津罪  天賦の国の徳、人の徳を傷つくる罪を指す。
△生膚断  天賦の徳性を保ち居る活物の皮膚を切ること也。必要も無きに動物を害傷し、竹木を濫伐する事等は矢張罪悪である。霊気充満せる肉体に外科手術を施さずとも、立派に治癒する天賦の性能を有してゐる。人工的に切断したり切開したりするのは天則違反で、いたずらに人体毀損の罪を積ぬる訳になる。
△死膚断  刃物を以て生物一切を殺す罪。
△白人胡久美  白昼姦淫の事。白日床組といふ醜穢文字を避け、わざと当字を用ひたのである。淫欲は獣肉嗜好人種に随伴せる特徴で、支那、欧米の人士は概してこの方面の弊害が多い。日本人も明治に入つてから大分その影響を受けてゐるが、元来はこの点においては世界中で最も淡白な人種である。淫慾の結果は肺病となり、また癩病(ライ病)となる故に(※4)、白人胡久美を第二義に解釈すれば白人は肺病患者、または白癩疾者(※5)を指し、胡久美は黒癩疾者を指す。
△己が母犯せる罪  母の一字は、父、祖先、祖神等をも包含し、極めて広義を有するのである。大体において親といふごとし。犯すとはその本来の権能を無視する義也。換言すれば親、祖先、祖神に対して不孝の罪を重ぬる事である。
△己が子犯せる罪  自己の子孫の権能を無視し、非道の虐待酷使を敢てする事。元来自分の子も、実は神からの預かり物で、人間が勝手にこれを取扱ふ事は出来ない。それに矢鱈に親風を吹かせ、娘や伜(せがれ)などを自己の食ひ物にして顧みぬなどは甚だしき罪悪といふべきである。
△母と子と犯せる罪、子と母と云々  上の二句『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪』を更に畳句として繰返せるまでで別に意義はない。
△畜犯せる罪  獣類の天賦の徳性を無視し、酷待したり、殺生したりする事(注:闘牛など)。
△昆虫の災  天則違反の罪をいふ。蝮(まむし)、ムカデなどに刺されるのは皆偶然にあらず、犯せる罪があるにより天罰として刺されるのである。故にかかる場合には直に反省し、悔悟し、謹慎して、神様にお詫を申し上ぐべきである。
△高津神の災  天災、地変、気候、風力等の不順は皆これ高津神の業にして罪過の甚い所に起るのである。災(わざわひ)は「業はひ」也、所為也。鬼神から主観的に観ればひとつの所為であるが、人間から客観的に観れば災難である。今度の国祖の大立替に、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、その他八百万の眷属を使はるるのも祝詞のいはゆる高津神の災である。皆世界の守護神、人民の堕落が招ける神罰である。
△高津鳥の災  鳥(注:昆虫害も含む)が穀物を荒す事などを指すので矢張り神罰である。
△畜殪し  他家の牛馬鶏豚等を斃死せしむる事。一種のマジナヒ也。
△蠱物  呪咀也、マジナヒ物也。丑の時参りだの、生木に釘を打つだのは皆罪悪である。

(大意)人間は神の容器として宇内経綸の天職がある。殊に日本人の使命は重大を極め世界の安否、時運の興廃、悉くその責任は日本人にかかわるのである。神諭に『日本は神の初発しょっぱなにこしらへた国、元の祖国おやぐにであるから、世界中を守護する役目であるぞよ。日本神国の人民なら、チトは神の心も推量致して、身魂を磨いて世界の御用に立ちて下されよ』 (※7)とある通り、天賦の霊魂を磨き、天下独特の霊智霊覚によりて、天然造化力の利用開発に努めると同時に、他方においては天賦の国の徳、人の徳を発揮することに努め、そして立派な模範を世界中に示さねばならぬのである。しかるに実際は大にこれに反し、いたずらに物質文明の糟粕そうはくをなめ、罪の上に罪を重ねて現在見るが如き世界の大擾乱となつて来た。無論日本人はこの責任を免るる事は出来ない。しかしこれは天地創造の際からの約束で、進化の道程として、けだしまぬがれがたき事柄には相違ない。さればこの祝詞の中に『許々太久の罪出む』とあり、また国祖の大本神諭にも『こうなるのは世の元から分つてゐる』 (※8)と仰せられてゐる。要するに過去の事は今更悔むには及ばぬ。吾々は現在及び将来に向って、いかなる態度をとり、いかなる処置を講ずればよいかを考究すべきである。次節にその要道を示されて居る。


如此かくでば、天津宮言あまつみやごともちて、天津金木あまつかねぎ本打切もとうちきり 末打断すえうちたてて、千座ちくら置座おきくら置足おきたらはして、天津菅曾あまつすがそ本苅絶もとかりたち末苅切すえかりきりて、八針やはり取裂とりさきて天津祝詞あまつのりと太祝詞言ふとのりとごと
如此かくらば、天津神はあめ磐戸いわと推披来おしひらきて、あめ八重雲やへぐも伊頭いず千別ちわき千別ちわき所聞召きこしめさむ。国津神くにつかみ高山たかやますえ短山へきやまの末に登りまして、高山の伊保理いぼり短山へきやまの伊保理を掻分かきわけて所聞召む。』


△天津宮言  宮言は『ミヤビノコトバ』の義也。正しき言霊也。宇宙の経綸は言霊の力によりて行はるる事は、前にも述べた。我天孫民族は世界の経綸を行ひ、天下を太平に治むべき、重大なる使命を帯びてゐる。しかるに現在は肝腎の日本人が、霊主体従の天則を誤り天津罪、国津罪、数々の罪を重ねて、その結果世界の大擾乱を来してゐる。これを修祓し、整理するの途は、言霊をただし、大宇宙と同化するが根本である(※9)。換言すれば、肚の内部から芥塵を一掃し、心身ともに浄化して、常に善言美詞のみを発するやうにせねばならぬ。悪声を放ち蔭口をききまたは追従軽薄を並べるやうな人間はそれだけでその人格の下劣邪悪な事が分る。世界の経綸どころか人として次の新理想時代に生存すべき資格の有無さへ疑問である。日夕祝詞を奏上しても、こんな肝要至極の点が、さつぱり実行が出来ぬでは仕方がない。お互に反省の上にも反省を加へねばならぬ事と思ふ。

△天津金木  すなわち神算木(かなぎ)也。周易の算木(さんぎ)に相当するものであるが、より以上に神聖で正確である。本来は長さ二尺の四寸角の檜材ひのきざいなのであるが、運用の便宜上、長さ二寸の四分角に縮製さる。その数三十二本を並べて、十六結を作製し、その象を観て、天地の経綸、人道政事一切の得失興廃等を察するのである。それは宇内統治の主が大事に際して運用すべきもので、普通人民が矢鱈やたらに吉凶禍福などを卜(ぼく)するに使用すべきものではない。無意無心の器物を用ゐて神勅を受くるのであるから、ややもすれば肉体心の加味し勝ちな普通の神憑りよりも、一倍正確な事は云ふまでもない。
△本打切末打断  神算木を直方形に作製する仕方を述べたまでである。
△千座の置座云々  無数の神算木台に後からズンズン置き並べる事。
△天津菅曾  周易の筮竹(ぜいちく)に相当するがその数は七十五本である。これは七十五声を代表するのである。長さは一尺乃至一尺二寸、菅曾は俗称『ミソハギ』と称する灌木、茎細長にして三四尺に達す。これを本と末とを切り揃へて使用する也。
△八針に取裂て  天津菅曾の運用法は先づ総数七十五本を二分し、それから八本づつ取り減らしその残数によりて神算木を配列するのである。
△天津祝詞の太祝詞  すなわち御禊祓(みそぎはらい)の祝詞の事で、正式に奏上する場合にはここで天津祝詞を奏上するのである。大体において述べると、あの祝詞は天地間一切の大修祓を、天神地祇てんしんちぎに向つて命ぜらるる重大な祝詞である。太(フト)は美称で、繰返して、天津祝詞を称へたまでである。
△宣れ  神に向つて願事を奏上するの義也。
△天の磐戸  天津神のまします宮門から御出動の義にて、人格的に写し出せるのである。
△伊頭の千別き云々  伊頭は稜威也。即ち鋭き勢を以て道を別けに別けの義。
△国津神  地の神界に属する神々、及び霊魂の神を以て成立し、各自の霊的階級に応じて大小高下、それぞれの分担権限を有す。
△高山の末云々  末は頂上の義。
△伊保理  隠棲也、隠れたる也。伊保理の伊保も、いぶかしの「いぶ」も、烟などの「いぶる」も、皆通音で同意義である。

(大意)天津罪、国津罪の続発は悲しむべき不祥事ではあるが、出来た上は致方がない。よく治乱興廃、得失存亡の理を明かにし、そして整理修祓の法を講ぜねばならぬ。世界主宰の大君としては、天津金木を運用して宇内の現勢を察知し(※10)、そして正しき言霊を活用して天津祝詞を「天津神と国津神」(※11)とに宣り伝へて、その活動を促すべきである。これが根本の祭事であると同時に、また根本の政事であつて、祭と政とは決して別途に出るものではない。さうすると、天津神も国津神もよくこれに応じて威力を発揮せられる。神諭のいはゆる罪穢めぐりのひどい所には、それぞれの懲罰いましめがある』 (※12)または『地震、雷、火の雨降らして体主霊従からをつぶす』 (※13)といふやうな神力の発動ともなるのである。

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大祓祝詞解説(3)-霊界物語

☆大祓祝詞解説(3) 出口王仁三郎

如此かく所聞食きこしめしては、つみといふ罪は不在あらじと、科戸しなどの風のあめ八重雲やへぐも吹放ふきはなつ事のごとく、朝御霧あしたのみきり 夕御霧ゆふべのみきりを、朝風あさかぜ夕風ゆふかぜ吹掃ふきはらふ事の如く、大津辺おほつべ大船おほふねを、解放ときはなとも解放ちて大海原おほうなばら押放おしはなつ事の如く、彼方おちかた繁木しげきもとを、焼鎌やきがま敏鎌とがま打掃うちはらふ事の如く、のこる罪は不在あらじと、祓賜はらひたまきよたまふ事を。

△かく所食ては  きこしめすの意義は、単に耳に聴くといふよりも、はるかに広く深い。「きく」は利く也。腕が利く、鼻がきく、眼がきく、酒をきく、(酒の品位を飲み分けること)などの「きく」にて一般に活用を発揮し、威力を利用する義である。天津神、国津神たちが整理修祓の命に応じて活動を開始する事を指していふ。
△罪といふ罪は不在と  罪といふ限りの罪は一つも残さずの意。
△科戸の風の云々  以下四聯句は修祓の形容で、要するに『遺る罪は不在と祓賜ひ清め賜ふ』事を麗しき文字で比喩的に描いたものである。科戸は風の枕詞、古事記にこの神の名は「志那都比古」と出てゐる。シは暴風(アラシ)のシと同じく風の事である。ナはノに同じく、トは処の義。
△朝の御霧云々  御霧は深き霧の義。
△朝風夕風云々  朝風は前の『朝の御霧』にかかり、夕風は『夕の御霧』にかかる。
△大津辺に居る云々  地球において、肉体を具備されたる神の御出生ありしは、琵琶湖の竹生島ちくぶしまからは、多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、狭依毘売命(さよりひめのみこと)の三姫神、また蒲生がもうからは天之菩卑能命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、活津日子根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)の五彦神が御出生になつた。これが世界における人類の始祖である。かく琵琶湖びわこは神代史と密接の関係あるが故に、沿岸附近の地名が大祓祝詞中に数箇所出てゐる。大津の地名もかくして読み込まれたものである。
△舳解放云々  停泊時に舳艪(じくろ)を繋いでおくが、それを解き放つ意。
△大海原  海洋也。
△繁木が下  繁茂せる木の下。
△焼鎌の敏鎌  焼鎌とは、鎌で焼きて造る故にいふ。敏鎌は利き鎌の義。
△遺る罪は不在と  前に『罪といふ罪は不在』とあるのに、更に重ねてかく述ぶるは、徹底的に大修祓を行ふ事を力強く言ひなしたのであらう。

(大意)
八百万の天津神と国津神との御活動開始となると、罪といふ罪、穢(けがれ)といふ穢は一つも残らず根本から一掃されてしまふ。大は宇宙の修祓、国土の修祓から、小は一身一家の修祓に至るまで、神力の御発動が無ければ、到底出来るものではない。殊に現代の如く堕落し切った世の中が、どうしても姑息的人為的の処分ぐらゐで埒が附くものでない。清潔法執行の声は高くても、益々疾病は流行蔓延し、社会改良の工夫は種々に凝らされても、動揺不穏の空気はいよいよ瀰蔓びまんするではないか。うしとら金神こんじん国常立尊くにとこたちのみことが御出動に相成り、世の立替立直しを断行さるるのも誠に万止むを得ざる話である。されば大祓祝詞は、無論いずれの時代を通じても必要で、神人一致、罪と穢の累積を祓清むるやうに努力せねばならぬのだが、ことに現在においては、それが痛切に必要である。自己の身体からも、家庭からも、国土からも、更に進んで全地球、全宇宙から一時も迅速に邪気妖気を掃蕩して「うれしうれしの神代」になさねば、神に対して実に相済まぬ儀ではないか。
大修祓に際して、神の御活動は大別して四方面に分れる。いはゆる祓戸四柱の神々の御働きである。祓戸の神といふ修祓専門の神様が別に存在するのではない、正神界の神々が修祓を行ふ時には、この四方面に分れて御活動ある事を指すのである。以下末段までは各方面の御分担を明記してある。


高山たかやますえ 短山へきやまの末より、作久那太理さくなだりおち多岐たき速川はやかわ瀬織津比売せおりつひめふ神、大海原おほうなばら持出もちいでなむ、如此かく持出もちいでいなば、荒塩〔荒潮〕あらしほ塩〔鹽〕しほ八百道やほぢ八塩道やしおぢの塩の八百会やほあひ速秋津比売はやあきつひめといふ神、持可々呑もちかかのみてむ。如此かく可々呑かかのみては、気吹戸いぶきどに坐す気吹戸主いぶきどぬしといふ神、くにそこの国に気吹いぶきはなちてむ。如此かく気吹放いぶきはなちては、根の国底の国に坐す速佐須良比売はやさすらひめといふ神、持佐須良比もちさすらひうしなひてむ。如此かくさすらひうしなひては、現身うつそみの身にも心にも罪と云ふ罪は不在あらじと、祓給はらひたまへ、清め給へとまおす事を所聞食きこしめせかしこみ恐みもまおす。

△高山の末云々  高き山の頂、低き山の頂からの義。
△作久那太理に  佐久は谷也、峡也。那太理はなだれ落つる義、山から水が急転直下し来る事。
△落多岐つ  逆巻き、湧き上りつつ落つる事。滝(タキ)、沸(タギル)等皆同一語源から出づ。
△速川  急流也。

△瀬織津比売云々  古事記の伊邪那岐命御禊の段に、『於是詔之上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬降迦豆伎而。滌時。所成坐神名八十禍津日神、次大禍津日神。此二神者所到其穢繁国之時因汚垢而。所成之神者也』と出てゐるが、瀬織津の織は借字にて瀬下津の義、即ち於中瀬降迦豆伎(なかつせにおりかつき)たまふとある意の御名である。この神はすなわち禍津日神(まがつひかみ)である。世人は大概禍津日神と禍津神(まがつかみ)とを混同してゐるが、実は大変な間違である。禍津神は邪神であるが、禍津日神は正神界の刑罰係である。現界で言へば判検事、警察官、または軍人なぞの部類に属す。罪穢が発生した場合には、常にこの修祓係、刑罰係たる禍津日神の活動を必要とする。
 修祓には大中小の区別がある。大は天上地上の潔斎(けっさい)、中は人道政事の潔斎、小は一身一家の潔斎である。もし地球に瀬織津比売の働きが無くば、万(よろず)の汚穢は地上に堆積して新陳代謝の働きが閉塞する。ところが地の水分が間断なく蒸発して、それが雲となり、雨となり、その結果谷々の小川の水が流れ出て末は一つになりて大海原に持出してくれるから、天然自然に地の清潔が保たれるのである。現在は地の表面が極度に腐敗し切り、汚染し切り、邪霊小人時を得顔に跋扈している。大本神諭に『今の世界は服装ばかり立派に飾りて上から見れば結構な人民で、神も叶はぬやうに見えるなれど誠の神の眼から見れば、全部四つ足の守護になりて居るから、頭に角が生えたり、尻に尾が出来たり、無暗に鼻ばかり高い化物の覇張る、闇雲の世になりて居るぞよ』 (※1)『余りきたなうて眼を開けて見られぬぞよ』 (※2)『ようもここまで汚したものぢや。足片足踏み込む所もない』 (※3)等と戒められてゐる通りである。
 この際是非とも必要なるは、世界の大洗濯、大清潔法の施行であらねばならぬ。ここにおいてかまず瀬織津姫の大活動となりて現はれる。七十五日も降りつづく大猛雨なぞはこの神の分担に属する。到底お手柔な事では現世界の大汚穢の洗濯は出来さうも無いやうだ。大本神諭にも『罪穢の甚大い所には何があるやら知れぬぞよ』 (※4)と繰返し繰返し警告されてゐる。世界の表面を見れば、そろそろ瀬織津比売の御活動は始まりつつあるやうだ。足下に始まらなくては気が附かぬやうでは困ったものだ。

△荒塩の塩の八百道の云々  全体は荒き潮の弥が上に数多寄り合ふ所の義。八は弥の意、八百道は多くの潮道の事、八塩道は上の塩の八百道を受け重ねていへるだけである。八百会は沢山の塩道の集まり合ふ所。
△速秋津比売  古事記に『水戸神、名速秋津日子神。次妹秋津比売命』とあるが如く河海の要所を受持ちて働く神也。
△持可々呑てむ  声立ててガブガブ呑むの義也。汚れたる世界の表面を洗浄するためには既に瀬織津比売の働きが起りて大雨などが降りしきるが、河海の水門々々に本拠を有する秋津比売が、次ぎに相呼応して活動を開始する。大洪水、大海嘯、大怒濤、この神にガブ呑みされては田園も山野も、町村もたまったものではない。いはゆる「桑田(そうでん)変じて碧海(へきかい)となる」のである。
△気吹戸  近江の伊吹山は気象学上極めて重要な場所である。伊吹は息を吹く所の義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中の伊吹戸とも云ふべきは近江の伊吹山である。最近伊吹山に気象観測所が公設されたのは、新聞の伝ふる所であるが、大本では十年も二十年も以前から予知の事実である。
△気吹戸主  大雨、洪水、海嘯等の活動に続いては、気象上の大活動が伴うて妖気邪気の掃蕩を行はねばならぬ。元寇の役に吹き起った神風のごときも、無論この伊吹戸主の神の御活動の一端である。
△根の国底の国  地球表面においては北極である。神諭に『今迄は世の元の神を、北へ北へ押籠めて置いて、北を悪いと世界の人民が申して居りたが、北は根の根、元の国であるから、北が一番善くなるぞよ………。人民は北が光ると申して不思議がりて、いろいろと学や智慧で考へて居りたが、誠の神が一処に集りて、神力の光を現はして居る事を知らなんだぞよ』 (※5)とあるが、まことに人間の智慧や学問では解釈の出来ない神秘は北に隠されてゐる。オーロラ、磁力は申すに及ばず、気流や、気象等も北極とは密接の関係がある。即ち地球の罪穢邪気は、悉く一旦北極に吹き放たれ、ここで遠大なる神力により処分されるのである。ついでに一言して置くが、罪を犯した者が根の国、底の国に落ちるのは、つまり神罰で、これも一つの修祓法執行の意義である。別に根の国底の国といふ地獄めきたる国土が存在するのではない。何処に居ても神罰執行中はそこが根の国底の国である。

△速佐須良比売  佐須良(さすら)は摩擦(サスル)也、揉むこと也、空にありては雷、地にありては地震、皆これ佐須良比売の活動である。要するに全世界の大修祓法は、大雨で流し、洪水海嘯等で掃ひ、大風で吹き飛ばし、最後に地震雷で揺って揺って揺り滅すのである(※6)。それが即ち神諭の世界の大洗濯、大掃除、第二次の大立替である。『天の大神様がいよいよ諸国の神に、命令を降しなされたら、艮金神国常立尊が総大将となりて雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、八百万の眷族を使ふと一旦は激しい』 (※7)とあるのは、祓戸四柱の神々の活動を指すのである。詳しく言へば雨、荒、風、地震の神々がそれぞれ瀬織津比売、秋津比売、気吹戸主、佐須良比売の神々の働きをされるので、岩の神が統治の位置に立つのである。学問の末に囚はれた現代人士は、是等の自然力を科学の領分内に入れて解釈しようと試みてゐるがそれは駄目だ。実は皆一定の規律と方針の下に行はるる所の神力の大発動である。
△所聞食と  八百万の神達に宣り上ぐる言葉である。神々に向つて活動開始、威力発揮を祈願する言葉である。即ち天地の神々様も、この宣詞をしっかり腹に入れ、四方面に分れて、大修祓のために活力を発揮し玉へと云ふ事である。わが惟神(かんながら)の大道がいかに拝み信心、すがり信心と天地の相違あるかは、この辺の呼吸を観ても分るであらう。
 末段、祓戸四柱神の解釈説明を下すに当り、自分(王仁三郎)は全体の統一を慮り、また大本神諭との一致を失はぬやう、主として地球全体世界全体経綸の見地から筆を下した。しかしこれは、より大きくも、またより小さくも解釈が出来る事は前にも述べた通りである。宇宙の神人、万有一切の事は皆同一理法に支配せられ、宇宙に真なる事は地球にも真、地球に真なる事は一身一家にもまた真である。参考のためにここに簡単に他の一・二の解釈法を附記して置かう。
 個人潔斎の上から述べると瀬織津比売の働きは行水、沐浴等の事、秋津比売はウガイの事、伊吹戸主は深呼吸などの事、佐須良比売は冷水摩擦、按摩等の事である。人身生理の上から述べると、瀬織津比売は口中にて食物咀嚼の機能、秋津比売は食道から胃腸に食物を運ぶ機能、気吹戸主は咀嚼して出た乳汁を内臓に持ち出す機能、佐須良比売は肺臓にて空気に触れ、それから心臓に帰り、そして全身へ脈管で分布せらるる機能を指すのである。かくの如く大祓祝詞は大小にこだはらず、ありとあらゆる有機組織全部に必要なる新陳代謝の自然法を述べたものである。

(大意)
さて地球の表面の清潔法施行のためには、まず大小の河川をつかさどる瀬織津姫が御出動になり、いよいよとなれば、大雨を降らして、苛くも汚れたものは建物たると、人畜たるの区別なく大海へ一掃してしまふ。これに応じて速秋津姫の活動が起り、必要あれば逆に陸地までも押し寄せ、あらゆる物を鵜呑みにする。邪気妖気掃除の目的には気吹戸主神が控へて居り、最後の大仕上げには佐須良姫が待ち構へて、揉みに揉み砕き、揺りに揺り潰す。これではいかに山積せる罪穢もこの世から一掃されて品切れになる。従来は大祓の祝詞は世に存在してもその意義すら分らず、従つてその実行が少しも出来て居なかつた。その大実行着手が国祖・国常立尊の御出動である。神国人の責務は重いが上にも重い。天地の神々の御奮発と御加勢とを以て首尾よくこの大経綸の衝(しょう)にあたり神業に奉仕するといふのが、これが大祓奏上者の覚悟であらねばならぬ。

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感謝祈願詞-霊界物語より(漢字のみ)

『感謝祈願詞』
出口王仁三郎「霊界物語」第60巻より→ふり仮名入り 

(感謝)

至大天球の主宰に在坐て。一霊四魂、八力、三元、世、出、燃、地成、弥、凝、足、諸、血、夜出の大元霊、天之御中主大神、霊系祖神高皇産霊大神。体系祖神神皇産霊大神の大稜威を以て、無限絶対無始無終に天地万有を創造賜ひ。神人をしてかかる至真至美至善之神国に安住せ玉はむがために、太陽太陰大地を造り、各自々々至粋至醇之魂力体を賦与玉ひ。また八百万天使を生成給ひて万物を愛護給ふ、その広大無辺大恩恵を尊み敬ひ恐み恐みも白す。

掛巻も畏き大地上の国を知召します、言霊の天照国は。千代万代に動く事無く変る事無く。修理固成給ひし、皇大神の敷坐す島の八十島は。天の壁立極み国の退立限り。青雲の棚引極み、白雲の堕居向伏限り、伊照透らす大稜威は、日の大御守と嬉しみ尊み。常夜照る天伝ふ月夜見神の神光は、夜の守と青人草を恵み撫で愛しみ賜ひ。殊更に厳の御魂天勝国勝国之大祖国常立尊は、天地初発之時より独神成坐而隠身賜ひ。玉留魂の霊徳を以て、海月如す漂へる国土を修理固成て、大地球の水陸を分劃ち賜ひ。豊雲野尊は足魂の霊徳を以て植物を生出、葦芽彦遅尊は生魂の霊徳を以て動物を愛育て。大戸地、大戸辺、宇比地根、須比地根、生杙、角杙、面足、惶根の全力を以て。万有一切に賦り与へ、天地の万霊をして、惟神の大道によらしめ賜ひ。神伊邪那岐尊、神伊邪那美尊は。天津神の神勅を畏み、天の瓊矛を採持ち。豊葦原の千五百秋の水火国を。浦安国と、怜に完全具足に修理固成し賜ひて。遠近の国の悉々、国魂の神を生み、産土の神を任け賜ひて。青人草を親しく守り賜ふ。その大御恵を仰ぎ敬ひ喜び奉らくと白す。

現身の世の習慣として。枉津神の曲事に相交こり、日に夜に罪悪汚濁に沈みて。現界の制律に罪せられ。幽界にては神の政庁の御神制の随々、根の国底の国に堕行むとする蒼生の霊魂を隣み賜ひて。伊都の霊、美都の霊の大神は。綾に尊き豊葦原の瑞穂の国の真秀良場畳並る、青垣山籠れる下津岩根の高天原に、現世幽界の統治神として現れ給ひ。教親の命の手により口によりて、惟神の大本を講き明し。天の下四方の国を平けく安けく、豊けく治め給はむとして。日毎夜毎に漏る事無く遺る事無く。最懇切に百姓万民を教へ諭し賜ふ。神直日、大直日の深き広き限り無き大御恵を。嬉しみ忝なみ、恐み恐みも称辞竟へ奉らくと白す。

(祈願)

天地初発之時より。隠身賜ひし国の太祖大国常立大神の御前に白さく。天の下四方の国に生出し青人草らの身魂に。天津神より授け給へる直霊魂をして。益々光華明彩至善至直伊都能売魂となさしめ賜へ。邂逅に過ちて枉津神のために汚し破らるる事なく。四魂五情の全き活動に由て、大御神の天業を仕へ奉るべく。忍耐勉強もつて尊き品位を保ち、玉の緒の生命長く。家門高く富栄えて、甘し天地の花となり光となり。大神の神子たる身の本能を発き揚しめ賜へ。仰ぎ願はくは大御神の大御心に叶ひ奉りて、身にも心にも罪悪汚穢過失在らしめず。天授之至霊を守らせ給へ、凡百の事業をなすにも。大御神の恩頼を幸へ給ひて、善事正行には荒魂の勇みを振起し、倍々向進発展完成の域に立到らしめ給へ。朝な夕な神祇を敬ひ。誠の道に違ふ事無く、天地の御魂たる義理責任を全うし。普く世の人と親しみ交こり、人欲のために争ふ事を恥らひ。和魂の親みに由て人々を悪まず、改言改過悪言暴語無く、善言美詞の神嘉言を以て、神人を和め。天地に代るの勲功を堅磐に常磐に建て。幸魂の愛深く。天地の間に生とし生ける万物を損ひ破る事無く。生成化育の大道を畏み、奇魂の智に由て。異端邪説の真理に狂へる事を覚悟べく。直日の御霊に由て正邪理非直曲を省み。以て真誠の信仰を励み、言霊の助によりて大神の御心を直覚り。鎮魂帰神の神術に由て村肝の心を練り鍛へしめ賜ひて。身に触る八十の汚穢も心に思ふ千々の迷も。祓ひに祓ひ、退ひに退ひ、須弥仙の神山の静けきが如く。五十鈴川の流の清きが如く。動く事無く変る事無く。息長く偉大く在らしめ賜ひ。世の長人、世の遠人と健全しく。親子夫婦同胞朋友相睦びつつ。天の下公共のため、美はしき人の鏡として。太じき功績を顕はし、天地の神子と生れ出たるその本分を尽さしめ賜へ。

総の感謝と祈願は千座の置戸を負て、玉垣の内津御国の秀津間の国の海中の沓嶋神嶋の無人島に神退ひに退はれ。天津罪、国津罪、許々多久の罪科を祓ひ給ひし、現世幽界の守神なる、国の御太祖国常立大神、豊雲野大神。亦た伊都の御魂美都の御魂の御名に幸へ給ひて聞食し、相宇豆那比給ひ。夜の守日の守に守幸へ給へと。鹿児自物膝折伏せ宇自物頸根突抜て。恐み恐みも祈願奉らくと白す。



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ジャンル : 心と身体

感謝祈願詞-霊界物語より(ふり仮名)

『感謝祈願詞』(みやびのことば)  出口王仁三郎「霊界物語」より

(感謝)

至大天球(たかあまはら)の主宰(つかさ)に在坐(ましまし)て。一霊四魂(ひと)、八力(ふた)、三元(み)、世(よ)、出(いつ)、燃(むゆ)、地成(なな)、弥(や)、凝(ここの)、足(たり)、諸(もも)、血(ち)、夜出(よろづ)の大元霊(もとつみたま)、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおほかみ)、霊系祖神高皇産霊大神(たかみむすびのおほかみ)。体系祖神神皇産霊大神(かむみむすびのおほかみ)の大稜威(おほみいづ)を以(もっ)て、無限絶対無始無終(かきはにときは)に天地万有(よろづのもの)を創造(つくり)賜(たま)ひ。神人(おほみたから)をしてかかる至真至美至善之神国(うるはしきみくに)に安住(すまは)せ玉(たま)はむがために、太陽太陰大地(ひつきくぬち)を造り、各自々々(おのもおのも)至粋至醇之魂力体(きよきみたま)を賦与(さづけ)玉ひ。また八百万天使(やほよろづのかみ)を生成(うみなし)たまひて万物(すべて)を愛護(まもり)給ふ、その広大無辺(ひろきあつき)大恩恵(おほみめぐみ)を尊(たふと)み敬(ゐやま)ひ恐(かしこ)み恐みも白(まを)す。

掛巻(かけまく)も畏(かしこ)き大地上国(あしはらのくに)の知召(しろしめ)します、言霊(ことたま)の天照国(あまてるくに)は。千代万代(ちよよろづよ)に動くこと無く変る事無く。修理固成(つくりかためなし)給ひし、皇大神(すめおほかみ)の敷坐(しきま)す島(しま)の八十島(やそしま)は。天(あめ)の壁立極(かべたつきはみ) 国の退立限(そぎたつかぎり)。青雲(あをくも)の棚引極(たなびくきはみ)、白雲(しらくも)の堕居向伏限(おりゐむかふすかぎり)、伊照透(いてりとほ)らす大稜威(おほみいづ)は、日の大御守(おほみまもり)と嬉しみ尊み。常夜照(とこよて)る天伝(あまつた)ふ月夜見神(つきよみのかみ)の神光(みひかり)は、夜の守と青人草(あをひとぐさ)を恵み撫(な)で愛(いつく)しみ賜ひ。殊更(ことさら)に厳(いづ)の御魂(みたま)天勝国勝国之大祖(あまかつ くにかつ くにのおほみおや)国常立尊(くにとこたちのみこと)は、天地初発之時(あめつちなりいでしとき)より独神成坐而隠身(すになりましてすみきり)賜ひ。玉留魂(たまつめむすび)の霊徳(みいづ)を以て、海月(くらげ)なす漂へる国土(くに)を修理固成て、大地球(くぬち)の水陸(うみくが)を分劃(わか)ち賜ひ。豊雲野尊(とよくもぬのみこと)は足魂(たるむすび)の霊徳を以て植物(きくさ)を生出(なりいで)、葦芽彦遅尊(あしかびひこぢのみこと)は生魂(いくむすび)の霊徳を以て動物(いけもの)を愛育(めでそだ)て。大戸地(おほとのぢ)、大戸辺(おほとのべ)、宇比地根(うひぢね)、須比地根(すひぢね)、生杙(いくぐひ)、角杙(つぬぐひ)、面足(おもたる)、惶根(かしこね)の全力(ちから)を以て。万有一切(すべてのもの)に賦(くま)り与へ、天地(あめつち)の万霊(みたま)をして、惟神(かむながら)の大道(おほぢ)によらしめ賜ひ。神伊邪那岐尊(かむいざなぎのみこと)、神伊邪那美尊(かむいざなみのみこと)は。天津神の神勅(みこと)を畏み、天瓊矛(あまのぬほこ)を採持(とりも)ち。豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の水火国(みづほのくに)を。浦安国(うらやすくに)と、怜に完全具足(うまらにつばら)に修理固成し賜ひて。遠近(をちこち)の国の悉々(ことごと)、国魂(くにたま)の神を生み、産土(うぶすな)の神を任(ま)け賜ひて。青人草を親しく守り賜ふ。その大御恵(おほみめぐみ)を仰ぎ敬ひ喜び奉(まつ)らくと白す。

現身世(うつそみのよ)の習慣(ならひ)として。枉津神(まがつかみ)の曲事(まがこと)に相交(あひまじ)こり、日に夜に罪悪汚濁(つみけがれ)に沈みて。現界(うつしよ)の制律(みのり)に罪せられ。幽界(かくりよ)にては神の政庁(みかど)の御神制(みさだめ)の随々(まにまに)、根の国底の国に堕行(おちゆか)むとする蒼生(あをひとぐさ)の霊魂(みたま)を隣み賜ひて。伊都(いづ)の霊(みたま)、美都(みづ)の霊の大神は。綾に尊き豊葦原の瑞穂の国の真秀良場(まほらば)畳並(たたなは)る、青垣山籠(あおかきやまこも)れる下津岩根(したついはね)の高天原に、現世幽界(うつつかくりよ)の統治神(すべかみ)として現れたまひ。教親(をしへみおや)の命(みこと)の手により口によりて、惟神の大本を講き明し。天の下 四方(よも)の国を平(たひら)けく安(やすら)けく、豊(ゆた)けく治め給はむとして。日毎夜毎(ひごとよごと)に漏(もる)る事無く遺(おつ)る事なく。最懇切(いとねもごろ)に百姓万民(おほみたから)を教へ諭し賜ふ。神直日(かむなほひ)、大直日(おほなほひ)の深き広き限り無き大御恵(おほみめぐみ)を。嬉しみ忝(かたじけ)なみ、恐み恐みも称辞竟(たたへごとを)へ奉らくと白す。

(祈願)

天地初発之時(あめつちなりいでしとき)より。隠身賜(すみきりたま)ひし国の太祖(おほみおや)大国常立大神(おほくにとこたちのおほかみ)の御前に白さく。天(あめ)の下(した)四方(よも)の国に生出し青人草らの身魂に。天津神より授(さづ)け給へる直霊魂(なほひのみたま)をして。益々光華明彩至善至直(ますますひかりうるはしき)伊都能売魂(いづのめのみたま)となさしめ賜へ。邂逅(わくらは)にあやまちて枉津神(まがつかみ)のために汚し破らるる事なく。四魂五情(たまとこころ)の全(まつた)き活動(はたらき)によりて、大御神(おほみかみ)の天業(みわざ)を仕へ奉るべく。忍耐勉強(よくたへしのび)もつて尊き品位(しな)を保ち、玉の緒(を)の生命長く。家門高(いへかどたか)く富栄(とみさか)えて、甘(うま)し天地(あめつち)の花となり光となり。大神の神子(みこ)たる身の本能(さが)を発(ひら)き揚(あげ)しめ賜へ。仰ぎ願はくは大御神(おほみかみ)の大御心(おほみこころ)に叶(かな)ひ奉りて、身にも心にも罪悪汚穢過失在(つみ けがれ あやまち あ)らしめず。天授之至霊(もとつみたま)を守らせ給へ、凡百(すべて)の事業(なりはひ)をなすにも。大御神の恩頼(みたまのふゆ)を幸(さきは)へ給ひて、善事正行(よごとまさわざ)には荒魂(あらみたま)の勇(いさ)みを振起(ふりおこ)し、倍々向進発展完成(ますます すすみひらき まつたき)の域(さかひ)に立到(たちいた)らしめ給へ。

朝な夕な神祇(かみたち)を敬ひ。誠の道に違(たが)ふ事無く、天地(あめつち)の御魂(みたま)たる義理責任(つとめ)を全(まつと)うし。普(あまね)く世の人と親しみ交(まじ)こり、人欲(わたくし)のために争ふ事を恥らひ。和魂(にぎみたま)の親みに由て人々を悪(にく)まず、改言改過悪言暴語(あやまちをくい ののしること)無く、善言美詞(みやび)の神嘉言(かむよごと)を以て、神人(かみがみ)を和(なご)め。天地に代るの勲功(いさをし)を堅磐(かきは)に常磐(ときは)に建て。幸魂(さちみたま)の愛(めぐみ)深く。天地の間(うち)に生とし生ける万物(もの)を損ひ破る事無く。生成化育(かむながら)の大道(おほみち)を畏み、奇魂(くしみたま)の智(ひかり)に由(より)て。異端邪説(まがのをしへ)の真理(ことわり)に狂へる事を覚悟(さとる)べく。直日(なほひ)の御霊(みたま)に由て正邪理非直曲(ことのよしあし)を省(かへり)み。以て真誠(まこと)の信仰(あななひ)を励(はげ)み、言霊(ことたま)の助(たすけ)によりて大神の御心を直覚(さと)り。鎮魂帰神(みたましづめ)の神術(みわざ)に由て村肝(むらきも)の心を練り鍛(きた)へしめ賜ひて。身に触る八十(やそ)の汚穢(けがれ)も心に思ふ千々(ちぢ)の迷も。祓ひに祓ひ、退(やら)ひに退ひ、須弥仙(みせん)の神山(みやま)の静けきが如く。五十鈴川(わちがは)の流の清きが如く。動く事無く変る事無く。息長(おきなが)く偉大(たくまし)く在らしめ賜ひ。世の長人(ながひと)、世の遠人(とほひと)と健全(まめまめ)しく。親子夫婦同胞朋友(おやこ めをと はらから ともがき)相睦(あひむつ)びつつ。天下公共(あめのしたおほやけ)のため、美(うる)はしき人の鏡として。太(いみ)じき功績(いさを)を顕(あら)はし、天地(すめかみ)の神子(みこ)と生れ出でたるその本分(つとめ)を尽(つく)さしめ賜へ。

すべての感謝(ゐやひ)と祈願(いのり)は千座(ちくら)の置戸(おきど)を負ひて、玉垣(たまがき)の内津御国(うちつみくに)の秀津間(ほつま)の国の海中(わだなか)の沓嶋神嶋(おもと うらと)の無人島(しまじま)に神退(かむやら)ひに退はれ。天津罪(あまつつみ)、国津罪(くにつつみ)、許々多久(ここたく)の罪科(つみ)を祓ひ給ひし、現世幽界(うつしよ かくりよ)の守神(まもりがみ)なる、国の御太祖(おほみおや)国常立大神(くにとこたちのおほかみ)、豊雲野大神(とよくもぬのおほかみ)。また伊都(いづ)の御魂(みたま)美都(みづ)の御魂の御名に幸(さきは)へ給ひて聞食(きこしめ)し、相宇豆那比(あひ うづなひ)給ひ。夜の守り日の守りに守幸(まもりさきは)へ給へと。鹿児自物膝折伏(かごじもの ひざをりふ)せ宇自物頸根突抜(うじもの うなねつきぬき)て。恐み恐みも祈願奉(こひのみまつ)らくと白す。




◎出口王仁三郎著「八面鋒(王仁文庫 第8篇)」より「(七)嚴靈 瑞靈」
てんしゅいちれいこんもっこころつくり、これかつぶつす、しゅさんげんはちりきもったいつくり、之をばんぶつあたふ。ゆゑれいまもるものはそのたいたいを守るものはれいなり。しんりてこれまもるにあらず。すなはじゃうていめいえいゑんえき』とはみちたいげんおしふるところにして、またこうどうおほもとれいがくかんなり。しかしていちれいとは直靈なほひなり。こんとは、あらみたまにぎみたまくしみたまさちみたまなり。あらみたましんゆうなり。にぎみたましんしんなり。いはゆるけいこんにしていづの魂なみたまれば、いちいちばんばんかくえきれいのうあり。くしみたましんなり。さちみたましんあいなり。いはゆるこんにしてみづのみたまなり。そうじゅうだつざいれいのうあり。しかしててんいっぱんくわつぶつみなこんしょうなりともせざるはし。あらにぎこんかつどうかんぜんなるれいこんしゃうしていづみたまひ、くしさき二魂の活動完全なるれいこんを稱してみづみたまと謂ふ。しかして直靈なほひこんしゅさいし、完全なる活動をさしむる場合をしょうして、たまと謂ふ。おほもとのりいはく、「直靈魂なほひのみたまをしてますますひかうるはしきめの靈魂みたまさしめたまへ」とあるは、かくじん四魂をみがき、かみひとしき活動をすべき、御魂みたまとならむこといのるにり。ればいづ御魂みたま教祖きょうそげんていし、みづ御魂みたまきょうしゅげんていせるがごとかうするは、だいなるかいなり。各人みなすすんで嚴の魂、瑞の魂はおろめのたまの活用がところまで、みがげて、しんぎゃうされむことぼうするだいなり。


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天の数歌(あめのかずうた)

『天の数歌』-出口王仁三郎「霊界物語」より

○曲津見(まがつみ)の禍(わざわい)いかに強くとも 天の数歌宣りて祓へよ
○言霊(ことたま)の御稜威(みいず)畏(かしこ)く数歌の 光は神を永久(とわ)に生かせる
○真言の水火(いき)の言霊を 清く打ち出で願ぎまつる。ああ惟神(かんながら)惟神、生(いく)言霊に光あれ、わが言霊に生命あれ

○霊交(ひと)、活力(ふた)、体(み)、因(よ)、出(いつ)、燃(むゆ)、地成(なな)、弥(や)、凝(ここの)、足(たり)、諸(もも)、血(ち)、夜出(よろず)と 称(とな)えよ 天地(あめつち)
『感謝祈願詞 みやびのことば』より)

・ひと(霊交):一霊四魂/直霊(なおひ、良心神)と荒魂、幸魂、和魂、奇魂
・ふた(活力):真神のいとなみである陰陽二元により「八力」が生ずる。
・み (体 ):八力により、剛・柔・流の「三元」が生ずる。
・よ (世 ):泥海のような世界ができる。
・いつ(出 ):日月星辰(ひつきせいしん)や大地が誕生する。
・むゆ(燃 ):草木をはじめ、諸生物が萌えいでる。
・なな(地成):人類がうまれ、地上世界が成就する。
・や (弥 ): その世界がますます発展する。
・ここの(凝):充実安定をあらわす。
・たり(足 ):完成の域に達する。
・もも(諸 ):さらにもろもろのモノが生ず。
・ち (血 ):大造化の血が宇宙をくまなく巡り、生命力がみちる。
・よろず(夜出):生命発展の光明世界が永遠に開けていく。

○邪神(まがかみ)ならば、わが言霊に吹き散れよ。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万
→邪神が わが霊魂(みたま)に、わが精神(こころ)に、わが肉体(からたま)に居るならば、
  わが言霊に吹き散れよ。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、八千万
→曲津見(まがつみ)が この部屋に、この家に、(この○○)に居るならば、わが言霊に吹き散れよ。
  一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、八千万

○一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万の神集(つど)いませ、守らせたまへ

○一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万の神よ、生言霊の光 照らさせたまへ、惟神御霊幸倍(かんながらみたまさちはへ)おはしませ

○一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万と言霊宣らさへ

○一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万の栄えあれ、八千万の恵みあれ

○一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、千万(ちよろず)の神 この言霊軍(ことたまいくさ)に加はりたまへ、援けたまへ、守らせたまへ
→一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、八千万の神 集い給え守り給え
   この言霊軍(ことたまいくさ)に加はりたまへ、祓いたまへ、清めたまへ

○いろはにほへどちりぬるを わがよたれぞつねならむ
   うゐのおくやまけふこえて  あさきゆめみしゑひもせす
 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万の生言霊(いくことたま)の神光(みひかり)に
 御空(みそら)は 晴れよあらがねの 地(つち)は 乾けよ固まれよ
 百(もも)の草木もすくすくと 生ひたち茂り花ひらき 貴のつぶら実(み)なりなりて
 神々等(かみがみたち)の玉の緒の 生命の糧となれよかし

○一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、八千万(やちよろず)
 天津神達国津神、守らせたまへと願ぎまつる
 ああ惟神惟神 わが言霊に生命あれ  わが言霊に光あれ

○一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、八千万の神
 この館にひそみたる曲津鬼(まがつき)を、吾が言霊にくまもなく、亡(ほろ)ぼしたまへ惟神
  吾が言霊に生命あれ、吾が言霊に光あれ

○一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万、八千万の神
 わが精神(こころ)に、わが身体(からだ)に潜みたる曲津鬼を、吾が言霊にくまもなく、亡ぼしたまへ惟神
  生言霊(いくことたま)に光あれ、吾が言霊に生命あれ、吾が言霊に真言の火水(いき)の光あれ

○玉鏡(昭5年12月)
 病人に御取次する場合の言霊は
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、フルベユラ、フルベユラユラ」
  …と称ふべきである。フルベユラと云ふ事は、神を喜こんで歓喜して居る形かたちである。

 なお、「もも、ち、よろず」を唱えざること。



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大地の母 メモ1

『大地の母』は出口和明(出口王仁三郎の三女・八重野の孫)の小説で、出口なお開祖の生誕から昇天までを追います。大本教極初期の混沌が描写されています。内容そのもは「霊界物語」や「大本神諭」をベースにしていますが…。とりあえず、後学のためのメモです。


△『筆先の解読』より
 1896年8月30-31日、京都府綾部町と福知山で大洪水が発生、綾部で溺死10名行方不明2名、潰屋5家・家屋流出40戸・半壊43戸、対岸で流出16戸・半壊16戸・死者6名。福知山で流出家屋183戸・全壊88戸、死者200名余。出口ナオ開祖の兄・桐村清兵衛・妻てつ・娘ふち宅も流され、清兵衛は奇跡的に助かるも、妻子は溺死体で発見される。

 てつ・ふち はナオ開祖に批判的で、面と向かって「艮の金神」を嘲笑した。兄の家を尋ねて追い出されるように帰るナオは、兄夫婦に「姐さん、艮の金神さまは、縋ってくる者は餓鬼・虫けらまで救けて下さる。でも敵対うてきた者は、まさかの時に立て分けられねばならぬ。救けとうても、どうしようもないことじゃと…」と告げていた。妻子の死体を前にナオの言葉を思い出した清兵衛は慄然としたという。


△『オリオンの星』
 喜三郎(出口王仁三郎幼名)は、今、はっきりと木花咲耶姫の神格を悟っていた。
 富士の神霊なる木の花姫は智仁勇の三徳を兼備し、神・顕・幽の三界に出没、三十三相に身を現じ、貴賤貧富・老幼男女・禽獣虫魚とも変化しつつ三界の衆生を救済、地上天国建設のため天地人和合の神と現われ給う。仏者のいう観世音菩薩こそコノハナヒメだ。観世音菩薩を西国三十三箇所に配し祀るのも、三十三相に顕現したまう神徳をカンナガラ的に表示したものであろう。子供の頃から喜三郎が穴太寺の聖観世音像がむしょうに慕わしかったのも、こういう因縁があったからか。
 コノハナは木に咲く花、時にサクラの花と雅称される。古事記には「亦、木之花佐久夜毘売を使はさば、木花栄ゆる如栄えまさむ」とある。また梅の花の雅称ともいう。古今集に「なにはづに 咲くやこのはな 冬ごもり いまははるべと 咲くやこの花」、謡曲「弱法師(よろほうし)」にも「所は難波津の梅ならば ただこの花こそ仰せあるべけれ」などとある。

 喜三郎は、木の花は梅の花と信じている。梅の花を「花の兄」といい、兄を「このかみ」という。梅の花は節分をもって花の唇を開き、サクラの花は一月遅れて弥生の空にほころびる。桜の花にさきがかけて散る梅の花こそまさに「此(兄)の花」ではないか。


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大地の母 メモ2

△『妖魅襲来』
 喜三郎(王仁三郎)と四方平蔵が出張から帰ると、福島寅之助(開祖三女・久子の夫)が「艮の金神」(?)の神がかりを起こしていた。王仁三郎は寅之助を説得する。
「福島はんはどう思う。ほんまに自分が艮の金神やと思うのか?」
「腹の中からふき上がってくる声はわしそのものとは違うさけ、神さんに違いなかろ。神さんがわしに嘘つかせなはるはずはない。」
「そこがつけ目なのや。いつも言うとるように、神さまには正神も邪神もある。邪神は実に巧みに嘘で固めて世を乱すのが商売や。乱れた世の方が、奴らにはおもしろくて住みやすい。一律神様の光に照らされた公正な世がくるのを恐れとる。奴らの妨害も必死なわけじゃ」
「妙な言い方さらすな。ほんな何け、わしの神さんが、その邪神やと」
「おう間違いない邪神じゃわい」
「アホな事ぬかしより。わしはすまんけど、生まれてこの方、口が裂けても嘘をついたことはない。曲がったことはどだい承服できん男やど。このわしに、何が悲しうて、嘘で固めた邪神がかからんならんのやい」
「福島はん、確かにあんたは珍しい正直一途、誠一筋のよい男や。そやからこそ、妖魅はアンタに惚れこんでしもた。そういう男が隙を見せるのを、今までしつこう狙とったんや。世間から悪人とか不正直とか言われる信用ない人物に、奴らはめったにかからへん。善神の仮面をかぶって、いばって世に出たがっとるさけのう。
 福島はん、人間はあくまで人間や。人間以外の何物でもない。教祖はんに艮の金神がかかって筆先を書かせなはるが、それは、その肉体にその一時宿りなはるだけ。艮の金神そのものやない。たとえば、加賀の前田侯の定宿があって、参勤交代の途中に必ず泊まるとしょうけえ。けれど、その宿はやっぱりただの宿であって、前田候やあらへん。前田候以外の客も泊まるやろ(※1)。そういう理屈や…」


△『金明霊学会』
 1899年6月19日、綾部を訪れた田中善吉に対し、出口ナオ開祖
「私は筆先の筆をただ持つだけでござります。書かせてくださるのは、私にかかりなさる神さまですわな。艮の金神さまが世にお出ましになるとおっしゃるさかい、誰よりもそれを信じておるだけでございます。もしや艮の金神様のおっしゃることを聞こうと思いなさるなら、よその教会とはまるで違いますで。先生のありがたいお話のようなものはございまへんし、神様の言われたとおりをどんなことでもするという覚悟がいりますのやで」
 理屈ぬきに、ただ神命をなしとげる。善吉はとまどった。それにはよほどの信仰がなければとび込めぬ。たじろく思いでナオを仰ぐと、髪も目も頬も銀の炎が燃え立つみたいに眩しかった。都会の歓楽の巷にこそ喜びを求めてきた善吉には、今宵のナオとの対座くらい、場違いな奇妙な感じはなかった。ここに在る自分すら、信じられぬ思いであった。


(※1)
『大本神諭』 大正3年旧7月11日
<この大本は地からは変性男子と変性女子との二つの身魂を現はして、男子には経糸、女子には緯糸の意匠(しぐみ)をさして、錦の旗を織らしてあるから、織上りたら立派な紋様が出来ているぞよ。神世の意匠を知らぬ世界の人民は、色々と申して疑へども、今度の大事業は人民の知りた事では無いぞよ。神世へ出ておいでます神にも御存知の無いやうな、深い仕組であるから、往生いたして神心になりて、神の申すやうに致すが一番悧巧者であるぞよ。未だこの先でもトコトンのギリギリ迄反対いたして、変性女子の行状を見て悪く申して、神の仕組を潰さうと掛る守護神が、京大阪にも出て来るなれど、もう微躯(びく)とも動かぬ仕組が致して神が附添うて御用を為すから、別条は無いぞよ。
 変性女子の霊魂は月の大神であるから、水の守護であるから、汚いものが参りたらすぐに濁るから、訳の解らぬ身魂の曇りた守護神は傍へは寄せんやうに、役員が気を附けて下されよ。昔から今度の世の立替の御用致さす為に、坤に落としてありた霊魂であるぞよ。此者と出口直の霊魂が揃うて御用を致さねば、今度の大望は、何程利巧な人民の考でも、物事出来は致さんぞよ。>


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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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