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服部静夫『出口直子伝』(明誠館、大正九年)

 出口なお(直)開祖の末娘で出口王仁三郎聖師の妻、出口澄子教主は、こう述べています。

直開祖01

「そうや、わしが時あるごとに、むかしがたりをするのも、この大本ができあがった初発の御苦労をみなによく腹に入れてもらいたいからや。ここが天地の根本やからな。大本にあったことが、新しい神代の始まりやでな。それで綾部の龍宮館を世の大本と言うのやで、これはよう心の目を開いてみてもらわんならん。」(出口澄「花明山夜話 六」

 しかし、多弁で多作で雄筆家の王仁三郎聖師に対し、無口無筆の出口直開祖の伝記は少なく、彼女の姿を追うには王仁三郎、澄子、直日といった家族の追憶に頼るしかありません。このたび自分は近代デジタルライブラリーより第一次大本事件直前の大正時代に発刊された服部静夫著『出口直開祖伝』を公開することにしました。「霊界物語」や戦後発表された大本著作や伝記と異なるエピソードも含まれており、非常に興味深い内容となっております。なお、ネット公開にあたり一部旧漢字と仮名遣いを現代漢字・口語に変更、句読点を追加しました。オリジナルを参照されたい方は、上記リンクを参照してくださるよう、お願い申し上げます。


○自序
 クリストの母、サンタ・マリヤは云はずもがな、かの奥村五百子は、男装して戦塵の巷に『國のため心築紫の浦々を、出で行く先のあとは不知火』と、盡忠報国に身を捧げて将卒を慰めたり。東西古今を通じて、史上に女性の力の芳烈なる、いとど著しきものあり。
 されど、そはすべて、謙虚温柔なる美徳もて、盤根錯節を凌ぎし、純一無雑の心のみ。
 ここに、丹波の国に一女性あり、刻苦励精、ありとある苦難を一身に受けて、しかも、なほ狂はず、悲しまず憤らずして、ついに数千年埋没せる古神道の復活を謀り範を永世に垂れんとす、この女性、又も得難き無学の一婦人に過ぎざりき。
 しばらく、『大本教』と云ふを歇(やす)めよ。
 『大本教』を彼女より除き去りて、虚心坦懐、その数奇なる数十年の生涯を静観せよ。しからば、世人忽ち眼底火の如く熱し、光華燦然として心を照らし、朗なる秋晨、瑠璃紺の空高く、日輪の無邊際に輝くが如き、大歓喜大安心を得べし。
 まことに、これ近世の最も著しき奇蹟なり、人類の喜びなり、誇らずして何ぞ。
 『故に日本の最も驚嘆すべき産物は婦人である、勿論彼女等を作るには、幾千年も掛って居るが、此の長い時代が其の仕事を完成させたのであった。實に日本の婦人は、日本人と同じ種族に属して居ない位に立派である、恐らく斯る形の婦人は、今後十萬年位は、此の世に出現しない事であらう』と叫びし、ラフカディオ・ハーンをして、彼女にまみえしめしならば、何と云ふべき。
 この一巻は唯に黄泉の客、ラフカディオ・ハーンのみをして、狂喜せしむべきにはあらざるべしとなん。



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大本教祖『出口直子傳』 目録

☆大本教祖『出口直子傳』 目録

△自序

第一章 神格者の現はれ
△出口家の系統/名工政五郎の人と為り
△病夫に八人の子供/口では怒り心では泣き
△心盡しの一椀の酒
△災厄は災厄を生み

第二章 教祖神懸りの発端
△本田親徳翁の眼識
△突然無遊境に入る
△不可思議の瑞徴

第三章 獄舎生活の七十五日
△第一声に放った神示/一度に開く梅の花
△綾部焼けの嫌疑/三日間の絶食
△嫌疑晴れて坐敷牢
△母戀ひし有明けの月

第四章 教祖と金光教
△一萬冊のお筆先
△綾部の金光教會/七たび居を移す

第五章 神格者の結合
△奇蹟か挿話か/神を審判する人
△出口現教主の生ひ立
△神童か八ツ耳か

第六章 偉人か奇人か
△教主を迎えて
△透視か奇蹟か/先見の明
△二度目の會見
△日に出るお筆先
△神界の芝居

第七章 二代世嗣の逆境
△因縁ある身魂
△純子刀自の孝養/化物屋敷の噂

第八章 神霊島に出修
△冠島参拝/沓島開き

第九章 内部の暗闘
△留守中の出来事
△野心家の陰謀/出修前の紛擾

第十章 教祖の鞍馬詣で
△猿田彦の役目
△旅路の出来事/犬の攫合ひ/二人の陰謀者
△人は明日が大切/先で分かる

第十一章 元伊勢の神水
△産盥産釜の水取り/三つの怪火

第十二章 神と人のいきさつ
△開闢以来の珍事件/罰金取戻し談判
△嘘で堅めた術策

第十三章 教祖の恭儉
△全くの無學者
△困難のどん底/世が上り過ぎた/陰徳とは此の事

第十四章 岩戸隠れの一條
△其筋の干渉/山籠りの決心
△強て一夜の参籠/狒々と間違はる

第十五章 出修中の出来事
△皇道會の組織/稲荷下げ退治
△参籠事件落着

第十六章 二度目の沓島詣で
△日露戦勝の祈願
△沓島の荒行/神徳の淡水
△乙姫の出現
△露探の嫌疑/預言の實現
△最後の出修
△教祖の帰幽

第十七章 日常訓のお筆先
△洗簡な大冊敷/おふでさき(壱)
△おふでさき(弐)


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第一章「神格者の現はれ」 出口家の系統/名工政五郎の人と為り

○第一章 神格者の現はれ

△出口家の系統

 昔からの傳説でんせつで、今も人の口端くちはに上る大江山の酒呑しゅてん童子どうじと、つぶの大きい中身の充実したくりはと云えば、丹波栗たんばぐりを連想するが様に、是等これらのものは、山嶽さんがく四周地ひくき所すなわち丹波の国にける二つの名物として数えられて来た。しかるに明治年代に至って、ここもっとも意義ある名物の一つが加えられた、それは、同じ丹波の国は綾部あやべ町なる皇道こうどう大本おほもとの教祖たる出口でぐち直子なほこ刀自とじの出現である。
 人か、神か、また化物か、いでやれより筆を大本教祖の行蹟こうせきに染め、あわせの不可思議物の正體しょうたいうかがひ見よう。

 刀自は天保てんぽう七年十二月十六日、丹波国福知山ふくちやま町士族 桐村きりむら五郎三郎ごろうさぶろうの長女として生れ、家兄かけい清兵衛せいべゑと呼び桐村家を相続した。後刀自がはな恥かしい妙齢みょうれいの時に、の祖母にあたる綾部町あざ本宮出口家に幼女としておもむかれた。元来、出口家はれきとした系統の家柄で(※1)、今の伊勢大神宮が、丹波の元伊勢もといせから山田へうつされた時、常にの神宮奉侍ほうじの任に當ったのはすなわち出口家の分家であった。現に本家出口家の子孫のわかれは、元伊勢及び綾部附近に分布されて、いずれもさかえに栄えて同姓を名乗るものが少なくないのを見ても解る。一節には伊勢山田のイツキ出口イツクチの省略であるとさえとなえられて居る位で、ぼ出口家の由緒ある所をることができる。


△名工政五郎の人と為り

 安政二年三月十五日刀自とじが二十歳の春に、同家に養子として大工政五郎まさごろうを迎えて華燭かしょくてんげた。忌憚きたんなく云えば、良人おっと政五郎は性きわめて恬淡てんたんで、家事に頓着とんちゃくなく常に酒をたしなんだ。しか大工だいくとしての技能に至っては、ほとんどの類例を見ざる程のえた腕を持って居たのであるが、の種の人々の常習として、気に向けば一心不乱に仕事に熱注し、気乗りがせねば何時いつまでも経っても手を着けぬと云ふ程の変物かわりもので、それに酒の気がなければ半時も過ごされぬと云うのが性質であったから、金が有れば飲み、無くなれば先祖伝来の田地家屋に至るまで酒に代えて飲んだのであった。心性しんせい脱落だつらくたる人だけあって、る時のごときは破れ屋を改築した紅殻べにがらぞめ瓦屋かわらやに建替え、其処そこみ込んだ時、

  稲荷のやうな家建てて
     鈴はなけれど内はがらがら

 と狂歌をんで超然とすまして見たり、それも束の間れも徳利とっくりの中味と換え酒代のつぐないとして人手に渡して仕舞しまい、なほも恬淡振りを発揮した。初日の出若水わかみづみ雑煮餅を祝う元日のあかつきも、まさに二三日にせまらんとする時

  隣には餅く音の聞ゆれど
      我は青息吐くばかりなり

 うした生来の無頓着は、西鶴さいかくの中に出て来る人物にも似てゐる。家計の窮迫きゅうはくは言はずも知れて日につゐるのみ、住家すみかと云えば名ばかりの破れ屋 政五郎はそんな事に気を置くほど人間苦を知らぬ。住居を三遍さんべんまで売飛ばして、時折には瓢箪酒ひょうたんざけに弁当持ちで、今日は村芝居、明日は花相撲と近郷をあるき、連れがければ家を外に数日も帰らぬことも度々たびたびあった。遂には売食うりぐひするにも布切ぬのきれ一つもない破目に陥ちて行った。


(※1)
○出口王仁三郎「歴史談片」 月鏡(昭4/2)

 百人一首の最初の歌、かの有名なる

 秋の田の刈穂かりほいほのとまをあら
  わが衣手ころもでは露にぬれつつ

…と云ふのがある。天智天皇のお歌と云ふ事は三才の童児も知って居るが当時天皇は政変のため難を逃れて那須野なすのをさまよはれた。いとかしこき事ながら、行き暮れて宿りたまふよすがも無く御痛ましき事ながら野宿のやむを得ざるに立ち到られたその時のお歌である。刈穂の稲のかけわたしたる下にて露にぬれつつ一夜を過させたまふた。稲のとまは荒くて露を防ぎまゐらすに足らなかったのである。後醍醐ごだいごみかどが、笠置かさぎの山の松の下露、花山院かざんいんの石の枕にたぐひて、いとかしこき御製ぎょくせいである。
 西行さいぎょう法師と云ふ人は、大層歌の上手のやうに人は思って居るが、大変下手な歌の詠み手であった。詠んで出しても選に入らぬので、月を眺めつつ痛く歎息たんそくした歌が、かの有名な、

 歎けとて月やは物を思はする
  かこち顔なる我涙かな

…の歌である。それが思ひもかけず百人一首の選に入ったのである。それからだんだん上手になった。百人一首の歌でも最も重きを置かれて居るものは

 此度このたびぬさも取りあへず手向たむけやま
  もみぢのにしき かみのまにまに

…と云ふ管家かんけの歌だ。
 山陰やまかげ中納言は丹波たんばの国、きりしょうに住んで居られたので後裔こうえい遂に桐村きりむらを名乗らるるやうになったのである。すなわち開祖様(出口なお)の御実家の祖である。本宮ほんぐうやまはもと『本居山』と書き、ホンゴ山とたたへられて居た。そして豊受とようけ大神おほかみ様を御祭り申上てあったのであるが、それが後世、比沼ひぬ真奈井まないにお移りになつたのである。
 開祖様の母上は足利あしかが尊氏たかうじの系統をひいて居られる。尊氏と云ふ人は舞鶴線の梅迫うめざこ駅の附近、七百石と云ふ所に生れたので、初産湯うぶゆの井と云ふのが残って居る。亀岡在に篠村しのむら八幡宮と云ふのがある、足利尊氏ががんをかけて武運の長久ちょうきゅうを祈った神様で、この神様が尊氏を勝たしたといふかどで、ほかの神様はどんどん昇格しても、この八幡様だけはいつまでたっても一向いっこう昇格せぬ。
七福神しちふくじんのお一柱、昆沙門びしゃもんてんと云ふ方は武甕槌たけぬかづちの神様の事である。

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第一章「神格者の現はれ」 病夫に八人の子供/口では怒り心では泣き

△病夫に八人の子供

 打たなくてもひびくは悪評判、んな時でも刀自とじは、遊湯ゆうとう三昧ざんまいの良人に対して愚痴一つもこぼさず、八人の子供をよういたわりつつ、
『夫があると思へば腹も立つであらうが、後家ごけに相談相手があると思へば結構なもので……』
 と軽いあきらめのうちにも常に心を緊張してゐた。運の悪い時には厄病神やくびょうがみ軒下のきしたに執着して動かぬと見え、良人がひさしりで、出入先の普請ふしんの建前の仕事に行った時、其の日どうあやまったものか、ひさしから真逆様まっさかさまに墜落して非度ひどい怪我を受けた。それがもとほとんど慢性に近い酒毒しゅどくも手伝って中風症におかされて仕舞った。爾来じらい三年と云う長いあいだ身動き一つ出来ず、全く自由を失ったからだとなった。いたづらに病床に呻吟しんぎんして、飲酒は変じて薬餌やくじに親しむ事となった。
 働き盛りの良人が病床の人となっては益々ますます一家を暗くし、刀自は頑是がんぜない多くの子供を擁して悲歎ひたんの涙に暮れた。一家の切廻きりまわしは刀自の双肩そうけんに降り、良人の長患ながわずらいに汚れ放題になる着物の洗濯は勿論もちろん、第一子供等の養育上の苦心は、決してなまやさしい事ではなく、ただただ手足をらしてたちはたらくより外にみちはなかった。かつて刀自が饅頭まんじゅうに手伝いに行った時の経験のあるをさいわいとして、ささやかな饅頭屋の商売を始めた。の日ぐらしの貧しい生活者に、もとよりたいした資本金があるではなし、っとの思いで遣繰やりくり算段さんだんして、一日わずか二三升の米を粉にいて饅頭の種をつくるまでにけた。其の結果りょうおいても質に於ても貧弱な売上げ金はんのしにもならぬが、づ何より先に病夫の薬餌料と養育費にてねばならぬ。其の間の苦心は一通りでない事が想像される。
 で名高い綾部の土地、蒸しえる様な真夏のよいの口から襲って来る蚊の群れのめに、刀自は蚊帳かやの代りに蚊遣かやりをいて病床の良人をいたわり、臺所だいどころの仕事も大方おおかた片づくと、一人の子を背中に負ひ、一人の乳飲み〔現代注:出口澄子すみこのこと〕をふtころに抱いて、そろそろ明日のくらしの料となる饅頭種の粉を挽きに取り掛らねばならなかった。終夜の為めに手と云はず足と云はず赤く刺されてかゆみも一倍であった。

 夏の夜は明けやすく、いぢらしい三女の久子ひさこ〔註:後日、福島久子〕は朝早く眼をまして
『お母さん、それでは行って参ります』
 と小さい箱に饅頭を入れて門口かどぐちびしく立った時、刀自も流石に涙を飲んで
ひさちゃんは、今に母さんが幸福にして上げるから、何事も辛棒しんぼうしておれ』
 と軽い慰めをあたえた。病床によこたわって居る良人はただ感涙に枕を濡らすのみ、何んたる寂びしい会話であったろう。
わしが悪かった、許してれ、皆私の罪だ、このまま死んでは浮かばれない。屹度きっと快くなって真面目に働かこう』
『何も心配する事はありません。少々しょうしょうお金がかかっても早く癒さなけりゃ』
 と凛々りりしい刀自の口調は、ただただ良人に安心をあたえるためである。


△口では怒り心では泣き

 遊び盛りの物慾しい時代である三女の久子は、今日も今日とて饅頭売りに出掛けて行った。路傍みちばたで見知らぬ人からは
『お前、何處どこの娘や、政五郎さんとこの娘か、面白い人の娘やな、お前さんのお父さんとお母さんはまるでヒョットコみたやうな夫婦やな、二人の気質が天地の違ひやな――』
 うした言葉をかけられた時に久子は、あざけられたのか、それともめられたのか、頑是がんぜない子供心には判断するだけの力がなかった。成程なるほどヒョットコみたやうな見当の取れぬ夫婦生活であったかも知れない。それを善意に解するすべを知らない少女は、唯々ただただしくしくと泣くのみであった。
 たかの知れた饅頭売り位では、到底とうてい一家十人の糊口ここうを過ごされたものでない。夜も遅く、それもほんの形ばかりの夕餉ゆうげぜんに寂しくついた時、無邪気な子供達が
『お父さんさえ死んでれたら、こんなにお母さんに苦労をかけんでも済むものにな』
 ああ、何たる言葉ぞや、これが頑是ない子供の眞個ほんとうの望みか。よくよくの事である。のどん底に沈んでゐる暗い貧しい人々のむれにあって刀自は何を思案したのか。凡人ぼんじん浄土じょうどだ遠い。身を切られる様な苦痛を耐え、心に泣いても刀自は
『お前さん達は、何んと云う邪慳じゃけん心根こころねを持って居るのや、世話するものがいたら、世話されるものは死ぬと昔から云うてあらうがな。たとえの後十年二十年と病気が長引いても、どないな苦労があらうとも、大事に看病せにゃならんさかい』
 と心を鬼にして、いやでも小さい子供達を叱らねばならぬ刀自の心苦さ、すべてを忍従して行かねばならなかった。
 命懸いのちがけでも饅頭売り位の利得では、到底生活費の一部を得る事が出来ない。今度は寸暇すんかいて、慣れない事ではあるが、襤褸ぼろや古物買いを兼ねて出て歩かねばならなかった。朝は東の空のしらまぬ内、夜は星をいただいて帰る、特に丹波たんばおろしの寒い風が吹き荒む粛殺しゅくさつに、綿気のない薄着物素肌足すはだし冷飯ひやめし草履ぞうり穿いて近郷の村から村へとめぐり、又夜更よふけの寂しい暗い町まで、疲れた足を運ばねばならなかった。
 しおれ行く木の葉下みちを疲れ切った刀自の足取りが、我が破れ屋の門口に近づけばと力づき、一日の労働の後の快い疲れをさえ覚えさすのであった。



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第一章「神格者の現はれ」 心盡しの一杯の酒

△心盡しの一杯の酒

 これとてもだ未だ生計くらししには追いつく沙汰さたではなかった。此の上なお糸引きにも出掛けたのであった。くして手足の動く限り有丈あるたけの労力をそそいで、わづかの賃金を手にして家に帰って見れば、じめじめした暗い病室の中に、蒼白い半身不随の良人を取り囲んで居並ぶ我が児は、餓におののき寒さにおびかされてゐるのである。
『母さん、帰った、母さん、帰った』
 と刀自とじが汚れた足を洗う間もあらばこそ、左と右から母のそでに追いすがり、食に飢えたる余りふらふらとまろぶ児を抱き起して、づ病床の良人に挨拶の言葉をかける。室内の見るもの聴くもの、凡てが、刀自の胸を暗くふさいで仕舞しまふ。
 綿わたのように筋肉をいためて、其の日一日に得た僅かな賃金の一部をいて、切めては子供等の笑顔の一つを観るを楽みに買取った一袋の駄菓子だがし、それが、破れた風呂敷包から取出されたとき、そこは子供心の頑是がんぜなさに其のよろこばしそうな顔を見て、又も涙に言葉も曇るのであった。

 既に良人が病床に就いて二年有半、病勢は刀自とじの心づくしの手厚い看護も効を奏せず、益々昂進こうしんしてくばかり、最早もはや本復の望みの綱もたれんとして来た。刀自は自分でも訊ねて見た。
『どうせ、全快の出来ないものとすれば、せめては、せめて、此の世の飲みおさめに、良人が平素ふだん好物な酒の一杯もしんぜよう』
 と唯一の商売道具であったはかり抵當ていとうに五銭の金を融通ゆうづうせんものと試みたが、如何いかにせん、人情紙の如しとは云ひながら、人々は相手にしてれず、飢餓の境に漂って僅かに生を持続してゐる一家に対して一銭の金も融通をして呉れなかった。貧しくみにくく生きて居る彼等の疲れ切った面差おもざしに、高ぶった瞥見べっけんくだすのみであった。刀自と彼等の間にはいたはしいみぞは早くも深くきづかれて、美しい人情の花園を冷たく固く閉ざしたのであった。世が不平等であるからこそ、富者と貧者とは合する事の出来ない平行線か、宇宙の力でこれをどうすることも出来ないか、どれほど富みさかえし者も、貧しい者に対して尊大であるべき何の権利も持たないのに……。
 刀自は今やれまでなりと、勝手の隅からますを取り出してわずか三銭で売拂い、良人の唯一の慰めにと一椀の酒を奨めたのであった。

 爾後じご良人は愛妻のの手厚いこころづくしに感激して、常にの後姿を拝んで落涙らくるいむせんだと云う事であった。刀自の至誠、いまだ天につうぜざりしものか、其の甲斐もなく良人おっと政五郎は遂に明治十八年春も未だ浅い二月八日丹波たんば嵐の夕暮れに六十一歳を一期いちごとしし幽瞑界に旅立った。時に刀自は丁度ちょうど五十歳であった。



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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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