出口澄子著作目録

出口なお開祖五女、出口王仁三郎聖師の妻として国常立尊様と豊雲野尊様の三千世界の立替・立直しの経綸に尽力した出口すみ子(すみ/澄/澄子)大本二代教主、愛善苑二代苑主。彼女の使命は早い時期から神様により宣言されていました。

大本神諭「明治32年旧6月10日」
 直(なお)の御世継ぎは末子のお澄殿であるぞよ。因縁ありて上田喜三郎[注:出口王仁三郎聖師の本名]、大望な御用を致さすぞよ。さる代りに御大将に致さすぞよ。この御ン方を直の力に致すぞよ。この御方ありたならば、直は大丈夫であるぞよ。この事は艮の金神が経綸いたしてある事じやぞよ。この誠の御用を聞くのは、真心の気の綺麗な御取次でないと、誠の事はいたさせんぞよ。上田殿にはエライ苦労は致させんぞよ。八人は産みの御児なり、総生みの児より結構じやぞよ。

厳霊・国常立尊様がかかられた出口直開祖。瑞霊・豊雲野尊様&素戔嗚尊様の分霊たる出口王仁三郎聖師。三千世界の大気違/大化け物とされる御二人に比べると、出口澄の存在は無視されがちです。しかし彼女がいなければ王仁三郎聖師が大本に落ち着けるはずもありませんでした。厳霊と瑞霊の接着剤の役割を果たした澄子教主の著作からは、王仁三郎聖師の著作(霊界物語を含む)や回想とは違った直開祖と王仁三郎聖師の姿が見えてくるのであります。

☆出口すみ子『花明山夜話』
「(二)」 、 「(三)」 、 「(四)」 、 「(五)」 、 「(六)」 、 「(八)」 、 「(十)」 、 「(十一)」 、 「(十二)」 、 「(十三)」 、 「(十四)」 、 「(十五)」 、 「(十七)」

☆出口すみ子訓話・教示集
「心にともした灯」(昭和22年12月8日、新生記念祭)
「要のご用を -新苑主就任に際して」(昭和23年2月4日節分祭)
「世の中に鑑を出そう」(昭和23年5月)
「開祖 沓島ごもりのこと」(昭和23年8月15日、瑞生大祭)
「世界和合の機を織る」(昭和23年9月)
「見当のとれなかった方」(昭和23年10月3日、開祖大祭)
「一切はお土から」(昭和23年12月8日、新生記念祭)
「弥仙山参拝の折のお話(要旨)」(昭和25年6月13日、旧4月28日)
「心をそろえて一つの世界を」(昭和25年7月1日)
「女だから出来たご用」(昭和25年8月25日、愛善婦人連合会委員総会)
「大苦難の乗りきれ-みろく殿の建設を」(昭和25年8月25日、瑞生大祭)
「“しっかりせよ!” ―世界の檜舞台は皆の心一つ」(昭和25年10月9日、於・天恩郷西光館)
「無  題」(昭和25年10月15日)
「立直しの初期時代 ―七福神の楽遊びのこと―」(昭和25年11月11日、大本大祭)
「三位一体の御用」(昭和26年1月19日、聖師三年祭)
「真のご用は梅花運動」(昭和26年8月14日、瑞生大祭)
「聖師さんとわたし」(昭和26年8月)
「開祖さまをかがみとして」(昭和26年11月)
「開祖ご昇天当時の思い出」(昭和26年11月)
「人間のすることではない」(昭和27年1月)
「浮沈の六十年」(昭和27年2月)
「節分と甘酒の由来」(昭和27年2月)
「尽きぬ思い出 ―開祖さまのことども―」(昭和27年4月)


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出口澄「花明山夜話(二)」

○出口すみ子「花明山夜話(二)」(教示集 「木の花」昭和25年5月号)

[前略]

乕雄「先月号の花明山夜話は何べん読んでみても面白く、読みやすくて少しもあきませんでした。お母さん[注:出口乕雄、旧姓・田上虎雄 は王仁三郎夫妻次女・梅野の婿]の話が惜しいところできれていて残念でした」
澄子「おまいらわしのあんなあほなことまで書いてくれて……。しかしわしも先生(王仁三郎聖師)といっしょで、てらいごとのないのが好きやで、読んでもらって面白かった」
乕雄「お母さんのああいう話しぶりが、ここの教えを親しみやすくするのですよ、世間の人があれを読むと、いい意味でちょっと面食らうのではないかと思います。」
山本「そうです、まだまだ社会では愛善苑[旧]を古い世評の枠にいれて見ていますから、あれを読めば自分たちで考えていた宗団とか管長とかいう見方が愛善苑にあてはまらないことを感じて親しみを持つと思います。」
乕雄「あの終わり方のうた “紅いべべ着て紅じょじょはいて”は読んでいるうちに自然に肥えが出てリズムがわき、明治初期の日本の児童、自分達の母の時代を思い出しました。」
澄子「わしはああいうかわいいところもあったし、またわしは子供のころは小さかったが、ごんたでははりきっていたのや。袂に石ころをいれてな、だれでも彼でもコツンコツンとたたいてまわった。」
山本「私はいつも二代さまの幼語り(おさながたり)をきくと絵本の桃太郎を思い出すのですよ。今ごろの子供にはあのような元気な子供はおりませんな。」
澄子「昔でもわしのようなのは類がないが、しかし昔は大体乱暴なことが多く祭りの神輿をかついでも、ふだん憎まれている家は半潰しにあわしたものやで。わしの子供の自分は昼間は教祖さま[注:出口なお開祖]が留守やったので好きなことをして遊んだが、中でも芝居が一番好きやった。近所の子供を集めてきて顔を塗って上手にしました。」
乕雄「聖師さまも回顧歌集で芝居をして遊ばれたことを歌っていられます。
   人間は皆本能的に芝居に興味があるのですね。大人になってもこの芽は強く潜在しています。」
澄子「それはわしばかりじゃない、だれでも芝居は好きや。教祖さまは神懸りになられました後で、神様に『ここは仕舞を舞うようになるのやから』(※1)と教えられて、神様が指導(てびき)で仕舞を舞われたことがあります。これからはここでも芝居は盛んになるし、盛んにせないかんのや。」
乕雄「いつかお母さんから大本では幕なしの芝居がかかるようになることを神様がおっしゃっていると聞きましたが、しかしいくら神様がそういう契機を送られても、芝居は人間がやるもので、我々が手をこまねいていては実現できないものです。これらの神約はやはり人間の努力の上に現れてくると思うのですが、どうも“われ笛吹けども友ら踊らず”で、現在 木の花座(当時の芝居劇団)に対して陰で下馬評はしても、積極的な理解はないのです。」

澄子「そりゃあ、そんなことはどもならん。わしはこのごろ思うとるのやが先生の楽焼[注:耀盌のこと]なぁ、あれが本当の如意宝珠やったのや(※2)。わけのわからんことをどったらこったら聞くのは前から好かんのやが、わしは近ごろ神様の話をしているより機(はた)を織っている方がたのしいのや。」

乕雄「教祖さまも大本の理想のあり方について言ってられますように、大本は奥山のようにひっそりした静かなところにならねばいかんという――私はあの言葉が好きでして、あの言葉から今後の行き方について深い教を受けるのです。同じ筆先の言葉でも『あれでならこそ』という言葉(※3)は私にはどうも意識的なものに響いてくるのです。あの奥山のような静かなところという言葉、そういう姿を早くここに実現したいと思うのですよ。今お母さんのいわれていた静かに機織りをなさっておられたいというお気持ちと同じことで、これが実現するようにさしていただかねばならんと思うのです。」
澄子「そうやで、とにかく、足元が大事やでなぁ。足元から直さないかん。教祖さまの御苦労を思う気持ちが今は少し薄れている。今は今でよいところがあるが昔の静かな親しさがなつかしい。…金沢はどうやったなぁ。」
乕雄「宗教博覧会ですか。嵯峨(保二)さんを中心にして皆さんが実によく結束されて一生懸命でした。嵯峨さんも上着をぬいで会場につめきりで陣頭指揮というところで、他の人はにわか大工もやるし、看板塗りもして大車輪の活躍でした。」
澄子「それでほかの会場と比べてどうやった。」
乕雄「それはこちらが段違いに光っています。あちらの会員の人の今度の博覧会に打ち込んだ誠が会場に満ちみちているのですな。歩いて見て、とにかくうたれますよ。」
澄子「そうでも他の団体は古い歴史を持っているし、こちらは新世帯やで心配しとったのや。それでわしはふと思いついて大本というところは世界の型を実地にさせられるところやで、昭和十年の事件、あれも写真だけ並べたんでは人にわからんでな、それであの月宮殿の仁王さんの首(※4)とか伊都能売観音(いづのめかんのん)さんの首なぁ、あの手足をバラバラにされた首を持っていって実地を見せたら分かるやろうと思ったのや。あれくらいこっちが無茶な弾圧を受けた証拠になるものはないで。しかしこわいもんや。ほとんど日本があの通りになった[現代注:日本を象徴する戦艦「大和」の最後が象徴している]。
乕雄「そりゃ実際あれを見たらだれでもこたえますよ。あれを送っていただいたので、むこうの人は大変喜んでいました。お母さんの今度の博覧会へのそういうお気持ちが非常に力になりました。」

[後略]

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出口澄「花明山夜話(三)」

○出口すみ子「花明山夜話 (三)」(教示集 「木の花」昭和25年6月号)

[前略]

乕雄「松江の方はいかがでした。」
澄子「行くたびによくなっていて、本当にうれしいことやった。」
乕雄「お母さんはこれまでにも出雲はよく行かれましたですね。」
澄子「二十何回も行っているやろう。私が初めて出雲へ行ったのは、今から四十九年前で、開祖様、聖師様、それに役員を入れて十六人やった。私の十九の時でな、旧暦の五月やったと思うが[注:1901(明治34年)7月1日(旧5月16日)綾部出発、7月12-13日にかけて出雲大社参拝]、その時初めて夏蜜柑を食べて、おいしかったのをおぼえている。」
乕雄「そのころはまだ汽車がなかったのでしょう。」
澄子「そうや、ご開祖も、聖師様も、十六人の役員もゴザ、笠、脚絆で歩いて行ったのや。水色の地に十曜の紋の羽織を着てな、皆がそろいの姿でした。神界から『出雲ノ消エズノ火ヲ受ケ取リニユケ』という仰せで行ったのやが、わしは何のことか分からなかったが、あの時は初めての遠い旅で思い出深いな。」
乕雄「徒歩ですと、ずいぶん日数がかかりましたでしょう。」
澄子「二十日もかかってな。初めての晩は福知の下の養父(やぶ)で泊まったが、いまから思うと“ばくろ宿”やった。その時みんな風呂に入っていて、私一人部屋に座って一服していると、私の前に二十二、三くらいの美しい女がいてな。ちょっと人をひきつける美人で綺麗な女やなぁと見ていながら、もしこの女の肌に入れ墨があって、女の盗人やったら恐ろしいなぁと思うた。それから夕食後、私は厠へ行った時、その女が風呂へ入っているのが見えて上半身を見てしもうたが、見事な入れ墨をしていてな、わしはさっき感じたこととピッタリ合うたので、帰ってそのことを先生に話すと、先生も『今晩はだれも警戒せい』と言うちゃったが、次の朝、その女は役員さんから改心せいと云われていたが、「実はわたしはあなた方の懐中をねらってうけてきたが、見破られた以上、断念します」というて去っていったが。」
乕雄「時代ものの映画の一シーンですな。しかしそういう大切な御用の時につけてくるとは何かあったのでしょうな。」
澄子「その時、開祖は六十いくつで、ほかは皆若い者ばかりでしたが、開祖は『年よりのおばあさんの私が若い人の先に立って歩くことはあつかましいと思うし、私もえらいし[注:大変だし]、ゆっくり歩こうと思うが、後ろから神様が押されるので、つい早く歩くのや』と言われて、後ろから押される神様にもたれるようなお姿で大へん達者に歩かれた。
 それから松江に泊まったとき、瑪瑙の“こうがい”と“かんざし”と“根がけ”を買うてもろうてな、そのころ私は髪を丸髷に結うていたので、瑪瑙細工を買うてもらった時はうれしかった。たしか七十銭やったと思うが、そのころとしては大金やった。それが事件前まで手元に大切にしてあったが、あの事件[注:第二次大本事件]で失うてしもうた。
(二代教主、少し眼をつむられて)
 それから船に乗ったな。それから神様が教祖様の梅の杖を握ってグウッと回されて『この辺りから因縁の人が出て、神世にかえす御用をするようになる』と言われた。」
乕雄「この教えが松江で盛んになるのも、お仕組なのですね。」
澄子「綾部と松江はとくに因縁がある。大本には元伊勢のお水と出雲の火をうつしてあるやろう(※1)。前の大本事件[注:第一次大本事件]は大阪の梅田で起こり、こんどの大本事件[注:第二次大本事件]は松江で起こったのや。これもみな深いわけのあることや」
乕雄「大本事件の起こった十二月八日は釈尊が悟りを開いた日で、また太平洋戦争の発端になっていますね」
澄子「大本は世界の型になるところやから、そのことが、みんなよく分からんといかん。」
乕雄「ここは生やさしいところでないのですね。どうもありがとうございました。」

[後略]

(※1)
大本神諭「明治34年旧3月7日」
 元伊勢のうぶだらひと産釜の水晶の御水は、昔から傍へも行かれん尊い清き産水でありたなれど、今度の世の立(建)替に就いて、綾部の大本から因縁のある霊魂に、大望(たいもう)な御用をさして、世を立直すには、昔の元の水晶に変らん水を汲りに遣らしてあるぞよ。艮の金神の指図でないと、この水は滅多に汲りには行けんのであるぞよ。この神が許可を出したら、何処からも指一本触へる者もないぞよ。今度の元伊勢の御用は、世界を一つに致す経綸の御用であるぞよ。もう一度出雲へ行て下されたら、出雲の御用を出来さして、天も地も世界を平均(なら)すぞよ。この御用を済して下さらんと、今度の大望な御用は分明(わかり)かけが致さんぞよ。解りかけたらば速いぞよ。

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出口澄「花明山夜話(四)」

○出口すみ子「花明山夜話 (四)」(教示集 「木の花」昭和25年7月号)
日向…日向宗朝 直日…出口直日

[前略]

乕雄「(文五郎は)立派ですよ。しかし道徳主護者には“遊”の世界の尊さや、そこから学ぼうとする積極性がないから、どうでしょうか。」
日向「このまえ『木の花』のカットに聖師様の“遊”という書が載りましたが時、私もいまの問題を考えましたが、“遊”は報身ミロクのお働きですね。」
直日「元男(直日の夫・出口日出麿の本名 高見元男)がむかし『自分はこの世に遊ぶために生まれてきた』と言っていましたが、本当ですね。」
乕雄「ちょっと聞くと変な言葉ですが、言いかえれば遊ぶということは(大本)教旨の“神人合一”の実践であり、楽天主義の本態ですから。」
澄子「さっきから、あんたらの話じっと聞いておると、一生懸命で楽しそうやな。わしも昔先生(王仁三郎聖師)が花を植えなさると『筆先に色花はいかんと言うてあるから』と、みな引き抜いていもうたことがある。後でその色花は男女の情事であると神様から教えられて、それから花やとか美しいものを大切にするようになった。天国をつくるということは、この世を楽しく生きられることやでな。それは心持ちを変えることや。わしも大分と変わってきたや。」
乕雄「お母さん、この間、お父さん(義父:王仁三郎)の『木の花』を予言されたお歌がでてきまして、

   もののふの 八十の年ふる中秋に
     世界木の花 盛りをやみん

   ……というのです。」
澄子「ちゃんど聖師さんが書いとってくれちゃったんやな!」
乕雄「いま楽天社では社友五千六百七十名達成運動をしているのですが、全く偶然の一致です。」
直日「神秘というものです。いまの愛善苑[旧]には神秘がないという人がありますが、これを見れば本当の神秘を感じていただけるでしょう。」
日向「昨年(昭和24年)の十二月八日に新発足した、楽天社の進出はめざましいものがあります。これは一にも二にも御守護のあることです。」
乕雄「本当に不思議ですね。」
直日「(前略)『木の花』の神秘は、原色のようにギラギラしたものではありませんが、いぶし銀のようにしずかな美しい高い神秘です。」


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出口澄「花明山夜話 (五)」

○出口すみ子「花明山夜話 (五)」(教示集 「木の花」昭和25年9月号)

[前略]

日向「聖師さまは、三年前の直日さまのことで、学校の先生をしかりつけられたことがありましたそうですね。」
直日「校長先生を叱りつけに行ったのです。校長先生は長岡という方でしたが、菅原道真とアダ名のついた温厚な人柄で、ちょうど法勝寺の中曽さんを思わせる方でした。」
乕雄「お父さんはなんでどなり込まれたのですか。」
直日「それが、ある日担任の先生から『ちょっと来い』といわれて行ってみると、『お前はうそつきやのう、お前のおかげでわしは校長先生にしかられたぞ』と言われるのです。私は身に覚えがないので、いきなりうそつきと言われてその時は腹が立ったのですが、後になってわかってみると、私の三年前の担任の先生が意地悪く私をしかったり、授業中白ボク(チョーク)を投げつけたりしていじめられたので、そのことをフッと思い出して話したのを、子煩悩な父がカーッとのぼせてしまい、いきなり学校へ飛んでいって、なんにも知らない校長先生をつかまえてどなりたおしたんです。
 校長先生は面くらって担任の先生を呼びつけしかられたのですが、担任の先生は覚えがないので、私がいいかげんなことを言ったのだろうと思って、『お前はうそつきやのう』と私をしかられたわけです。」
乕雄「お姉さん(義姉:出口直日)にすれば、お父さんの子煩悩がありがた迷惑だったんですね。」
澄子「先生はエライ子煩悩やったでな、子供のことというとじきカーッとなってしもうて。」
直日「向こうもこっちも三人ともエライ迷惑でした。」
澄子「先生はよくこの子(直日)の小さい時は背におんぶしていつも手に本をひろげて、読みながら歩いておられた。人が何と言おうと頓着せず、ぶらぶらと本を読みなが街へ使いにもいってくれる方でした。」
日向「聖師さまは『神霊界』(大正6年1月刊行の大本機関誌)をお出しになるころは大変だったらしいですね。」
澄子「夜中に私が目を覚ますと、夜さり寝るともなしに半紙に原稿を書いておられることや、一人で活字をコツコツとひろってゆかれるのを見ました。小竹さんが手伝いに来るまでは何もかも一人でみんなやって『神霊界』を出されていました。二百七十円の金を借りて、手刷りの機械を買われて、それで町の役場の仕事なども受けてきて刷ってられました。そのころ幸徳秋水の事件[注:大逆事件/幸徳事件]があって、大本にも警察の人が調べにきました。」
直日「あの時にもそんなことがあったのですか。」
澄子「なんで来たのか私は聞いてないが、世の中を改めるということを言っていたので、何か関係があると思うたのですやろ。」
乕雄「幸徳秋水のパトロンになる人が丹波の出で、岩○○民とかいった地方の銀行家のように聞いています。」
日向「昔の『神霊界』を読むと、聖師さまはあのころから、信者に歌を作られて御自分の和歌といっしょに毎日載せておられますが、あれを拝見しますと神様のお道と和歌はいかに御因縁の深いものかが分かります。」

(速記の高橋君が疲れているようなので、ちょっと休憩を取る。高橋君煙草に火をつける)

澄子「乕雄さん、ちょっと硯箱と紙をおくれ。こんど綾部が市になってな、そのお祝いの歌を出すことになっていたのを、いま思いついたので、

 綾の里 すえで都になるという 母の言葉をまのあたり見る

 和知川の清き流れは本宮山に上がり 生命の清水と世に下りゆく

 これでどうやろう。金龍海ができた時に、三角や四角や棒の形の餅を供えたことがあります。
 直日さん、あんたはおぼえているやろう。」
直日「美しい月夜の晩でしたね。」
澄子「あれは大きな謎でありましたのや、『大本にあることは箸のこけたことでも、よく見ておれよ。世界に出てくることがすべて映るところである。』と、神様がおっしゃってやでな。」
日向「この世を丸にしようと四角にしようと、この方のするようになるのである、ということがありますが。」

[後略]


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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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