『大本神諭』 明治38年旧4月16日/筆先七分霊学三分/霊界物語は皆日本の事

○明治38年旧4月16日(天の巻)

 うしとらこんじんくにとこたちのみことぐちあらはれて、あまいはびらきをいたすにいては、昔の世のもとからこしらへてあるいんねん身魂みたまおほもとひきして、それぞれに御用ごようまをしけるぞよ。今度の御用は因縁くてはつとまらんぞよ。さきりたらきんぎんごとくにりてるから、さうなりたら「われわしも」とまをしてかねって「御用さしてくだされ」と申してるなれど、因縁なき身魂みたまには何程なんぼ結構けっこうに申してもいちもんも使ふ事は出来できんぞよ。これからさきになるときんぎんんで「神の御用をいたさしてしい」とたのみにるものばかりであれど、いちいち神にうかがいたしてからでないと、うけことらんぞよ。このおほもとは金銀に目をかけことあひらんから、何程なんぼつらくてもいまうちなりと、くさなりとべてでもしのぎて御用を致してりてくださりたら、神がしょうねんとどけたうへではなにごとおもふやうに、かねの心配もいたさいでもきやうに守護しゅごが致してあるぞよ。今がこんりんざいかなわんつらいとこであるから、ここひとこばりてまことたてきてくださりたら、神が「これい」とふやうに成りたら、らくに御用が出来るやうにチャント仕組しぐみてあるから、罪穢めぐりのあるかねは神の御用にはてられんぞよ。

 いつもふでさきけてあるが、このおほもとうしとらこんじんふでさきひらくところであるから(※1)あまれいがくばかりにると粗略およそになりて、まことかへってわからんやうにりて、神の神慮きかんかなはんから、ふでさきななにして、れいがくさんひらいてくだされよ(※2)かんがかりばかりにると、最初はじめひとめずらしがりてりてるなれど、あまろくかみんから、しまひにはづな使つかひ惡魔あくま使つかひと言はれて、いちだいおもはくはたんぞよ(※3)おもはくたんばかりか、神の経綸しぐみとりちがいたじんみんが出来てて、まことしょうまつをしへに致すから、ながらくへんじょう女子にょしけて知らしたなれど、いまに「霊学がけっこうじゃ、筆先どもなにる」、とまをしてちょっとききれぬが、どうしてもかなくやうにして、さしてせるぞよ。神のまをことそむいてなんなりとりてよれ、あしもとからとりつやうなびっくりが出てるぞよ。世間せけんからはわるまをされ、神には気障きざわりるから、何もじょうじゅいたさずにおほきな気の毒が出来できるのがみえいているから、それを見るのが可哀想なから、毎度まいど出口の手で神が知らせば、「にくたいぐちなおくのじゃ」と申して御座ござるが、ここしばらく見て居りたらわかりて来て、あたまさかさまにしてあるかんならん事がしゅったいするぞよ。

 へんじょう女子にょしかんがかりきたいのが病癖やまひであるから、一番にこの病癖やまひなおしてるぞよ。心からほっこんなほせばいなれど、如何どうしてもかねばはげしき事をして見せてけさしてやるぞよ。狐狸こり野天狗のてんぐなどの霊魂みたま調もてあそびにしられて、それでしんこく御用ごよう出来できると思ふのか。ちくしゃういれものにしられてそれを結構と思ふのか。しんかいだいざいにんりてもまんぞくなのか。わけわからんとまをしてもあまりであるぞよ。うはふものの、女子にょし霊魂みたま何時いつまをとほり、世界いっさいの事が写る〔 うつる 〕のであるから、この大本へたちる人民は女子にょしやりかたを見て、世界はこんなことりているのかと改心をるやうに、かみから女子にょし身魂みたまこしらへてるのであるから、とりちがひをいたさぬやうにかげりてくだされよ。「他人ひとわるわるい」と思うてると、全部さっぱり自己われの事がかがみうつりてゐるのであるから、他人ひとわるく見えるのは、自己われわるところ霊魂みたまくも〔 蜘蛛 〕がかか〔 憑 〕かりてるのであるからかがみを見て自己われ身魂みたまから改心いたさすやうに、此世このよもとから変性女子の霊魂みたまこしらへてありての、今度のあまいわびらであるから、一寸ちょっとやソットにはわかやうあさ経綸しぐみでないから、改心いたして身魂みたまみがくのがいっとうであるぞよ。

 もとまこといきがみいままでものはなんだぞよ。世のかはかみうつりて、世界の事をらせねばらぬから、ぐちなおいんねんあるたまであるから、うつりてなにごとも知らせるぞよ。世がおさまりたら神はなにまをさんぞよ。天狗てんぐぐらゐは何時いつでもたれにでもかかるが(※4)、このこんじんは、禰宜ねぎ巫子みこにはうつらんぞよ。何程なんぼ かみがかりほねりたとてまことかみかんじんな時でないとかからんぞよ。なにわからんかみうつりてまゐりて、ったかほいたしていろいろくちばしりて、肝腎の仕組もわからずに、世のたてかへ邪魔じゃまをいたすから一寸ちょっと油断ゆだんも出来んから、調ちょうほうの無いやうに気をけてやるのを、「野蛮やばんがみなにぬかかす」ぐらゐによりりてくれんから、まことに神も出口なほも苦労をいたすぞよ。かみがかりなにも世界中の事がわかるやうに思うて居ると全然さっぱりりょうけんちがふぞよ(※5)。神のまをうちに聞いてかんと、世間へかおしが出来できんやうな、はずかしき事がしゅったいいたすぞよ。このかみ ひとことまをしたら、何時いつになりてもいちいちりん ちがひはないぞよ。かみ一本ほどでも間違ふやうな事では、三千年かかりて仕組しぐんだ事がみずあわになるから、そんな下手へた経綸しぐみもとから、もといきがみけっしていから、素直すなほに神の申す事をいてくだされよ。世界のかみ仏事ぶつじじんみんたすけたさの、ながらくの神は苦労であるぞよ。だれらずとりちがひおほ怪我けがもとと成るぞよ。


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『大本神諭』 明治40年旧7月11日

○明治40年旧7月11日(天の巻)

 うしとらこんじんくにとこたちのみことあらはれて守護しゅごいたすには、もとこしらへた神代かみよいきがみは、沓島めじまやまちてりたぞよ。力量ちからのあるもとにくたいのあるいきがみは、沓島めじま住居すまひを致して居りてかげからの守護でりたなり。りゅうぐうの乙姫〔 おと 〕殿はうみそこ御住居おすまゐりたなり。冠島おじまが龍宮のいりぐちであるとことを、ぐちなおはじめて冠島おじまさんぱいを致したまをしてあるが〔 註:1900年(明治33年)旧6月8日/新暦7月4日 〕、明治三十三年に沓島めじまひらかしてあるのはこれからわかるぞよ〔 註:1900年(明治33年)旧7月8日/新暦8月2日 〕。しょっぱつには出口なおぐちさぶろう、出口すみ八木やぎふくしまとらすけたかのす四方しかたへいぞう二人の御供おともひらかしたなり。冠島おじまでさへも、今に女人をんなかんとこであるぞよ。沓島めじまむかしからひとかなんだとこであるぞよ。沓島めじまは昔から人はかなんだとこであるなれど、今度たてかへがあるにて、沓島めじま女人をんなひらかしてあるぞよ。これには深いいんねん霊魂みたまであるから……。りゅうぐうは、冠島おじまから沓島めじまあらうみおとひめ殿の御住居おすまゐどころうみの御守護は、乙姫〔 〕殿がおんたいしょうであるぞよ。むかしから無い事が出口でぐちなおにはさしてあるぞよ。わからなんだことわか世界せかいおほもとであるぞよ。三十三年のしょっぱつには「冠島おじままゐれ」とまをしたでありたが、三十三年の六月の八日に、出口なお、王仁三郎、すみ、四方平蔵、きのしたけい太郎たろう〔 出口なお開祖四女りょうの夫 〕二人の御供おともでありたなり。沓島めじまひらいてもらふたのが七月の八日、四年の六月の八日にも、ふね都合つごうで十日にりたが、そのりには京都きょうとほうぼうから御供おともたっぴつありたなれど、思念おもひみなちがふて居りたから、「沓島めじまへ参拝を致してからちがふた事がありたら、綾部あやべおほもとへはかれんやうになる」と申して、即坐すぐに筆先でがつけてあるが、世界せかいおほもとたいもうとこが、あま粗末そまつにしてあるから、みなこれまでには取違〔 とりちがひ 〕をしてるぞよ。今度の二度目の世のたてかへを致したら、まつだいつづかせならん世界のおほもとであるから、何時いつになりても亀鑑かがみるい亀鑑かがみとが出来できたいもうとこであるのに、けんとうが取れん様にしてあるから、とりちがひもいたしたなれど、これも身魂いんねんやらせうらいやらで、もとこのこしらへた、根本もとほねおり御恩ごおんといふことわかりてりたら、取違〔 ちがひまんしんといふやうなこと出来できは致さねど、天地てんち御恩ごおんいまわからんから、どくたまがあるぞよ。明治三十八年にはぐちなおが七十歳で、後野ごのいち太郎たろうなおの六人目のでんきちにん御供おともで、出口なおぎょう終結しまへもと御用ごよう出来でき結構けっこうことばかりである。あのおひかりはじまりの結構なおひかりでありたぞよ。

 今度こんど境界さかひとうげすのは、身魂みたませんたくをしてらんと、ものあとさきになりたから、世界せかいの洗濯がはやとこと、身魂みたまの洗濯〔 せんたく 〕とが一度になるとこもあるぞよ。今度の境界さかひとうげきんぎんではせんから、しんとくでないと越せんから、身魂みたまみがひをりてくだされよ。みぐるしきこころ何程なんぼ金銀をみてりたとて、るいほうむをいてかならんことが出来るから、いまかかりで左程さほどにはいが、よく見て御蔭おかげるがいぞよ。醜い心でめてりても、めてるものはみな罪穢めぐりであるから、罪穢めぐり除去とりると、らくとうげせるぞよ。この世のものみな天地てんち所有ものであるから、一旦いったん天地てんちきあげてしまふから、じんみんこころなをさんとこはいぞよ。


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『大本神諭』 明治40年8月26日

○明治40年8月26日(火の巻)

 このくもりたすいしょうたてかへるのであるから、身魂みたまさんだんけてあるから、今度こんどかいしん出来でき身魂みたまは、どくでもそこくにゆきいたさねば、日本にほんくにらんから、だけ延期のばして改心をさして、ばしばしいたしたなれど、さっぱりつまりてて、モうばすこと出来できんやうに成りたから、世界せかいこといぞよ。るきことばかりが一旦いったん出現来でてくるから、身魂みたまみがけたひとからくなるから、いまではまだ何もわからねど、水晶の世に致す世界のおほもととこであるから、このなかたちひと精神こころとははりてらんと、だんだんひとるが、あとからてくるひとほどわかりて、とうだいしたあしもとまっくらがりなり。よそからひと一度いちどまゐりてて、いおかげってぬやうにるから、これだけ くどけるのであるぞよ。


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『大本神諭』 明治41年旧6月8日/素尊と稚姫岐美命

○明治41年旧6月8日(天の巻)

 うしとらこんじんくにとこたちのみことへんぜう男子なんし身魂みたまあらはれて守護しゅごいたさならん時節じせつまゐりたから、みなそろふて、われわれこころにちにちあらためて、身魂をみがいてらんと、いままんしんを致すやうなことありたら、だれによらん依怙贔屓いこひいきは致さんぞよ。もの大変更おほがはりいたすから、あまり思ふて居る事が大変更おほがはりが致すとこのほういやである。出口でぐちなおも、それでつねづねしんぱいを致すのであるから、余り心配をけると、其人そのひとが思ふやうにはきは致さんぞよ。まことみちるいこといたさんなれど、われこころ間違まちがふてると、まことみちでもわるえて御蔭おかげとして、もと御蔭おかげもらへんことにはるから、しょっぱつから何時いつりてもかわらんこころりてくだされよ。これだけ日本にほんの国がまっくらやみに成りて居るのに、體主霊従がいこくをしへを、これほど結構けっこういやうに思ふて、このなりいつまでけるやうにおもふて御出おいでるのが、根元もとことを思はぬ苦労くろうしの守護神のやりかた……。その事が綾部あやべおほもとでないとわかりは致さんぞよ。他所ほかわからん身魂みたませうらい調あらためてありて、今度のたてかへであるから、世のもと基礎きそこしらへたいきがみの性来から、みなあらはす世界のおほもとであるから、途中とちゅう出来できえだかみでは、天地てんちうごいてだけぎょう致しても、もとおほかみさまからこしらへておでますじきわけみたまで無いことには、今度こんど二度目の世のたてかへ根本もと御用ごよう出来できは致さんから、理會わかりた御方おかたから、霊主体従ぜんみちちかえりて御手伝おてつだいをされば、たてかへありてたてなほしに成りたとこでは、くにとこたちのみことがおはたらきを見届みとどけたそのうへでは、出世しゅっせさして御禮おれいまをすのであるから、これまで神界かみやりかた、天地の相違ちがい、それを「天地てんちがひツくりかへりてりた」とまをすのであるぞよ。

 かみじんみん同一事おなじことであるぞよ。苦労くろうじゅうぶんに致して、苦労のかたまり時節じせつまゐりてひらけるのであるから、たてかへにもほねれるなれど、此世このよるのが世のもとからよくれてりての大事業たいもうである。今度おとされてりたいきがみ守護しゅごとなると、あま安楽らくしておでたおんかた余程よほどつらいぞよ。

 今度沓島めじまおととされてりたといふことを、世界へ發表あらはすのであるから、沓島めじまとほととこであるから、このさきで沓島へぎょうまゐりてから、綾部あやべおほもとふでさきに「 らん 」といふ事をいたしたら、このさきではおほもとたかあまはらあがらせんから、何彼なにかことがあらはれて、しほしほとしてらんことが出来るといふ事が、ふでさきかかしてある。

 規則きそくやぶりたわかみのみこと御靈みたま慙愧ざんぎ(※1)ぐちなおじゅうぶんさらさして、罪穢めぐりらして、二度目のたてかへ御用ごよう機嫌きげんよくつとめさしてもらふて、規則やぶりたとがしめをゆるしてもらふ、いんねんふか身魂みたまであるよって、これだけ苦労がありたのであるぞよ。今度の規則きそくやぶりたら、まつだいあがられんから、いまいままでけてやるから、このことに気の附かんやうな守護神しゅごじんとうていかいしん出来できは致さんが、そこくにきがいやことであるなれど、たっぴつあるが。日本の国の身魂みたまくもりやうは甚大えらくもりやうであるぞよ。がいこくほうが余程良好ましであるぞよ。日本のじんみんよくふかいから、がいこくの人民にばかされて、日本の国を自由自在、気随きまますきすっぽうに致して、日本の国はさっぱりけがしてしまふて空地あきちいぞよ。このくもりた日本の国はもと神代かみよたちかへりて、すいしょうに致すのは、日本の人民の心をさつぱり水晶の心にちかへて、もとかみこころおなこころりたら、それを神世かみよまをすのであるから、このみぐるしき日本の国は、ちいさいくにであるから、改心さして、世のたてかへを致したいと思ふたなれど、たてわけると、純良よき身魂みたま何程なんぼも無いがいやなことであるぞよ。




○出口王仁三郎著「素尊と稚姫岐美命」(玉鏡、昭6/7)
 神世かみよむかし のおのみこと様とわかひめみのみこと様とのあひだにエロかんけいがあった。おほ日孁ひるめのみこと様〔 註:あまてらすおほ御神みかみの別稱 〕がこれをさとられて、天津あまつつみおかしたものとして生木なまきくやうにして、はるばる高麗こまくにへ稚姫岐美命様をひやられた。かぜあした あめゆふべてんきょうざんを遠く離れた異郷いきょうにあって、みことこひしさにあかひめのみことおもひにへかねて、からすはねうらこひぶみしたため、このせつなるおもひのねがはくは途中さまたげらるることなくみこと様の御手みてれかしといのりをめてからすはなった。からすの羽裏にふみいたのは、くろすみ、誰が見ても一寸ちょっと分らぬやうにと用意よういしゅうとうなるおかんがへからであった。
 からすげんかいあらなみをこえ、中国の山また山をはる下界げかいながめつついきをもやすめず、びにんで伊勢いせくにまで辿たどりついたのである。この時からすはもう極度きょくどつかれて仕舞しまって、あはれ稚姫岐美命のゆる恋情おもいとこしへめて、其地そのちんで仕舞しまったのである。今の「おからすじんじゃ」〔 神社 〕のあるところ其地そのちなのである。だからおからす神社の御神体ごしんたいは、このからす羽根はねだといふ説がある。
 此方こなた今日けふ明日あすかとみこと様の御返事を待ちわびたひめのみことは、何時いつまでたってもからすふくめいしないので、ついけっして自転倒おのころじまへとわたたまうたのである。しかしながら何処どこまでもこのこいのろはれて、ちょうどたかあまはらおいての素盞嗚尊様もおもひはおなこいごろもちょうせんからの便たよりがいっこうないのでいたこころをなやませたまひ、ひめのみことにあってつもおもひをらさむと、ついみずから朝鮮にくだられたのである。ああしかしみことだんざんに到着された時は、ひめのみことかげ姿すがたも見えなかった。ちがひになったのである。かくてわかひめ岐美ぎみのみことつひ紀州きしゅう和歌わかうらかむりましたのである。たましまみょうじん、これが稚姫岐美命様をおまつまをしげたものである。

〔 現代注:2012年(平成24年)8月11日(旧暦7月24日)午後2時50分頃、香良洲神社で落雷が原因と見られる火災が発生し、かやきの本殿屋根全面が焼けた。御神体は無事であった。 〕

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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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