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出口王仁三郎と座談会目録

第二次大本事件の直前、大本教は絶頂期にありました。その影響力は平成の世の創価学会を遥かに凌ぐ勢いがありました。それもこれも、出口王仁三郎という一人のカリスマの手腕と魅力によって形成されたものなのです。「出口王仁三郎と青年座談会」は、1931(昭和6年)5月~1933(昭和8年)8月にかけて大本機関誌「昭和青年」で連載されました。その中から、大本神諭(筆先)、王仁三郎聖師の霊界観に触れる部分のみを抜粋します(原文参照のため)。全文を御覧になりたい方は あいぜん出版「出口王仁三郎と青年座談会」を読まれてください。

出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(1)
出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(2)
出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(3)

赤ちゃん座談会

出口王仁三郎聖師と出口日出麿師を囲む座談会/第三回 国家の将来

出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿師を囲む座談会 第二回
出口王仁三郎聖師と出口壽賀麿師を囲む座談会 第四回
出口王仁三郎聖師と出口壽賀麿師を囲む座談会 第五回
出口王仁三郎聖師と出口壽賀麿師を囲む座談会 第六回

出口王仁三郎氏を囲む座談会(第三夜 第1回)
出口王仁三郎氏を囲む座談会(第三夜 第2回)
出口王仁三郎氏を囲む座談会(第三夜 第3回)

出口王仁三郎氏を囲む座談会(第四夜 第1回)
出口王仁三郎氏を囲む座談会(第四夜 第2回)
出口王仁三郎氏を囲む座談会(第四夜 第3回)
出口王仁三郎氏を囲む座談会(第四夜 第4回)

出口王仁三郎氏に挙国更生を聞く(一)
出口王仁三郎氏に挙国更生を聞く(二)
出口王仁三郎氏に物を訊く座談会
出口王仁三郎氏を囲む農村座談会


神霊座談会(長沢雄楯、出口王仁三郎)

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出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(1)

☆出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(1) 『昭和青年』昭和7年10月号
時……昭和七年八月六日
所……天恩郷 高天閣
内容:夢の神秘、人魂、夢判断、大蛇、生まれ代わり、病人、呪いの釘、狐狸の怪、河童の腕、蛇の執念
出席者…小竹玖仁彦、加藤明子、神本泰昭、芦田満、比村中、田盛義光、速志英春
速記者…伊藤栄蔵

速志「本夕ほんせきは神霊問題について御質問願って大いに益したいと存じましたので御苦労願いました。生活の基点は霊界でありますので、人生を本当につかみたいと存じますから──。聖師〔出口王仁三郎〕様どうぞよろしく御願い致します。では田盛さん、君から」
田盛「霊夢れいむの判断の方法とか態度についてお伺い致しとうございますが」
聖師「レイムって何じゃい、夢か?」
田盛「たとえば夢で聖師様が或る家に来られて天津祝詞を挙げられた時の聖師様の着物とかお姿がハッキリわかるとかした場合は、どういう御心がお働きになっているのか判断に苦しむことがありますが」
聖師「その夢の事か、じゃ、夢の種類から云わねばならぬが、神夢、霊夢、実夢、虚夢、雑夢、悪夢というのがある。
 神夢というのは、神が姿を現して、或いは白衣の老人が現れたとか、或いはワシの姿が現れたとかして、そこで色々の事を教える、というようなのが神夢じゃ。霊夢(※1)というのはもう少しぼんやりしておって、或いは太陽が出たとか、富士山に登ったとか、或いはたかが来たとか、さふいふやうな瑞祥の夢を見る時や。それを秩序整然と初めから終ひまで憶えているのが霊夢や。しかし霊夢には良いのも悪いのもある。この前にかういふ霊夢を見た者があった。葬礼の夢というのは納まるというて非常に良い夢やというのや。
 いにしえから鷹の夢といふのは、一富士、二鷹で良い夢といふことになってゐる。それからきびの夢、黍の夢とかあわの夢は実が多いから良い夢やとある。が四方しかた春三はるぞう(王仁三郎と激しく対立した初期大本青年幹部)が上谷に居った時、葬礼の夢と、鷹が三匹来た夢を見た。それからズル黍というて一穂に一万粒も実のなる黍の夢を見た。良い夢を三つ一緒に見たのだ。それをワシが判断してやって『ソレ見タカヨイキビ』と言うた。二鷹なら良いのや、しかし一富士、二鷹、三茄子の夢は良いけれども、これは本当は夢の事でなくて、徳川家康の心得としていた事なのだ。家康は黄金を沢山もっておった。軍用金を沢山もっておったから天下をとることが出来たのだが、その黄金を貯えるのに、たとえば奢りをしたいとか、娯しみをしたいと思った時に、富士を見たのだ。今の人なら花見だとか芸者買いに行くとかするのだが、そんな時に富士の風景を見て、それを第一のたのしみにしておったのじゃ。二つ目の楽しみは鷹を飼うこと。他人に御馳走をする時でも、自分は金を出さずに鷹に鳥を捕らして、それで料理して御馳走した。それから茄子なすを作って浅漬けを非常に楽しみにしておったのじゃ。そのくらいの心得で金をためて、それで天下を取った。家康は実際はそのような心得のあった人だった。それで一富士、二鷹、三茄子の夢を見たら、その心得になっておれば教訓になるから良いと云うのじゃ。しかしその心得にならなんだら何にもならない。
 悪夢は妙なものにおそわれたりするやつ。
 雑夢は木に竹を接いだようなことで、今亀岡に居るかと思うと東京に居たり、また綾部に居ってみたり、梅の木じゃと思っておったら、牡丹ぼたんの花が咲いて、下にたけのこが生えたり、木に竹を接いだようなのを雑夢と云うのじゃ。
 それから人の心気が霊に感じて、気分の良い時には霊夢を見る。雑念のある時には雑夢を見る。良い夢を見るのは総じて右の肩を下にして、平仮名の「さ」の字になって寝た時には愉快な夢を、左を下にした時には悪夢、仰向けになった時にも胃腸の弱い時などには悪夢を見る。
 またこういう夢もある。河内というてワシの親爺の生まれ故郷じゃ。其処に宗三右ヱ門という長者があったが、若い時は貧乏で、上下といって京都行きの荷物をしておった。ある日、京都からの帰りに鳥羽村の川縁で連れの男と二人で一服しておった。そうすると宗三右ヱ門は起きておったが、連れの男は眠ってしまった。見ていると、その寝てる者の鼻の穴へ蜂が入って出て、また別の穴から出て行く。起こしてやろうかと思ったが、放っとくとまた蜂が入って行って、またこっちの穴から出る。出ると近所の荊棘いばらの中へ入って行った。しまいに起こしてやると『小判がドシンと落としてあったので拾おうと思ったのに、起こしたもんだから…』と云う。『そんなら、その夢を買おうか』と云うと、『買う買わんて、どっちにしても夢の事じゃないか』『そんなら今日、儲けたのをみなやろう』『それなら…』と云うのでその夢を買うてしまった。
 『お前の夢を買うたんやさかいに、実行しても俺の物やぞ』と云っておいて、翌日その蜂の入った所に行ってみると、ザクザクというほど小判の入ってある財布が隠してあった。泥棒か何かが隠しておいたものだろう。そうして長者になった。
 それから之はワシの実見した夢だが、これも鳥羽で、家の親爺と二人で──ワシは十二、三だったが──河内へ鮎を獲りに行った。ちょうどこの頃の気候で、雨が降ると鮎を獲りに行くのだ。鮎を獲って鳥羽まで帰って来ると、ちょうど十二時頃。そうすると火の玉がころげている。こわくて仕様がない。それから家の親爺が癇テキ者だから杖で火の玉をドツキに行った。そうしたらシュッと逃げて三軒ほど先の家の中へ入ってしまった。で その家を『もしもし』と叩き起こして、『変な物が入ったが、何ぞ居りゃしませんか』と云うと、こっちの方で『ああこわいこわい』と云うて『大きな男が子供連れて出て来てドツキに来たからびっくりして逃げたら夢やった』と云うている。ワシはそれを聞いて寒気がした。こういう風に向ふが夢を見ていたのじゃ。それは人玉ひとだまが飛び出していたのじゃ」
速志「そういう時には精霊が飛び出ているのですか」
聖師「そうだ。これ等は実夢で、最前云ったのも実夢だ。ワシはそんな火の玉を何遍も見たが……。子が生まれる時と、その子が死ぬ時と二度見たがね」
速志「今度の神の国に、生まれる時に人玉が入るといふのは……」
聖師「実際ワシは見たが、は入るのと子が生まれるのと一緒だ。そしてそれが出たと思ふと死んでしまった。それからこれは綾部の話だが、鹿造(大槻鹿造。出口直の長女の娘婿、王仁三郎の義兄)の親が死んだ時に、鹿造が長火鉢に丹前たんぜん姿すがたで威張っている。するとそこにウイロ饅頭まんじゅうみたいな物が火鉢のそばにある。何じゃおかしいなアと思って見ると、ウイロでもないし、妙な物があると思って取ろうとしたら、母親の口の中へポッと入ってしまったのじゃ。おかしいなアと思っていると、又コロコロと出て来て火鉢の上に乗った。今度こそとパッと掴んだと思ったら、婆さんが『キャッー』と云った。それで死んでしまった。病気で寝とったのではあるが……」
速志「それを夜見ると光るのだろうね」
聖師「フーム。穴太の金剛寺の隣座敷に風呂岩と文助勝ぶんすけかつという二軒の家があって、その庭から見ると其処の井戸のそばに火の玉が出ると云って村の者がみな見に行った。ブーッと上がると後がふんどしを引きずったように見える。そいつがバシャッと家のむくの木へ突き当たった。ガバッと落ちてグシャグシャと光っているのじゃ。翌日見たら雪隠虫せっちんむしのやうなものに、一寸ばかり毛の生えたものが、毛どうしからみ合うてまるくなっておった。いまだに何か分からん。毛ばかりで雪隠虫のような物が二百位おっただろう。いまだにワシはその椋の木の下へ行くと思い出す。どぶがあって、西側に椋の木がある、今は大きくなっているが、その時はそんなに大きくなかった。
 それから夢というものは、たとえば君がこっちに『の女』があって恋慕しているとする。何とかして一つ口説いてやろうと思っているが、また一方で振られたら恥ずかしいから云うまい、といふ反省力がある。ところが寝てしまうと、他の思想がみな寝てしまって、何とかして云うてやろう、やろうという心だけが独り起きとる。それで夢の中で『あなたを好いとった』とか何とか云うと、また向こうもまた、うまいことを云う。そうするとそれが夢やハハハハハ……金が欲しい欲しいと思っているけれども、起きていると金が滅多に落ちておりそうな事はないという反省力があるが、寝てしまうと金が欲しい欲しいという精神ばかりが起きている。それで金を拾いかけたりする夢を見る。神から知らすというのはあるけれども、神夢を見るというのは余程魂が清浄でなけねばならん。
 今年は日の出の夢を見たとか、富士の山を見たとかいうのは霊夢じゃ。
 実夢は、どこそこに何が落ちとったというような夢を見て、翌日行ってみると実際にそれがある。蜂が鼻の中に入ったのなんかは実夢だ。自分は蜂でないにきまっている、夢で見たのだからな。悪夢はおそわれるやつだ」
速志「こわいものにおそわれるのは矢張やはり霊でしょうか」
聖師「そうだ。そこら中 霊ばかりだから。霊が充満しているのだから」

加藤「今修業に来ている人で、おうかがいしてくれと云われているのですが、近江の長浜の人で建築の技師でございます。今まではお大師だいしさん(弘法大師)を大変信仰しておりまして、去年の十二月から大分長い間、夫婦でお四国詣りをしとった人です。服部という長浜の支部長さんと神様のお話で喧嘩するような議論をしたのです。別れてから、あんまり言い過ぎたからお詫びをせなならんと思って寝たんです。そうすると夢に、伊吹山のぐ上のところに星が三つ現れて、二つはとても光るのです。ダイヤモンドのように大きく光るのです。その二つの下の所にはちょっと暗いのがあるのです。不思議だと思ってめたのです。それでお詫びに行こう行こうと思って行かないでいると、また夢を見たのです。六畳の間で寝ておりましたところが、大きな蛇体じゃたい欄間らんまを巻いたのです。色は金色に光って、それがザラザラと動き出したのです。汗みどろになって醒めました。で、いよいよ服部さんにお詫びに行こうと思っていると、服部さんが来てくれました。『実はこんな夢を見たのですが』と云うと『あなたは半ヶ年のうちにきっと亀岡に修業に行きます』と云ったのです。
 それから話がぎになりますが──水口に広瀬という信者さんがあるのです。同じ職業なものですから、そしてその方の口を探しておられたものですから、そこへ行らっしゃい、というので、広瀬さんのところへ行くというと、『早く修業に行きなさい。私が旅費なんか立て替えますから行らっしゃい』というので、飛んで来たそうですが、今日で四日ばかり泊まっておられます。そうした所が、夢で聖師様が現れて『よう来た、お前に何か書いてやる』とおっしゃられて、書いて下されるというところで眼が醒めたそうです」
聖師「その夢がどうや。何も別に判断するような夢じゃないじゃないか」
加藤「私はこんな判断をしたのです。伊吹山に現れた明るい星というのは厳霊様と瑞霊様じゃろう。暗い星はお大師さんで、お大師さんはほとけぶつの世はんで、厳霊様と瑞霊様の所へ来い、という意味だろうと、こんなに申しましたが……」
聖師「それはそうに決まっている(※2)
加藤「それから大蛇というのは督促係じゃないかと思いますが……。川田さんという尾道の信者さんが良く云われますが、神様の事を反対していると、そこへ大蛇が出て取り巻いたので閉口して飛んで来てお参りした。その時は恐ろしくて、と云われますので」
聖師「それは金龍海きんりゅうかいの金竜だ。修業して金龍海へ参れということだ。此処(亀岡)で修業したら金龍海へ行くだろう。金龍海には──金龍と銀龍があそこへ納まることになっていると云う歌があるだろう──。四ツ王山に居った金龍で、それがおお八洲やしまへ行くのだ」
速志「現在おしずまりになっておらないのですか」
聖師「なっているとも、大蛇おろちで、天保銭ほどのうろこをワシはもっているよ。黄金閣かどこかへ置いてある。天保銭よりちょっと大きいぜ。証拠を見せてくれというと鱗を二枚落として行った。血がついている生々のやつを残して行った」
加藤「大正八年頃、拝見しました。薄桃色のでございますね」
聖師「それが大阪の松島へ出て来て落としたのだ。谷前の所へ来て、神島を祭ってくれというので、何ぞ証拠を見せてくれ、というと、この鱗を見てくれたら大抵大きさがわかる、というので落として行った」
速志「夏樹が先日大病した時、初恵が蚊帳の外にいたので、パンヨが夏樹もいるからサアお入りと蚊帳を上げてやると中に入って、夏樹の側に寝たそうですが、その翌日からダンダンよくなったそうで、私が浦和からの手紙を見て霊前で夏樹を守ってやれと祈った時だったのですが、霊が行って看護したのでしょうか」
聖師「霊が来ているのや。執着が強いと五年も六年も付いている。ワシの祖父さんも五つか六つくらいまで付いておった。それから、弟の吉公よしこうが祖父さんと同じことだ。祖父さんは博奕ばくちばかり打って死んだのだ。その祖父さんは畑の草を取る時にそこへけといたら良いのにまた生えると云って、口にくわえて向こうの畔まで行って畔の外へ放る癖があった。吉公が四つの時に両親が畑へ草取りに連れて行くと、吉公がまた祖父さんと同じように取った草を口にくわえて向こうの畔まで行って畔の外へ放るのだ。また博奕打ちの祖父さんが生まれ変わって来た、と云うておったが、矢っ張り博奕ばかり打って、家から牛からワシの金時計から何もかも売ってしまった。博奕打ちの親分の河内家が引っ張りに来て来てしょうがない。ワシが鳶口とびくちで弟の首筋を引っ掛けて連れて帰った事があった。そういう風に同じ癖をやるものだね、生まれ変わりと云うやつは」

小竹「病人が熱が高いのは邪神がやっているのですか」
聖師「邪神がかかって、悪霊におそわれて熱の高いのもあるし…。それから癒るのは九分まで信念が助けるのだから、たとえばゆずの話をしたら口が酢うなるだろう。人の精神作用によって肉体も直ぐ変わる。嬉しい時には顔色が良くなり、失望すると青くなり飯も食えなくなる。それで熱も、この人が来たら救けてくれるという信念と、神様の神霊とで癒る。頑固な人は滅多に癒らない。そんな人が癒るのは神様のお力ばかりだ。信念のない人でも癒る事がある。そんな人はこの世にまだ用がある人なのだ」
速志「癒ってから矢張り神様があるなというようなもんやろな」
聖師「そんなのは一遍は救けてくれるが、忘れると今度はいかん。肺結核でも四十以上になっている人は癒って長生きする。二十台の人は癒らない。これは情欲の発生する病気で、それをしたらきっと悪くなるのだから……」
小竹「三十までの人で癒った人はありませんね」
聖師「癒るけれども、またあれをやるさかいに。年寄りは癒ると固まってしまうのだ。それから猩紅熱や何かでも──西田元吉が猩紅熱になっておった。ワシが行くと、警官や医者や衛生係が居って入ることならぬと云う、フト考えると──西田は鍛冶屋をしておったが、その弟子が他の鍛冶屋から金を三円貰い、西田を呪い殺せという依頼を受けて産土さんの杉に釘を七本打ってあるという事がワシにわかった。西田は上手で安ふするものだから、他の鍛冶屋が恨んだのだ。家の奴が釘を打つのがワシに見えたのだ。それから衛生係や何か居って騒いでおったが、これは猩紅熱でも何でもない。産土さんの杉に釘が七本打ってあると云って、近所の人やその打った奴にも行かしたら、そいつはびっくりしてその晩に紀州へ去いんでしまった。それから翌日、釘の穴に餅を買って詰めといてやった。釘を抜くと同時に、病人は四股を踏んで、『こんなもんや』と云うて達者になった。医者も帰ってしまった。
 それから本当に癒るまで百日かかるというておいたが、果たして毒が残って後がなやみ出し、体がはれて、こんな畳の敷居の高ささえも這うて越せんくらいになっておった。ところが百日目に臀部から破裂して、三升ほど泥水みたいな膿が出て、それで癒ってしまった。それまで西田という奴は神様に反対して困り者だった。まだその杉の木はある」
芦田「そんなに釘を打たれたりしても、こちらの霊魂が正しい信仰をしておったら、そんなにならないで済むものじゃないのですか」
聖師「しかし生木だからな。彼奴あいつったら『抜いてやるやる』と云って打つのだから、木にも魂があるから──木魂こだまに響くというが天狗や何かは木魂で、魍魎もうりょうはスダマだ」
速志「その釘を打った奴はどうなるのですか」
聖師「紀州へ行って病気になった。それから西田に『行ってやれ。そして恕(ゆる)してやるさかいにて云ふてやれ』と言うたが、そういってやったら矢っ張り百日かかって癒った」

小竹「人を化かすのは狐や狸の他にもあるのですか」
聖師「今はなかなか狐や狸のは直接はだまさない。私等らは欺された。昔は嘘つくというような事はなかった。ワシ等の若い時でも嘘ついたら交際しなかったものじゃ。今の狐やナンカは人の身体の中に入ってサックにして使っている。人間も賢うなって飛行機に乗って空を走ったりするから、狐も人の体をサックに使うのだ。
 それから亀岡の士族で川上さんという先生があった。犬飼の学校に居って、また佐伯の学校に転任になった。峠境にオモン狐という悪い狐があったが、ある日その川上という先生が峠をどんどん上ったり下ったりばかりしているのじゃ。フッと見ると天狗岩の所に狐がおって、ペッと尾をこちらへ振ると、どんどんどんどんとこっちへ下りるし、あっちへ振ると、またどんどんとあっちへ上ってゆく。とうとう死んでしまうたけれども……。今は狐に化かされたというのは聞かんね」
速志「この頃は聞かんなア、本当に」
聖師「ちっと人智が進んでくるとかすことは出来ない。昔の人は狐が欺すもんじゃという事を、自分が思ってないでも、腹の中からそういう血を受けているから欺されたのだ。先祖代々血液の中に渡って来ているのだから。今はそんな馬鹿な事があるもんかい、と思っているから……」

速志「河童かっぱが欺すと云いますが、河童とかいうものは本当にあるのでしょうか」
聖師「あるとも、うちに河童があるぜ。小国の上野さんのところから持って来てくれたのだ。上野さんの先祖が川へ酒樽を洗いに行くと、酒の香を嗅いで河童が出て来て、向こうの方で踊っている。それで石を投げたらその川の中へ跳び込んでしまった。川は志賀瀬川という川だ。今度来たら切ってやろうと思って、片方の手で樽を洗っていると、樽に妙な手をかけたので差し添えを抜いてパッと切ると、その手を置いて逃げてしまった。それを大事にして残しておいたものだ。そういういわれを書いたものがある。
 細い手で矢っ張り五本指がある。穹天閣きゅうてんかくの宝物の中に入っている。人の手とちっとも変わらぬ。三つくらいの赤ン坊の手くらいで、指が非常に長いし、爪も大変長い。乾物になっているのだから腕の骨もこの親指ほどしかないね」
小竹「河童が血を吸うと云いますが、本当でしょうか」
聖師「河童というけれども、蝦蟇がまも河童の一なんだぜ。蝦蟇がいたちをこっちから狙うと、鼬がそこでどうしても動かれん。そして血を吸うのだ。蝦蟇と鼬の間に板をやると血が付くという。ワシは実験したことはないけれども。良いほど血を吸うて殺してしまうてから蝦蟇が草原の中へ持って行く。四、五日経つと腐ってしまう。蝿がたかって虫がわく。そうするとまた蝦蟇が這い上がって行って、その虫をみな食ってしまう。
 も一つ不思議な事がある。家の祖母さんの話じゃが、家の庭の上につばくろが巣を組んで子を産んでおった。すると蛇が梯子を上って燕の巣を狙うてると一尺ほど届かん。どないするかというと、半日ほど見ていると、蛇の中からまた蛇が出て食うてしもうたそうだ。性念魂が出て来たのだね。
 それから金剛寺の屋根替えの時の事だが、屋根の高い所にすずめが巣をしていた。そいつを蛇が這うて上がって雀の巣をとろうとして、誤って屋根から石庭へ落ちて頭を打って死んでしまった。それで寺内の藪の中へ蛇を放しに行った。三日ほどすると雀が巣の中で騒ぎ出した。見てみると赤蟻がずっと柱から続いて巣へ来ている。そうすると、ずーっと赤蟻の続いている終いは、その捨てた蛇の所で、蛇は骨だけになっておった。蛇から蟻が続いておった。三十間くらいはあるだろうね。それはその時分にみな見に行ってエライ事だった。霊といふものは怖いものや」
(以下次号)

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テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(2)

☆出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(2) 『昭和青年』昭和7年11月号
内容:戦死、神霊降下、霊の正邪の見分け方、霊界の士農工商、想念の世界、地獄の世界

聖師「へびの霊と云うのは良い霊じゃない。人が死んで大蛇(だいじゃ、おろち)になったと云ふ古事はいくらでもあるが、人の想念がり固まって、つまり霊魂が凝結したら蛇になる
速志「そんな一心さは、すごいもんだなア」
聖師「それ位一生懸命になったら病気でも何でも癒ってしまう。わしは歯が痛うてもう三十日程も癒らんが、精神作用一つで必ず癒るものと思って、痛い歯で物を食べている」
小竹「戦争に行って同じ所へ行って、一方当たらん人と、その傍で戦死する人もあるし、そんなのは霊的に何かあるのですか」
聖師「それは霊的関係もあるし都合よく繰り合わして貰うのもあるけれども、弾は横へゆがんで来んから、ジッとしておった方がよい。蒙古もうこでワシの乗っていた驕車きょうしゃは金々ピカピカで誠に良い標的であった。それで当たったらいかんと云って占魁せんかいが外から判らんように覆ひをしたので、暑いから外に出て馬に乗った所が弾丸がいくらでも飛んで来る。しかし隠れたりする奴に皆当たる。松村(松村真澄)とワシとがジッとしていたが、ジッとして居ったら、其処丈そこだけしか来んだろう。飛び回ると一瞬間に当たる場所が広くなるわけだ。金的と尺の的では金的の方が当たらん。ワシは弾が来るとジッとしてゐた。あわてるとやられる。走ると余計受けるようなものだから」
小竹「一つはず霊でやられて、それから肉体がやられるらしいという事を聞いたことがありますが」
聖師「霊でやられているから挙措度を失ってしまうのだ」
神本「私の兄貴が日露戦争で実見したのですが、非常に勇敢な連隊長で胸から上をのし上がって指揮をしておったくらいだそうで、或る朝『僕は帽子に入れとった天照皇大神宮様のお札がなくなった』と悄気しょげておったので『いや品物ですからなくなる事もあるよ』と口を極めて慰めたが、ちょうどその日戦死したそうです。その日は特に頭だけしか出さないでおったそうですが、頭へ弾丸が当たって戦死したそうです。それから自分が足をやられた時も何だが気抜けがしたと思うと、その時やられたそうです」
聖師「神様といふ事を離れたら落胆する。……信念の力は強い」
小竹「神様にお願いしておいて、素盞嗚尊様なら素盞嗚尊様、瑞霊様なら瑞霊様と念じて石笛を吹いていると、いかにも神様がお出でになったような気がしますが、本当にお出でになるのでせうか」
聖師「それは相対の原理じゃないか。こっちが神様と思うた時には神様の霊もこっちへ来るのだ。死人の事でもこっちから思ってやると向こうで会っている。死者の霊が或いは夢になって現れる事もあるが、思わなかったら会えやしない。相対的で相応の理だからね」
速志「霊の正しい霊であるか正しくない霊であるかという事の見分け方というようなものはないでしょうか」
聖師「感じた時に、正しい霊ならひたいが熱い。前額からあたたかくなって来る。それは正しい霊で、悪い霊はぞーっと尻から来たり首筋から来たりする。鎮魂ちんこんすると、『体が熱うなりました』というだろう。霊魂といふものは善を思ひ善を為せば”みたまのふゆ”といって無限大に増えるものだ。悪い事をすると減る。人殺しでもしてゐると、何でもない事に巡査が来ても、すぐ捕まえに来たのじゃないかと思ってビクビクする。良い事をしていて『警察からでも褒めに来て呉れんかなア』と思っているくらいの時は巡査が来ても、ああ来てれたか、というようなもので平気なものだ。それと同じことだ。神は愛善、神は愛だから、神を愛し人を愛するという事、之程強いものはない。だから神を信仰する者はいくらでも魂が肥える。信仰のないものはぐ落胆するから魂はやせる一方という事になる」
速志「進取的なものはいいという事にはならないでしょうか」
聖師「進取的でも信仰のない者は、扇のかなめのないようなものでだめだ。でないと得意の時は良いけれども逆境に立つと見られんやうに気の毒な姿になる。わしは随分逆境に立ったが、立つほど面白くなる。これだけ一つの経験を得た、と思っている。蒙古の時に信仰というものは、こんなに阿呆になるものかと思ったが、あの時は妻子の事も思わなかった。ただ神様の事と世界の事とは思っていたが──それは一生懸命だったから──その他の事はちっとも思わなかった。(モンゴルで張作霖軍に)銃を向けられた時も『これから天界へ上るのだ。しかし天界へ行っても地上の人を守護してやろう』と思っていたくらいだ。別に怖いともかなわんとも、何とも思わない。自分の辞世を詠んで他人のも詠んで、まだ滑稽な歌まで詠んで笑っておったくらいだった。

  我を待つ天津みくにのわかひめを
    いざ”しに”行かん敵の”なかうど”に

 信仰があると、こんな時にでも滑稽な事が云えて来るものだ」

神本「霊界に於ける士農工商と云ったような組織をお話し願いたいのですが」
聖師「霊界物語に書いてあるじゃないか」
神本「天界に於いても士農工商があるとか、私利私欲を主にせずに、公共の幸福のために業をいそしむというような事はお示しをいただいておりますが、もっと詳しく具体的な方面をお示し願いたいと思いまして」
聖師「ワシのは二度言はれん事になっているのだ。神様は一旦言われたら二度と言われんのだ。神の言葉は二言はない。それで先に言ってしまうと本が出来ないから、霊界の事はあんまり言うのはいやなのじゃ。その時一遍いっぺんしゃべったら二度と言われんからな。大祥殿(亀岡)で講師が同じことを何遍も言うているのは、あれは取次だから良いが、ワシのは二度と同じ事を言われん役なんだから。もし大祥殿でも私が言ふたら今までに言はなかった事を言はねばならんから、なかなか難しいのじゃけれども、死後の生活や何かは、あれ(霊界物語)を見たら大抵わかるはずだ。芦田はんの書いたのに詳しく書いてあるが、スエーデンボルグだったかな、霊界は現界の移写であると、これだけ考えておったらええ。正しい人の現界と天界とは同じことだ……この世は形の世、型の世で、お筆先にも『十里四方は宮の内、福知舞鶴外囲い』(※1)とあるが、お宮さんのこんな小さい形が一つあったら、無限大に想念で延びる。富士山の写真を撮ると、小さな写真でもそれで富士山で通るじゃないか。現界は何千何百マイルとか云うているが、霊界で見たらどのくらいになるかわからん。人間も五尺の躯殻くかくだけれども、想念によっては太陽に頭を打つようなところまで拡張するかも知れない。霊魂上の世界と肉体上の世界とは違うのだから」
神本「たとえば……農業等でもやっぱり種をいたり草をったりするのですか」
聖師「それは天国で蒔いておらなければ地上に蒔かれん」
神本「みな同じような手続きを踏むのですか」
聖師「このものは青人草の食いて生くべきものなり、あめ狭田さだ長田ながたに植ゑしめたまひ……とあるように、天の狭田長田に植ゑられるから現界にも田植が出来るのじゃ。天国というけれども、雲の上にあるのじゃない。こうしているのもみな天人がかかって働いているのだ。稲を植える時には妙な心を持って植えるものはない。他人の悪いことを思ったりなんかしやしない。邪念も何もない天国的想念でやっているものだ」
神本「食事も現界の人が食べるような同じ方式でやるのでしょうか」
聖師「霊身だから霊気れいきを食うのだ。現界の人間が食べて糞をたれるようなものじゃない。白い米を食べても黄色い糞をたれて赤い血を出す。黄色くなるのもそれは霊がしているのだ。で、これは人が食うとっても天人が食うとるのだ」
神本「煙草たばこはあるのですか」
聖師「こっちにやっている事はみなある」
速志「酒はいかがでしょう」
聖師「酒もあるとも。町もあれば士農工商みなある」
神本「地獄の方はそんな職業はないのでしょうか」
聖師「それはない。生産的の事はない。争議団を興して他人の物を分配して食はうといふやうな事を考へて計り居るのだ」
神本「商売なんかは──呉服屋もあり米屋もあり八百屋もあり、というようにあるのでしょうか」
聖師「あるとも。現界こちらは移写だから。売買はこっちとは一寸違うが。つまりいふたら、一村なら一村は誰の物でもない。村長が皆神様から預かっているのだから」
神本「その分配の便宜を計るというような者が商売人でしょうか」
聖師「そうだ、そうだ」
神本「工業や何かでも……大工とか機械工業など」
聖師「大工はこっちで大工しておった人が大工するので……機械工業も発達している。霊界から現界へ写る。現界が進むから霊界が進み、また霊界が進むと現界が進む。霊肉一致だ」
神本「それにも地獄的のものもあり、天国的のものもあるのでしょうか」
聖師「地獄的のものは天国には居れはせん」
(以下次号)

(※1)
『大本神諭』 明治25年旧正月・・・日
 氏神様の庭の白藤、梅と桜は、出口でぐちなおの御礼の庭木に、植さしたので在るぞよ。白藤が栄えば、綾部くなりて末で都と致すぞよ。福知山、舞鶴は外囲ひ。十里四方は宮の内。綾部はまん中になりて、こんりんおうで世を治めるぞよ。綾部は結構なところ、昔から神が隠して置いた、世の立替の、真誠まことの仕組の地場であるぞよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(3)

☆出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(3)『昭和青年』昭和7年12月号
内容:霊的生活、神饌、女神、霊学、飛行機、霊覚と霊感、安心立命、尸解、一神教と多神教、島生み、龍神、精神作用

神本「営利的な、腹の黒いのは地獄的にやっているのでしょうか」
聖師「それは八衢やちまた的だね。本当の地獄へ行けば生産という事はないから」
神本「現界では日本などは親と子というようにたえの関係を本位としておりますが、霊界では神様が親様で、あとはみな子に当たるということになっておりますが、一つの家庭におきましては、夫婦の他に祖父母とか父母とか子孫とかが一緒に住むということはありませんのでしょうか」
聖師「意志想念が合ふて居ると同じところで同じ団体に住める意志想念というものが合ふておれば、村中いくら家があっても一つの家だから」
神本「現界では子供が生まれると大騒ぎを致しますが、霊子れいしの生まれる時にもそれに似た働きがあるのでしょうか」
聖師「意志想念の世界だから、人間のようにみょうな所へ○○せんでも頬と頬をくっつければ出来るといふやうなもんだから、おして知るべきだ」

比村「この間、北海道の雑誌を見たら、おにおいいでも修業の妨げになる守護神が多いというて、神様に上げるのまで止めてると書いてありましたが、少し矛盾していると思いますが」
聖師「自分が嫌いだからというて上げんというような事はない」
比村「聖師様がおを上げられたら」
聖師「ワシの肉体は嫌いだ。自分が撤饌てっせんいただいたら上げたんじゃない。教祖はん(出口なお開祖)は──『神様にげるものといふたらおとうみょうけや。他の物はみな、こっちがいただくのや。神様がみな食べはったら誰もよう祭らへん』──と始終言われた。『今日はかしわ買ふて来い、今日は何買ふて来い』と云って、毎日五合も御酒を飲まれたら本当によう祭らんだろう。それでもし上がっても供へる、自分が食べないでも神様に上げるという信念でなければならんのだ。しゅいつてきというのは『神に仕ふること生きたる人に仕ふるがごとし』という精神だ。家が無かろうが、自分が食えなかろうが、神様にお供えする、というのならば本当の信仰だけれど」

比村「物語に、男の人が改心すると女神さんが現はれます。あれはやさしいという事を表しておられるのでしょうか」
聖師「愛をあらはしているのだ。愛は女性的のもの。愛の女神といって女は愛で男は勇気をつかさどる。うしとらこんじんわかひめみのみことりてぐちかみあらはれる』(※1)いてあるが、教祖はんは稚姫岐美命の生まれ変わりだ。それの体をって、霊を借って、教祖とあらはれたのだ。いわゆるくにとこたちのみことは稚姫岐美命であり、稚姫岐美命は出口なおであり、という事になっている。かみ“と”あらはれるのや。かみ“に”なるのじゃない。さけんで首を振ってとら“に”なるのだったら本当の虎になるのだ、が虎“と”なるのだ」

比村「霊学三分で筆先七分(※2)とありますが、どういう程度でしょうか」
聖師「それはいつまでもと云うのじゃない。あの時分は一生懸命霊学ばかりやっとった。鎮魂ばかりしておった。神がるか無いかという事を人に証明する為にさんぐらいは見せても良い、といふ事だ。きになったら霊学などせんでもわかって来る。それはその時のいましめだったのだ 永遠の戒めでも何でもない」

神本「この間青木中尉が上海から帰って来て、日本でも扶占フーチ なんかで出してれると神様が直ぐわかっていいんですがと云っていました」
聖師「扶占でも幾分そうだが、神様というものは人を”たらす”ことがある。教祖さんのお筆先でも、『平蔵どの……』とかいって(※3)、三千世界の神様が『へいぞうどの』などとおかしいけれど……扶占でも『井上留五郎に酒一杯飲まして二十円やれ』というような事まであるのだ。神様の神策で勢ひを付けて働かすためだ。お筆先にでも『御用きいて下さったら手柄さす…』と書いてあるが、交換条件みたいに手柄などさして欲しくはない、と思うけれども、初めは手柄のしたい人がおったのだから、対者によってそう言わなならんのだね」

比村「みろくの世には飛行機は要らないとありますが」
聖師「みろくの世には飛行機よりももっと良いものが出来るからだ。今の飛行機みたいに、あんな事をしないでもよいようになる」
神本「大本でも航空という事に努めておりますが……」
聖師「過渡時代には必要なのだ」
神本「宣伝はもちろん、聖師様がたが各所を往来されるためお乗りになるというような事もあるのでしょうか」
聖師「それはある。航空という事の観念を国民に持たすためには、こっちが範を示さねばならぬから……」
神本「我々としては将来に対し大なる抱負を持って……小さい気持ちで引っ込み思案ではいけないと考えているのですが。それから救世主が”くも”に乗って再臨されるというのは、船に乗ってお出でになることだとお示しになっておられますが(※霊界物語第64巻上第15章「大相撲」)、我々としてはドうも飛行機にでもお乗りになって文字通り雲の上からお乗りになっていただきたいような気が致しますが……」
聖師「”くも”は船の事で、飛行船の事だ」
速志「その時分にはツェッペリンよりも良いものが出来るだろうよ」

芦田「誠心と信仰というものがあったら、いわゆる霊覚というようなものがなくてもいいように思いますが」
聖師「れいかくれいかんとある。霊感というやつはまだええ事はない(※4)。霊覚というのは、いわゆる神は愛善だから、神の心をさとったのが霊覚だ。”ほとけ”は覚者かくしゃということで、愛と善とが徹底したのが霊覚なのだ。神様を見たとか何とかいうのは霊感だ。それから霊はいわゆる霊ばかりでなしに、霊妙不思議なという意味もある。れいようがとまったとか、霊鳥がとまったとか云うだろう。ワシが作った霊学会というのは、霊魂学ばかりでなしに、この上もない尊い学王学だからこれを霊学と名付けたのだ。霊魂学と霊学とは違う。あの始めにこしらへたのは、その意味からだった」
芦田「では普通の人は霊感ですね」
聖師「霊感者と霊覚者とは品位の高低が違う。”ほとけ”は覚者という。そこへまだ霊が付いてあるのだから」
速志「結局は愛と善がさいじょうのものであると云う事になるのですね」
聖師「世の中にぜん〔 譱 〕というものは愛より他にない。もっとも力の出来るもの、すべて成功するものは愛と善だ。キリスト、ムハメッドは愛を説き、仏教は慈悲を説き──これも愛だが孔子はじん──仁ということは隣人を愛するという事で、仏教もキリスト教も愛をたてに、善をよこに説いている──キリスト教はそれで十字架なのだ。総ての宗教は愛を経に善を緯に説いている。人類愛善ということは、各既成宗教及び今までの道徳教の総てを一つにまとめた、まあ云うたらほうようしたのだ、肝腎のエキスをとったような名である。仏教とかキリスト教とかは、米みたいなもので、米の中から出た酒の汁が愛と善なのだから」

田盛「霊心と霊魂はどう違うのですか」
聖師「それは同じことだ。たましいというのは心という事なのだから四魂しこんこころとなる。つまりゆうしんあいが『心』という字だ。左のノは智でヽは愛が受けているので、上の左ヽは親、右のヽは勇である。鎮魂ちんこん帰神きしんは安心立命ということだ。鎮は安なり。人の陽気を魂という、魂は即ち心である。それで鎮魂は安心となる。帰神は元の神の心になればそれが帰神である。別に手を震わしたりせんでも安心立命すれば、それで良いのだ」

加藤「尸解しけの法についてお伺い致したいのですが」
聖師「ガット虫が蝉になるのもみな尸解の法である。ガット虫に羽が生えて変わるだろう。麦の中から虫が発生わいいて蝶になる。これもみな尸解の法だ。天狗になったとかいうのは人間のうち尸解の法によってなったのだ。鳥などは自然に従っているから何でも出来る」
加藤「尸解の法によって霊界に入る以外に霊界に入ればそれらの血液はどうなるのですか」
聖師「鶏なんかは大抵食うようになっているから、殺された時に霊が抜ける。それが霊身を作って、鶏なら鶏になっている。人間の体は死ぬと血が黒うなってしまう。霊のある間は霊が流通させているけれども、霊が抜けてしまうと肉体の中に入ってしまう。かすが残っているが血が血管の中を廻っているのは霊が動いているからで、人間の血は霊なのだ。霊が入っているから赤い。霊がなくなってしまったら、水分が体内へ吸収されてわからんようになる。静脈血は初めから黒いが、本当に良いやつは融和してしまう。水気が屍体と一緒になってしまうのだ。血液は元通りあるのだけれども、屍体の中に一緒になってしまうので分からなくなってしまうのだ。霊というものは形のないものだから、形のないものが血液の中を廻っているから赤いのだ」
芦田「私が病気の人を鎮魂して病人の体に手を当てますと、当てる所によって指が激しく動く所とあまり動かない所がありますが」
聖師「そりゃ矢張り霊の関係である」

速志「狐憑き等と云うものはどんなものかしら」
聖師「宮川の森蘭丸の後裔に、琴太という人があったが、そいつが反対者に狐を憑けられた。そうすると狐が腕の中へフッと入って来て、くくっても括っても段々奥へ入って来る。それでとうとう狂人きちがいになってしまった。
 それからワシが大阪で狐憑きを頼まれて癒してやったが、体にボコッとふくれたものが出来ている。それは『うしとらの金神、艮の金神』と書いて段々追うて行った。体中みな書いてしまったら此処(腕)まで出て来た。指の所まで出て来ると『痛い痛い』と云っていたが、とうとう爪の間からひるのようなやつが出やがってブーッと丸くなった、で、そいつを捕まえようと思ったらコロコロとかどへ出て、ちょうど門口へ巡査がやって来たが、それにぶつかるといきなりサーベル抜いて暴れ出して、ウワーッウワーッと云うて行きよった。そうしたらそのおやじが癒ってしまった。歯ブラシを作る商売で、沢山職人を置いた家だった。いわゆる聖書の云う鬼だね、鬼というでもつのの生えたものではない。悪霊を全部一つの言葉で云う言葉だ」

速志「一神教と多神教についての御意見はいかがでしょうか」
聖師「キリスト教は一神教で『仏教は多仏教、日本の神道は多神教だからいかん』というけれども、天照大神様は一つだ(※5)。キリスト教ではエンゼルというているが、エンゼルにはみな役があるのであって、日本ではエンゼルを八百万の神と呼んでいる。ふとたまのかみでも総ての神さんはみな一種のエンゼルだ。野立彦のだちひこの神さんだとかあるけれども、物語ではみなわかり易いやうに宣伝神にしておいてある」

速志「国魂の神を生むと云う事や島生み等についてお伺いしたいんですが(※6)
聖師「国生み島生み、というてあっても、別に○○○女性器から出たのじゃない、淡路島あわじしまを生むというのは淡路島を開拓することである、島を生み神を生みたまい……とあっても無茶苦茶に生んだのではない。大国主おおくにぬしのかみは国を治めようと思うと、その国々へ行って細女くわしめを見てそれと一緒になって、その子を国魂の神にしたのだ。上根じょうこんの人だったらそうやって沢山子を拵へたらよいのだが、現今のような人々がそんな事やるといかん。徳川家康も五十人子があったというけれども、本当は落胤やとかいふのを合わすと二百人もあった。嫁さんを変えればいくらでも出来る。みな子の種のあるやつを流してしまっているのだから。しかしそんな事を当たり前だと思ってやると、世の中は壊れてしまうからなー……」

比村「それから龍女というのはよく聞きますが、龍男というのもあるのでしょうか」
聖師「龍は女性的なものだからみな女である。坊主なんかでも龍になるように修業する人があるが、龍でも畜生だから、そんな事するのは畜生以下になっているのだ。狐を拝んだりしているのでも、狐以下になっている。昔交通が不便だから狐が稲の種をくわえて方々へ蒔いたのだ、と云って稲荷さんの使いにしている。また御饌みけの神というのとキツネとを間違えて、そんな風になったのだ」

小竹「龍神さんというのは龍とは別ですか」
聖師「龍を龍神と称えたのもあるし、龍神というと幾らかてがらの出来たものが龍神である。蚯蚓みみず赤龍せきりゅうとかげは石龍、壁虎やもり屋龍おくりゅう、川の龍はこい、地の龍はうま、海の龍はくじら。それで龍を描くとあんな顔している。馬の首を持って来たり、鯉の鱗を持って来たり、ひげを持って来たり、牛の角を持って来たり、総て寄せて拵えてあるのだ、今の龍の絵は……」
速志「人の霊魂とは、つまり下なんですか」
聖師「そりゃそうに決まっている」
小竹「××分院に大龍神として祭ってありますのなどは……」
聖師「宣伝使があんな事してしまったので、顔がつぶれるから、してやったのだ。それで○○を叱ってやった。てがらしてからでないと祭られんのだけれど、早く功を立てるようにと云って祭ってやった。たとえば田吾作でも村長という名が付くと役場へ出て幾分でも仕事が出来る。雨の神、岩の神、地震の神、みな龍神である(※7)。お働き次第で祭るのだ」

小竹「子供の時によく蛙を沢山殺したりしますが、何ともないものでしょうか」
聖師「阿保あほほど強いものはない。こっちが何ともないのだから、どうもない。精神作用というものは恐ろしいものだ。医者がこんな実験をした。コレラの黴菌ばいきんを死刑囚に『これは滋養になる』と云って飲ませたが、何ともなかった。また葡萄酒を死刑囚に持って来て『お前は死刑になるのだが、この薬を飲んだら楽に死ねるが、首を絞められて死ぬのとどっちが良い』というと『そっちの方が良うございます』というのでそれを飲ましたら、何ともないのにコロッと死んだ。また『お前の指をちょっと切って、こうやっていると、百読むうちに血がみな出てしまって楽に死ねるのだ』と云い聞かしておいて、寝さして体を包んで耳だけ聞こえるようにして、初め水を指先に落としてヒヤッとさして、そして『一ー二ー三ー』と読んで行って、『九十九、百』というと、コロッと死んだ、ということだ。人間は神様を信仰して、神の生宮であるという事を常に考えて、そして何でも魂を強く持たないといかん」
速志「時間も参りましたから、今夕はこれで終へさして頂きます。どうもありがとう御座いました」
(完)

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(王仁三郎と)赤ちゃん座談会

☆赤ちゃん座談会 『昭和青年』昭和7年5月号

ほがらかな成長! 愛児のために ──神示の扉をたたく──
第二の世界の創造者は赤ちゃんであります。されば赤ちゃん万歳であります。この芽ぐむ二葉の赤ちゃんを育む御両親、または未来の良きパパ、ママのためにもと思って「赤ちゃんのために」の座談会を出口王仁三郎氏に御願いして富田、及び速志夫妻を質問者にたのみ開かして頂きました。すべては神示であります。幸いに読者の良き参考ともなれば編者の意は足れりなのであります。御熟読願います。編者識(真善美愛注:原文より価値のある部分のみ抜粋しました)

昭和七年三月十五日夜 於みろく亭

問── 胎教を世の中ではようやくやかましく口にしだしましたが、実際必要なものでしょうか。
答 必要やとも、妊娠したら直ぐ妊婦の室は綺麗にして綺麗な絵を掛けておくと綺麗な子が出来る。鬼とか、おかしな絵をその室にはっておくと、そんなような子が出来る。妊娠中に妊婦が火事を見ると本当にアザが出来る。だから妊娠中には火事を見るなと云うのや。酒を呑むと酒呑みの子が出来るし、果実ばかり食べると果物好きな子が出来るし、また猿みたような細長い顔の子が出来るもんや。そして米をやっと食べておくと丸々とした肥えた子が出来る。
問── 私は聖師様の書かれた観音様をいつも見ていました。
答 観音さんばかり見ていると観音さんみたような顔になる。何しろ妊娠の時くらい感じの強くなる時はない、胎教は一番肝心である。聖人の教え等を聞かすのはよい。悲哀な事を聞くとそんな子が出来る。
問── では妊婦は物語(出口聖師著霊界物語)等をたくさん拝読するといいですネ。
答 それはいいとも。こんな話がある。ある大銀行家に四、五人の子があった。どの子も皆おだやかだったが、どうした事か二人目の子は出来が悪くて他人をだましたりする癖があってしょうがなかったが、ある時、その人が白状したのに、ちょうどその子が宿っていた時、銀行の金を都合して相場をやった、ところが銀行がつぶれかかるほど負けたので、つぶれたら自分の責任ゆえ……と相場をやってやってやり通してようやく元に戻して事なきを得たが、その心持ちが妊婦に響いてそんな結果になった──と云っていたくらいや。
問── 妊娠中に兎を殺すと三つ口の子が出来ると云いますが。
答 それは感じやすい胎児やったら……。よく他人に似ていると云って問題を起こす人があるが、妙な関係がなくても、一生懸命に妊婦がその人(思っている人)の事を思っていると、その人の顔に似るものや、だから心持ちは大切なんや。
問── 妊婦が転ぶと流産したりすると云いますが。
答 それはある。
── ああいう時には霊魂はどうなるのですか、三ヶ月以上やったら祭るべきだとか聞いていましたが。
答 やはり霊界へ魂は行くのや、霊界で養われて大きくなるのや、十ヶ月にならんでも身体が出来ておったら良いが、十分出来ておらん時には霊もまた完成していない、身体が完成すると一緒に霊身も完成するのやから。
問── 産後はヒが穢れるから神様等に御遠慮すべきだと聞きましたが。
答 それは産婦が穢れると云う事を云うなア。二、三日はヒがあらいと云うから心得なければならぬ。だから宮詣りも三十日過ぎてからするんだが、御礼とかお給仕などはその日からでもいい。しかし習慣では三十日間は詣らんとしてあるが、神様から生まれさして貰うたのだから浄めてその日から御礼してもいいのや。

問── 神代時代から産婆役はあったのですか。
答 そんな事はない。一人でやったものや。木花咲耶姫様でも一人で生んでやはる。火の中で、火の燃えかけと、最中と最後とに一人ずつ三人も生まはったのや。

── しおがま(塩釜)さんはお産の神様ですか。
答 お産の神様やない。祭神、伊邪那美いざなぎみことさんは難産しられた〔加具槌かぐづち神のこと〕。自分が難産された。だが産と云うものは難儀なものやから守ってやろう、自分が難産したから助けてやろうと云うのではなく、御願いする方で『貴女もお産がつらかったやろうさかい、私にもどうぞ同情して下さい』と同情心に頼むのや。同情してくれるやろうと思って頼むのや。神様は産を守ろうとも何とも云うておられない。こっちからお産の神様にしてしまったのや。天神さんでも悪事災難を逃してやろうとはおっしゃってはいないのに、自分が無実の災難を受けたから同情してくれはるやろうと思ってお願いする──同病相憐れむというてな……。

問── 七五三の宮指導は。
答 そんな事は大本ではせん。毎日神様を拝んでいるさかいな。
問── 三月と五月の節句はすべきものですか。
答 それはしてやった方がよい。三月三日は瑞と瑞で天照大御神様の御子五男三女の三を取って女の節句に、五月五日は五男にちなんで五の日にする。三は女に関係がある。女は水、男は厳で火や、それにこれは習慣になっているし、しなければならぬと云う事はないが、子供のうちは、華やかに育てる方がよいから、やった方がよかろう(※1)
問── 鯉のぼり、つまり吹き流し等は……。
答 こいは勢いがよく滝登りをするから、出世するようにと思って立てるのや。また菖蒲しょうぶをかざるものやが、あれは尚武しょうぶ、つまり武をとうとぶ事で、五月五日には神宮皇后が朝鮮征伐をしなさった時で、菖蒲を屋根に差すのは、菖蒲と云うものは剣の形になっている両刃の形になっているので刀を差した形で日本の武を示しているのや。
問── かしわもちなどには何かいわれがあるのですか。
答 あれは別に何でもない。昔はお皿の代わりに何でも柏の葉を使ったものやから出来たのやろ。

── 名前を付けるに特に忌む字などありますか。
答 別にむ名などはないが、悪とか鬼とか邪とか云う名は付けんように、それに熊とか虎とか獣の名もさけたがいい。人間やものなア。それから一郎二郎三郎などはあれは一男二男三男と云う事で名ではない。何一郎とか何三郎としたらよいが。花とか云う字は散るからいかんと云うが、それは自分の感じから来る事で、感じの良い名を選んだらいい。

問── 人間は若く見られた方がいいのですか。
答 そうやとも、ワシはすべて遅れていた。十年は遅れていた。今ちょうど五十二才(現在六十二才)くらいのものや、いつも十年は若く見られて来たもんや、男は年齢を取って見られるといいと云うが、それは嘘で、それは昔の事や、元気なものは若く見られるものや。若く見られる方がいい。
問── 最後に子供に対する性教育が非常にやかましく論議されていますが、どうした方法が一番よいでしょうか。
答 俺は何でもあけはなしやったな。
問── つまり「赤ちゃんはどこから生まれるの」と子供に問われた場合または、「どうして出来るの」と云われた場合、多くの親は全く迷ってしまうようですが、そんな場合は。
答 よく、おへそがわれて生まれると親は教えるらしいが、いにしえ、こんな話があった。ある娘が、やはりそんなに教えられていて嫁に行った。すると子が出来てお腹が大きくなって来たので、さてはお腹がさけるとばかりに非常な恐怖心が起きて、池にはまって死んだハヽヽヽ。今はまさかそんな人間はないがのう。
問── では、正直に教えた方がいいですなア。
答 しかし習慣でそんな事は云われもせず、すべて虚偽の世の中だから、そんな事を書く事も云う事も出来はせんがな。俺ら決してそんな事かくしたりせなんだな、よく子供が、「お父さん阿呆やなー。かなわん」云うて逃げてくくらいやハヽヽヽ。

(※1)
明治36年旧11月9日
 艮の金神、変性男子の身魂が現はれて、神政成就みろくの教を致すから、この世の一切の事を、なにも、根本から悪いことは皆代へさすぞよ。頭から足の道具まで皆変へてしまうて、心易き生活くらしよき世の持方に致すぞよ。今の婦人おんなは畜生の肉喰た跡の骨なぞを、くしこうがいに致して、何も彼も外国の真似ばかりを一生懸命に見習うて、歓びて居るものばかりであるから、日本の神国が全部さっぱり汚穢けがれてしまうて、畜生原となりはてて、神の居る場所も無い様にしられて、此度の世の立替に就て、思のほか大変な骨の折れる事であるぞよ。神政成就みろくの世の教に致すには、婦女子の頭の道具から清らかにして、変へてしまふぞよ。衣類は平人には絹布は着せんなり。履物も、婦人にあれば木綿もめんの花緒なり。男子であれば竹の皮のねじ花緒はなおでよし。旅行する時には茣蓙ござかさで出れば、雑用も要らず便利も好し。婚礼をするにも祝事を致すにも、一采一汁の規定になる也。はつ幟祭のぼり初雛祭はつひないたすにも、何事を致すのにも、余分の馳走をする事は成らんなり。土産物みやげものも身分不相応の事は禁止さしとめてしまうて、神政成就みろくの世に立替る世界の大本であるから、この大本からその行方やりかたに変へて下さらんと、何時までも神界の真〔誠〕が判りて来んぞよ。


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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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