スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大地の母 メモ1

『大地の母』は出口和明(出口王仁三郎の三女・八重野の孫)の小説で、出口なお開祖の生誕から昇天までを追います。大本教極初期の混沌が描写されています。内容そのもは「霊界物語」や「大本神諭」をベースにしていますが…。とりあえず、後学のためのメモです。


△『筆先の解読』より
 1896年8月30-31日、京都府綾部町と福知山で大洪水が発生、綾部で溺死10名行方不明2名、潰屋5家・家屋流出40戸・半壊43戸、対岸で流出16戸・半壊16戸・死者6名。福知山で流出家屋183戸・全壊88戸、死者200名余。出口ナオ開祖の兄・桐村清兵衛・妻てつ・娘ふち宅も流され、清兵衛は奇跡的に助かるも、妻子は溺死体で発見される。

 てつ・ふち はナオ開祖に批判的で、面と向かって「艮の金神」を嘲笑した。兄の家を尋ねて追い出されるように帰るナオは、兄夫婦に「姐さん、艮の金神さまは、縋ってくる者は餓鬼・虫けらまで救けて下さる。でも敵対うてきた者は、まさかの時に立て分けられねばならぬ。救けとうても、どうしようもないことじゃと…」と告げていた。妻子の死体を前にナオの言葉を思い出した清兵衛は慄然としたという。


△『オリオンの星』
 喜三郎(出口王仁三郎幼名)は、今、はっきりと木花咲耶姫の神格を悟っていた。
 富士の神霊なる木の花姫は智仁勇の三徳を兼備し、神・顕・幽の三界に出没、三十三相に身を現じ、貴賤貧富・老幼男女・禽獣虫魚とも変化しつつ三界の衆生を救済、地上天国建設のため天地人和合の神と現われ給う。仏者のいう観世音菩薩こそコノハナヒメだ。観世音菩薩を西国三十三箇所に配し祀るのも、三十三相に顕現したまう神徳をカンナガラ的に表示したものであろう。子供の頃から喜三郎が穴太寺の聖観世音像がむしょうに慕わしかったのも、こういう因縁があったからか。
 コノハナは木に咲く花、時にサクラの花と雅称される。古事記には「亦、木之花佐久夜毘売を使はさば、木花栄ゆる如栄えまさむ」とある。また梅の花の雅称ともいう。古今集に「なにはづに 咲くやこのはな 冬ごもり いまははるべと 咲くやこの花」、謡曲「弱法師(よろほうし)」にも「所は難波津の梅ならば ただこの花こそ仰せあるべけれ」などとある。

 喜三郎は、木の花は梅の花と信じている。梅の花を「花の兄」といい、兄を「このかみ」という。梅の花は節分をもって花の唇を開き、サクラの花は一月遅れて弥生の空にほころびる。桜の花にさきがかけて散る梅の花こそまさに「此(兄)の花」ではないか。


続きを読む

スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

大地の母 メモ2

△『妖魅襲来』
 喜三郎(王仁三郎)と四方平蔵が出張から帰ると、福島寅之助(開祖三女・久子の夫)が「艮の金神」(?)の神がかりを起こしていた。王仁三郎は寅之助を説得する。
「福島はんはどう思う。ほんまに自分が艮の金神やと思うのか?」
「腹の中からふき上がってくる声はわしそのものとは違うさけ、神さんに違いなかろ。神さんがわしに嘘つかせなはるはずはない。」
「そこがつけ目なのや。いつも言うとるように、神さまには正神も邪神もある。邪神は実に巧みに嘘で固めて世を乱すのが商売や。乱れた世の方が、奴らにはおもしろくて住みやすい。一律神様の光に照らされた公正な世がくるのを恐れとる。奴らの妨害も必死なわけじゃ」
「妙な言い方さらすな。ほんな何け、わしの神さんが、その邪神やと」
「おう間違いない邪神じゃわい」
「アホな事ぬかしより。わしはすまんけど、生まれてこの方、口が裂けても嘘をついたことはない。曲がったことはどだい承服できん男やど。このわしに、何が悲しうて、嘘で固めた邪神がかからんならんのやい」
「福島はん、確かにあんたは珍しい正直一途、誠一筋のよい男や。そやからこそ、妖魅はアンタに惚れこんでしもた。そういう男が隙を見せるのを、今までしつこう狙とったんや。世間から悪人とか不正直とか言われる信用ない人物に、奴らはめったにかからへん。善神の仮面をかぶって、いばって世に出たがっとるさけのう。
 福島はん、人間はあくまで人間や。人間以外の何物でもない。教祖はんに艮の金神がかかって筆先を書かせなはるが、それは、その肉体にその一時宿りなはるだけ。艮の金神そのものやない。たとえば、加賀の前田侯の定宿があって、参勤交代の途中に必ず泊まるとしょうけえ。けれど、その宿はやっぱりただの宿であって、前田候やあらへん。前田候以外の客も泊まるやろ(※1)。そういう理屈や…」


△『金明霊学会』
 1899年6月19日、綾部を訪れた田中善吉に対し、出口ナオ開祖
「私は筆先の筆をただ持つだけでござります。書かせてくださるのは、私にかかりなさる神さまですわな。艮の金神さまが世にお出ましになるとおっしゃるさかい、誰よりもそれを信じておるだけでございます。もしや艮の金神様のおっしゃることを聞こうと思いなさるなら、よその教会とはまるで違いますで。先生のありがたいお話のようなものはございまへんし、神様の言われたとおりをどんなことでもするという覚悟がいりますのやで」
 理屈ぬきに、ただ神命をなしとげる。善吉はとまどった。それにはよほどの信仰がなければとび込めぬ。たじろく思いでナオを仰ぐと、髪も目も頬も銀の炎が燃え立つみたいに眩しかった。都会の歓楽の巷にこそ喜びを求めてきた善吉には、今宵のナオとの対座くらい、場違いな奇妙な感じはなかった。ここに在る自分すら、信じられぬ思いであった。


(※1)
『大本神諭』 大正3年旧7月11日
<この大本は地からは変性男子と変性女子との二つの身魂を現はして、男子には経糸、女子には緯糸の意匠(しぐみ)をさして、錦の旗を織らしてあるから、織上りたら立派な紋様が出来ているぞよ。神世の意匠を知らぬ世界の人民は、色々と申して疑へども、今度の大事業は人民の知りた事では無いぞよ。神世へ出ておいでます神にも御存知の無いやうな、深い仕組であるから、往生いたして神心になりて、神の申すやうに致すが一番悧巧者であるぞよ。未だこの先でもトコトンのギリギリ迄反対いたして、変性女子の行状を見て悪く申して、神の仕組を潰さうと掛る守護神が、京大阪にも出て来るなれど、もう微躯(びく)とも動かぬ仕組が致して神が附添うて御用を為すから、別条は無いぞよ。
 変性女子の霊魂は月の大神であるから、水の守護であるから、汚いものが参りたらすぐに濁るから、訳の解らぬ身魂の曇りた守護神は傍へは寄せんやうに、役員が気を附けて下されよ。昔から今度の世の立替の御用致さす為に、坤に落としてありた霊魂であるぞよ。此者と出口直の霊魂が揃うて御用を致さねば、今度の大望は、何程利巧な人民の考でも、物事出来は致さんぞよ。>


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

大地の母 メモ3

大本教祖『出口直子傳』の第九章「内部の暗闘」、第十章「教祖の鞍馬詣で」、瑞能神歌/いろは歌(1)下の「鞍馬山」もあわせて御覧ください。


△『鞍馬山出修』
 1899年(明治32年)9月下旬、出口ナオ開祖の筆先に「出口ナオ・上田鬼三郎(王仁三郎)・四方春蔵を連れて行く先のない旅に出よ」という神示が出る。四方春蔵は19歳ながら霊力知識に優れ、王仁三郎の排除を何度も計画していた。堪忍袋の尾が切れた王仁三郎は春蔵を可愛がっている風に見えるナオに喰ってかかる。
「筆先は私の自由になりまへんのやで。神様のご命令ですさかい…」
「そやさけ合点がいきまへん。三千世界の善悪正邪を一目にお見すかしの艮の金神さんが、よりもよってなんで春蔵ばらをお供に加えはるのや。春蔵なんかと道連れになるのは、送り狼と同行するようなもんや。いつ寝首をかかれるか知れたもんやない。それを知って春蔵をと言わはるのは、表面だけつくろうて、要するにワシに行くなと言うことでっしゃろ。ワシは気をきかせて止めときますわ」
 ナオは王仁三郎の眼をじっと見た。その眼から金色の霊光が迸り出て王仁三郎を射すくめた。ナオの表情も声音も少しも変わらぬのに。
「先生、あなたは広い心で春蔵さんの罪を何度も許してくれなさったなあ。それでも『許す』ということは、どういうことですやろ。朝夕の神言で唱えるように、神様は人々の罪を聞き入れなさって、祓い清め、ついには持ちさすらい失いて忘れてくださる。無学でよう分りまへんが、神直日大直日に見直し聞き直すというのは、相手の罪をさらりと忘れてあげる心ではござりまへんか。それとも、先生は口先だけで許されて、春蔵さんの罪を数え立てていなさったんですかい」


△『鞍馬山出修』
 1900年(明治33年)10月1日(閏8月8日)―10月2日(閏8月9日)、出口ナオ・出口王仁三郎・出口澄子・四方春蔵・福林安之助は北野天満宮および鞍馬山を参拝する。北野天満宮で王仁三郎が菅原道真公と天神様の由来を説明していると、突然出口ナオが泣き出し、澄子(ナオの五女、王仁三郎の妻)は慌てて「あれ、母さん、なんで泣いてんですいな。道真という人は、こんなに立派に祀られとってやござへんかいな」と慰める。
「道真公でさえ、無実の罪を晴らされて、これだけ後の世までもお国から手厚く祀られておいでや。たかが人間が、じゃで。わたしは艮の金神様を思うて…くらげなす漂える国土を長い長い年月をかけて固められ、大地の世界をひらかれた国祖の大神さまが、八百万の神々の罪を一身に千座の置戸におうて、艮(ウシトラ)に押し込めなされた。それからの今まで、誰一人としてお供え一つする者がなく、そればかりか、悪鬼邪神とののしられ、祟り神やの、鬼門やのとただ恐れられるばかり。炒り豆にも花が咲く時節が参って、ようやくこの身におかかりなされても、もったいない・・・わたしに力と誠が足らぬばかりに。道真公の立派なおやしろを見ていると、艮の金神さまがおいたわしい・・・」
 王仁三郎は得意になって妻に道具の講釈などしていた自分の軽薄さが恥じられた。
「一日も早く、わしらの手で金神さまの立派なお宮を・・・」
「なんの、お宮など!」
 はじき返して、直はキッとなった。
「わたしは、立派なお宮が羨ましゅうて泣き言を言うとたのではありません。(国常立尊さまは)『どんな豪華な普請や宮を建ててもらおうとも、教会などに祀られるちっぽけな神とはちがう。教会は建ててくれるな。建てれば、何遍でも叩きこわして潰すぞよ』と云われます。世の中の立替え立直しが済みてから、世界中の者が寄って建てるまでは、お宮は一人一人の心の中に清らかに建ててくだされ」

 鞍馬山魔王殿で野宿した五人。夜半、福林は四方春蔵の体から火の玉が抜け出るのを見た。やつれて死期を悟った春蔵にナオは「春蔵さん。何があったかは知らんが、今があんたの命の瀬戸際です。こういう時こそ何もかも捨てて、神様に縋りなされ。あんたの生きる道は、何もかも捨てる。ただそれだけしかないのやで」と叱る。だが春蔵は死の床についてしまう。王仁三郎の命で見舞う福林に、春蔵は全てを告白する。

「神様は、わしの心の恨みを…その心につけ入ってかかった邪霊を知っとっちゃったんや」
「お前はわしらと違うて霊眼がきく。霊学の力は大したもんや。若うて頭がようて、人に羨まれる環境に育った男や。それだけ悟る力も、省みる心もあるくせに、何で素直になれんのじゃろ。あんなにも先生(王仁三郎)に逆らう気持ちが、わしには分らん」
 春蔵は、自分が澄子を愛していること、かつて春蔵と澄子の結婚話も出たが、王仁三郎の出現で全てが崩れ去ったことを告白する。
「何をやっても、あいつはできる。歯が立たん…それが口惜してなあ…。わしは知恵をしぼって邪魔した。憎い。呪い殺したいほど憎い。実際に何遍か呪い釘も打った。殺そうと計画をたて実行にもうつしたが、そのたびあいつには守護がつく。盤古大神(ばんこだいじん)の霊がわしにかかってきた時は嬉しかったでよ。『邪神でも何でもよい、わしに力を貸してくれい』と祈ったや」
「お前は、アホな奴や、春蔵!」 福林は病床の春蔵を揺さぶった。
「後悔なんかせんわいな。お澄さんを奪ったのはアイツや。アイツさえいなんだら…」
「止めてくれ春蔵。お前はいったい、何を信じとったんや。先生とお澄さんが結婚したのは、艮の金神さまの御命令じゃさかいや。御筆先にある通り、まちごうてへん。お前は艮の金神様を信じていたんやないのか、え!?」
「さあ、今となっては、わしにも分らん。大本の世継ぎになりたい、お澄さんの婿になりたい、なれさえすれば、どんな神さんでもよかった…力が欲しい、あいつを殺す力を…魔王はんにそう祈った…」
「春蔵、今からでも改心してくれ。お詫びはわしがしてやる」
「先生に許して欲しい。詫びられたら、どんなに楽やろ…。けど、わしの心に食いついとるもんが、今はもうわしを放さんのや」
「お前はまだ若いのやさかい、神様は必ず許してくださるわな」
「もうおそいでよ。鞍馬の魔王さんが、わしの魂を引き抜いて連れて去んでしもたのや…」
「しっかりしてくれ、春蔵! わしが抱いて連れ戻したのを忘れたのか。お前は生きとる…ここにほれ、ちゃんと生きとるんや」
 春蔵はかすかに首を振った。死人のように冷たい顔になった。


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

大地の母 メモ4

△『鞍馬山出修』
 10月下旬、四方春蔵は自分の死亡時刻を紙に書き、木箱に封じて家族に託した。明治33年11月13日午前9時、春蔵は19歳で死ぬ。自分の死期を悟り、それを書き置くことによって、自分の霊学の才能を王仁三郎にのみ誇示し、死を飾りたかったのであろう。春蔵宅にかけつけ死体を発見した王仁三郎は呆然となる。
-それが19歳の命をかけたワシへの最後の挑戦、お前の探求した霊学の到達点だと言いたいのか。お前は、それで満足か、幸せか。安らかに目をつぶれたのか。
 もの言わぬ骸の氷のような両手をとって胸に組み合わせてやりながら、王仁三郎は激しくなじった。
-何のための霊学やったのや。お前のためには霊学は命とりの凶器・・・慢心取り違いの末、我が魂を我が手で邪神どもに売り渡すとは…。
「許してやる、春蔵……その代わり、わしのことも許してくれ」
-この男に霊学を与えたのはわし。この男を心ならずも依怙地にさせ、邪道の泥沼に堕ち入らせたのもわし…常に傍らに引き付けて、ことあるごとにいましめようと努めながらも、ついに守りきれずに、青く未熟なままを散らしてしまった。・・・よし、肉体は我が手で滅ぼし得ようとも、魂までは殺すことはできぬ。春蔵よ、知っとるのか。日に背けば暗く、日に向けば明るいことを。愛と信真に満たされた光と熱の国はそこにあるのに。お前は、神にそむいてまで、なぜ地底の世界を選んで逝くのだ。
 これからの春蔵の永劫の魂の苦しみを思えば、暗然と嘆いてばかりはおれなかった。王仁三郎は心をはげまして、天の数歌を宣り上げ続けた。村人や信者たちが集まってきて、若い春蔵の死を悲しみつち、手厚い野辺の送りをすませた。しかし、彼らは春蔵の肉体の死を悼むばかりで、未来永劫にわたる春蔵の血みどろの魂の遍歴に思い及びようもない。

-お前は、子供みたいに、自分のことのほかは盲や。そやからお前にふさわしい霊がかかったのや。盤古大神を名乗るお前の憑霊は、今の世をつくりあげた側の神。自己愛(われよし)のかたまりの権化じゃい。愛する者のほんとうの幸せを祈ってやる大人の心がお前に分るか。春蔵、お前が頼るのは俺やない。日の向く方を見ろ。神様を思い出せ。何のために大本で修行したんや・・・。

「出口の神の因縁を知らずに、もう一つ世を盗みて世を持とうと思うて春蔵に生まれ、大将になろうと仕組みておるから、鞍馬へご苦労になりたのは、なかなか大もうな事でありたのざぞよ」(大本神諭 明治36年旧10月10日)

※盤古大神は、霊界物語においてイザナギの手の俣をくぐり出て太陽界から中国に降臨したシナの祖先神・塩長彦命とされる。日本の国常立尊に相当する温厚な神。四方に懸かったのは悪神が偽装した偽盤古だという。木星の神というから、ギリシャ神話ではゼウスとして顕われる。

△『弥仙山籠り』
 京都から綾部に戻る王仁三郎を護衛した侠客の山田重太郎に
「なにかの時には綾部に向かって手を合わすんやで。片意地はって男度胸を売り込むよりは、できれば堅気になった方が良いが、義理もあるやろ。すぐというわけにもいくまい。だがどんな時でも惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)を忘れたらあかんで。惟神霊幸倍坐世と念じる心はやな、神様の御心のままに神霊の幸福(さいわい)をたまわりませ、という意味や。大事なのは、惟神、つまり神のみ心のままにということ。人としての最善をつくした上で、あとはどうなろうとも神にお任せするという安らかな態度が、神に向かう人としての<まこと>や。己を無にすることも知らず、がむしゃらに利欲を願うても無駄。神さんはその者の召使いやない。

”心だに まことの道に かないなば 祈らずとても 神や守らん”という古歌があるやろ。それを引き合いに出して、己の無信仰を弁護するやつがおる。一面の真理やが、他面では大変な思い上がりや。心が、まことの道にかなうようになるために、まず人は祈る。神に心をふり向ける。『おれは自力で立派にやる。祈る必要は更になし』 強くて頼もしげに見えるが、神に日々生かされていることを知らぬ奴の言うこと。神床に向かって正座し型どおりの祝詞を奏上する。そこまでいかんでも、嬉しい時に手を合わせや。悲しい時にもや。道歩きながら、転びながらでもよいのや。惟神霊幸倍坐世という余裕がなかったら、惟神でもいい、神霊(かんたま)でも、神(かん)でもいい。その一念さえ通ったら、神様は守ってくれはる…」


醜の邪霊の重なりて今は九尾の本姿  

世界隅々またがりて組んずほぐれつのたうつる

姿は哀れ曲津神(まがつかみ)

物質界の曲津神  

狂人の如く振舞いて世は様々の相克ぞ

世の大本も散り失せて

月の輪台の影あわれ

お蔭信心なしいたる信徒も今ははなれ去り

真実の三千五百万 

残る教の幕開きは

此の時からと高熊の山の五十鈴や清水台

国常立の大神の岩戸開きはこのときぞ

固き厳に手をかけて振うて落す地獄道

現れ出でてゆさぶれば

一天にわかに掻き曇り矢を射る如く流星の

地球に向いて落ち来たる

大地一度に震動し

吼えば地軸の回転も止るばかりの大音響

物質浄土は忽ちに地獄餓鬼修羅場と化す

山は崩れて原野裂け人はあわれに呑み込まる

身の毛もよだつ凄まじさ


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

大地の母 メモ4番外編 出口王仁三郎「手向けの花」

☆『手向けの花』(“筆のしずく”第七の巻 第八十六“手向けの花” 明治36年9月)

 明治三十六年《旧》八月二十六日、出口の神[注:出口直開祖]の命令にて上谷へ霊魂祭や宮移しに罷り出たる事を記しぬ。流れも清き和知川の鮎の名所、末長き本宮山の麓なる並木松の傍に架けられたる大橋の其の長さ百二十間に余りて、高天原の浮き橋とぞ見るべければ、今この橋の上を、朱塗りの破れし日傘に所々膏薬張りの如くそくらいしをさして、三つ紋付きの木綿羽織に縦縞の袷に緒太草履を穿ちて、後よりは供の人と見えて年の頃は三十余り、その面さしは青白くして、髯はぼうぼうとして口の上下に不行儀に生え茂り、菅の破れ笠を被り古き草履を穿きて、恭しくも小脇に抱えし風呂敷包みこそゆかしくぞ見えにける。その後より又も一人、年の頃は五十の坂を越えたる、その顔の色は青黒く長く、いたづきの身と見えて身体は痩せ疲れながらも、漸く後に従いゆくなりけり。これなん綾部の高天原より、艮の大金神 出口の神の命を受けて、上谷村へ御霊祭・宮移しに罷り出んとする神の御使い出口の王仁三郎にて、一人は綾部の差し添えの中村竹蔵なる人と上谷の四方菊右衛門なりけり。
 三人は徐(おもむろ)に歩みを運ぶ中、早くも西原の反場を過ぎて一棟の空家の前まで進みぬ。ここは鷹巣と上谷へ至る近路との別れ路なりければ、王仁三郎は「鷹栖へ廻りて御供を為さしめ給え」と乞うる四方の菊右衛門を間道より先に帰らせて、其の身は中村竹造と共に山家村なる鷹巣の四方の平蔵の宅へ訪れんと、右なる道を歩みつつ、小阪橋を早越えて、進むは四方の住家なる門口にて主人に出会し、時の挨拶そこそこに、昇り口の床几に莚を敷きてしばし休らいつつ、やがて嫁殿より番茶と菓子の厚き振る舞いを有り難く受けつつ、主人の仕度も整いてここに三人は打ち揃い、造りさしたる新道の砂利の上をばとぼとぼと、上谷さして出で向かう。四方の平蔵 平素より少し眼力薄くて、それが為歩みも一足々々に捜るが如き有り様にして、出口の後をつけて行く。

 上谷村へ差し掛るや、二十人斗りの鍬人足共、道普請にて道も早七、八分まで造り上げて、傍らなる藁の庵に憩いつつ、中村竹造の異様なる服装を眺めて、呆れ果てたる顔に一面不思議を含みて、「彼は何物ぞ、山伏か気狂いか合点行かぬ」と皆口々に罵り合えり。やがて四方の宅に三人共恙なく着きにける。村内の者菊右衛門が門口に寄り集いて、叮嚀に出迎え且つその労を謝しにける。村中の者打ち揃いて盤古大神の鎮まる社を仕え奉れる最中なりければ、王仁三郎始め二人の者暫しここの座敷に休らいて、昼飯を頂きて四方山の話の中に、秋の日陰のいと短かくて早西の山の端に日輪隠れ給う。神への御礼も済みて夕餉をおわりける間に、村人は皆羽織に着換えて出で来たりければ、皆々打ち揃いてここに目出度く、盤古大神の霊魂を始めその他の諸々の御霊を一つの霊舎へ、王仁三郎神主と成りて鎮め奉りけり。その後にて中村・四方の二人の差し添えは、恭しく出口の神の御筆を頂きければ、村人慎みて拝聴す。続いて四方の差し添えは説教を始めける程に、皆その有り難きに感じ入りて夜の更けるを覚えざりき。
 王仁三郎は霊魂祭の事も済みければ、独り別間に燈火を点け休まんとする折しもあれ、今迄昼の如く光り輝きし燈火の光は、何となく薄暗く成り行きて、遂に一間の中は真の暗とぞなりければ、怪しく思いて唯黙然として谷川の水の流れの音に耳を傾けて、夜の更け行くを待つほどに、家の片隅より一つの怪しき物影の現われ来たりて、一陣の怪しき風、颯と吹き渡ると見る間に、王仁三郎が二つの頬辺(ほうぺた)を、冷ややかなる毛だらけの手にて力を極めて挟みければ、かねて覚悟の出口王仁三郎、「怪しき物こ御参なれ、今に平らげ呉んず」と、鎮魂の神業にて暫時が間、怪しの物影を縛りける程に、邪は正に敵し難く、怪しの物影は遂に煙のごとく消え失せにけり。
 されどいまだ一間の中の暗は変わらず、あやめも分からぬ暗がりに有々と姿を見せて、片隅より現われ出しは十五、六歳の童形なり。王仁三郎に喰い付かんとするを、此方は心得、「えい」と一声諸共に睨み懲らせば、怪物は朝日に露の消えるが如く消え失せにけり。怪しや、今まで暗かりし一間は元の如くに明るく成り行きて、燈火も元の如くに床の上に据えられてあり。これぞ正しく艮の大金神様より、王仁三郎が胆玉を試さんとして、心を引き玉いしならんと推し量られけり。王仁三郎立ちて四方の甚之丞を呼びて、暫しは側に待らしけるが、その後は何の障りも無かりけり。

 明くれば八月二十九日の朝日は早西山の頂を照らして、山の景色は綾部の布団被りて眠るが如きその風情、例えん物になし。含嗽(うがい)手水を使うて朝の御礼を済まし、朝餉も戴きて、王仁三郎は後ろの山へと踏み分けて、栗を拾いて楽しめり。村人は朝早くより宮屋形の建立に取り掛りて、力限りに働き合えり。四方・中村の二人の差し添えは神の話に心を籠めつつ、火鉢を中に坐り居る。
 王仁三郎つらつら思うよう。我始めてこの上谷の地に足踏み入れけるは、去んぬる明治三十二年七月の月出づる夜半のいざよいなりき。思えば早五年(いつとせ)の昔となりぬ。この里の腕白者と思いし童は早妻を迎えたるもあり、又大人びたるもあり。おぼこと思いし娘は早他所へ嫁入りて、村に在らずなりしもあり。我が子の如く愛しみたる教え子は、無常の風に誘われて、既に冥途黄泉の旅路に昇りて、早三年四年を送りぬ。この世の様を考うれば考うる程はかなく、頼りなきは人の身の行く末にこそ、只西も東も変わらぬものは山ばかり元の姿を保ちけり。
 まだ午後の七つを過ぎる頃なれども、四面山に包まれたる上谷の里は、最早山陰に覆われて夕景色の如くなりぬ。四方の菊右衛門が所に祭れる一つの白き霊社は、是ぞ王仁三郎が四年の昔に、我が弟子となし朝な夕なに教えの道に辿りつつ、愛しみたる花の莟の若者、十九の春を迎えたる四方春一が霊魂を納めたる霊社なりければ、唯さえ淋しき秋の空の哀れを添ゆるばかりなり。紅の涙を包みて、この霊社の扉を開きて一礼し、中なる一葉の写真を取り出でて、穴のあく程見守りつつ、悲歎の涙遣る瀬なく止め兼ねたる苦しみは、神より他に知る者ぞなし。
 その写真こそは四年前に春一が、かかるためしの有るべしとは神ならぬ身の知る由もなく、後の形見にせんとは夢にも知らずして、遥々と思いも深き黒谷の淋しき路を辿りつつ舞鶴まで行きかいて、自ら写させ帰りたる春一がこの世の形見の姿なりけり。その生々としたる眼元と、鼻筋のきっぱりとして、さながらこの世の人と思われず、口許は何か物言わんとして躊躇う如くに思われて、今にも写真の枠を抜け出でて、我が前に歩み来たらんずるその風情の愛らしさ、なつかしさよ。元は他人の我なれど、如何なる宿世の因縁の有りにけん、是程までに懐かしくて譬えがたなきものを、掌の中の玉とも愛でつついたわり養いつる垂乳根の、切なる思いは如何にぞよと思われて、暫しが程は物も得言わず、一葉の写真の姿に眼を注ぎて、袖の濡るるを覚えず、側に人あるをも知らざりき。
 せめては春一の亡骸を納めたる墓場に詣でて、心の手向けをなし我が胸の思いを述べんと、密かに四辺の人の目を忍びて、彼の春一が墓の辺りに辿り行けば、一基の碑には早苔の蒸して、右と左に建てられし花筒の柳も花も枯れ果てて、筒の中には花筒の灰汁が出てしか、雨水が半ば腐りしを名残りに留める計りなりけり。王仁三郎は直ちに谷間に通いて、筒を洗い清め新しき水を盛りて、又墓の両脇に元の如くに建て列べ、側なる椿の枝を手折りて左の花筒に挿し供え、塚の上なる木の葉の散り敷きて見苦しきを、手以て掻き集め払い清めつつ、墓前に膝突き涙に咽ぶ声を絞りて、傍らに人無きを幸い、しとやかに言いけらく、
「嗚呼 春一の霊よ、春三よ。如何に浮世の習いとは云い、かくも果敢なき事に成らんとは、我も汝も思い計らざりき、我は汝より年老いければ、我の墓前に汝の手もて、一枝の花なりとも手向けられん事をと楽しみし事も早水の泡、味気なき世の有り様や。思えば思えば、汝と我とは出口の神に従いて、『世の中の人の心は鞍馬山、神の教えに開く道哉』の三十一文字の御心に従いて、寒けき空を杖を曳きつつ共に難行なしつるに、今は一つの境に隔てられ言葉交わしも儘ならぬ。再びこの世にて対面は叶うべきに非ざれば、夢の浮世と諦めてよ。なれは正しき霊魂を持ちて、御国の為に我が望みを神界より助け護れよ。
 我が望みは他にあらず、勿体なくも、艮の大金神の出口の神の御仕組みせん事、之我が畢生(ひっせい)の望みなり。出口の神の大望遂げし上は、汝の墓場も繕いて万世までも汝が霊魂の誉れを輝かさんに、我が心を酌み取れよ。世の諺にも、“晨の紅顔 夕の白骨”とかや言うなる、実に実に短き人の宿世ぞや。今日は艮の金神 出口の神の御許しを豪りたれば、懐かしき汝が墓場に詣ずるを得て、思いの丈を打ち明けて、日頃の胸を晴らさんと勇み進んで来しものを、来し甲斐もなくなく、呼べども答えぬ頷きもせぬ唯一基の心を細き碑ぞ残れる。つれなき汝が墓場に来たりて、あこがるる我の心を察してよ」と、人目なければせき上げて涙止まる隙も無し。
「口さが無き腹黒き人々は、汝がこの世を去りしを見て心嬉しく思いけん。天の罰なり神の戒めなり、悪の酬いは忽ちにあの通りと、死人に口無きを附け込みて、心地よげに口々に誹るを聞く度毎に、我の心の苦しさよ。言えば言え、誹れば誹れ。天知る地知る我も知る。汝の自ら作りしにあらず、汝を覘(ねら)いし悪魔の仕業なりけるを、悪魔の罪を言わずして、汝に残らず罪をなすくり付くる事の悔しさよ。さは言え、やがて時節も来るべければ、汝が無実を雪ぐべき時ぞ来たりぬべし。
 我のこの度来たりしも、汝を覘いし悪魔等が尚飽き足らで、村人を苦しめつつ、汝が父母なる菊右衛門まで附け覘う心の憎さ。出口の神が計らいにて、汝が生前信じつつ盤古大神の霊魂を鎮め奉りて、曲津霊を縛り上げ改心させたその上で、盤古大神の配下に附けて汝が無実を雪がんとす。やがて汝が青天白日にならん事を祈りつつ有るものは、汝が父母と我のみならん、つれ無き人の憎らしさよ」と、生きたる人に言う如く、師弟の情の深き思いに沈みけり。

 何時までも歎き悲しみても果つべき事にあらざれば、やがて心を取り直し、恭しくも手向けの為に御禊の祓[注:天津祝詞]繰り返し、尚も中臣の祓[注:大祓祝詞]の祓の半ばまで宣りける時しもあれ、王仁三郎の後を尋ねて四方の平蔵・中村竹造の両人が、「先生ここにお在せしや」と言葉かけられ、驚き忙てて落つる涙を押し拭い、さあらぬ体に繕いて、三人は斉しく太祝詞を宣りおえたりける。二人の差し添えも墓前に一礼して、苔の花咲く春空の淋しき碑後に見て、菊右衛門が住家へこそは帰りけり。
 待ち設けたる村人は「仮社の作り上りければ、建てるべき清地を卜いてよ」と乞いければ、王仁三郎手ずから鍬を取りつつ大地の金神に祈願して、坂上荒神の社の右側に相定めたりき。後村人が手に手に唐鍬《持ち》、山こぼちもて地を均らし、遠方の谷間より石を拾い来たりて礎を固めなどしつつ、早くも社は建てられにけり。王仁三郎は隣なる四方仁平の縁先に腰打ちかけて想いける程に、仁平の妻のいしと云えるが、いと親切に柿の実を沢に採り来たりて、刃物さえ添えて餞しぬ。又栗の焼きたるをも振る舞いぬ。四方平蔵・中村竹造も夫婦の厚き心に感じ、一巻の祓を神床に上げて懇ろに礼を述べ、三人は四方の菊右衛門が宅へ引き取りにける。
 やがて暫く憩らいて、又お筆を拝しける折しもあれ、綾部の高天より村上房之助、息せき草履ばきにて入り来るを、王仁三郎早くも認めて「やあ村上来たりしか、何事なるか」と尋ぬれば、「別に大した事には候わず。先に足をすすいでお家に上げて貰うて、緩りと申し上げん」と言うより早く、手足を洗いて一間に通り、各(おのおの)に時の挨拶も済みて後 徐(おもむろ)に申しけるは、「今日は大本へ早朝より野崎来たりました故、密かに御報知に来ました。四方さんに今晩でも御苦労を仰ぎまして、神の御教えを諭してやりて貰いたいと存じまして、私の心で願い参りし」との事なりければ、四方平蔵は早速に諾いて、村上を先に綾部高天へ返しけり。
 程なく、盤古大神社を始め坂上荒神へ祓の祝詞上げ、目出度く祭りの事ども成しおえて、村人にも飽かぬ別れをなしにける。上谷よりは御供として四方の伊左衛門に四方の甚之丞・四方の熊蔵送り来て、黄昏過ぐる頃おいに竜宮館へ着きにけり。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。